第68話 武器の手入れ

 七色の変化球という言葉がある。

 俗に、多彩な変化球を投げるピッチャーを彩る言葉だ。

 だが球種というのは基本的に、変化は五つしかないと言っていいだろう。

 基本的にはとつくのは、それぞれの変化や速度の違いで、いくらでも球種は作れるからだ。

 たとえば利き腕側に変化するボールは、ツーシーム、シュート、シンカーなどがあるが、変化の仕方が同じなら、名称は一つでもいいだろうという意見もある。

 ひどく乱暴な意見だ。


 直史はゆっくりとであるが、変化球を全て試している。

 利き腕側に曲がるのは、まず握りのツーシーム。

 ツーシームというのはそもそも握り方の名称であって、変化球の名称ではない。

 ただストレートと同じ手の振りで、ボールの縫い目を使って変化させるので、利き腕側に曲がるだけなのだ。

 シュートはそれよりは意識的に、利き腕側に曲げる変化をつける。

 ちなみに右腕も左腕も、本来のストレートは全てわずかにシュート回転がかかっている。

 さもなければ右打者相手であれば、わずかに外に逃げていく軌道を描くだろうからだ。


 シンカーは手でボールを包み、最後には抜くように投げる。

 ゆっくりと落ちながら曲がるのが一般的であるが、抜き方によってはスピードも相当に出る。

 投げる人間の腕などの構造によるが、シンカーは一番変化が大きい。

 特にサイドスローやアンダースローのシンカーは、必殺の魔球になりうる。


 そして本格派ピッチャーにとって今は標準装備のスライダー。

 スライドする変化だからスライダーなわけであるが、手元で曲がるカットボール、縦に曲がる縦スラ、この三つがおおよそ分けられている。

 もっともスライダーにカーブ的な要素をかけた、スラーブなどというものもあるが。


 落ちる球でもカーブは、ななめに落ちるカーブと、ほぼ縦に落ちるカーブ、そして変化ではなく、緩急での分け方もある。

 縦のカーブ、斜めのカーブ、スローカーブ、普通のカーブ、パワーカーブ、ドロップカーブ、全てを上手く投げ分ける。

 カーブの種類が直史は一番多く、その変化の精度も一番高い。


 あとは落ちる球だ。

 カーブも回転で落とす球だが、フォークにスプリット。

 正確にはどちらもスプリッターなのだが、直史はこれにジャイロボールであるスルーをつける。

 ストレートより速く感じる落ちる球。

 変化球の定義に喧嘩を売っているようであるが、実際にそんざいするのだから仕方がない。


「あとはストレートか」

 ストレートも変化球である。

 そして直史は、チェンジアップをストレートと分類している。


 樋口のミットに収まるストレートは、限りなく正面に近い軌道から来る。

 ただこれは実はシュート回転して、わずかにバックスピン量が逃げてしまっている。

 プレートのどこを踏むかで、投げられる角度が変わる。

 直史のスリークォーターからでは、どうしても武史のようなバックスピン量は出ない。




 球種の確認は出来た。

 あとはコントロールである。

 コースのコントロール、角度のコントロール、スピードのコントロール、変化量のコントロール。

 今季はまた、プレートにまでこだわったピッチングはしていない。

 だがその切り札を切っても、まだ先を見なければいけないかもしれない。


 樋口の構えたミットが、全く動かない。

 完全にキャッチャーの構えたところに投げるのを、コントロールの中でも特にコマンドと言うが、これは単にコントロールがいいのとは違う。

 プロのピッチャーでさえも、コントロールが正確なピッチャーは少ない。

 だが直史は勝利のために、コントロールをひたすら磨いた。

 変化球の前にコントロール。

 キャッチャーの構えたところに投げられるなら、変化球でも捕れるだろうと、考えたのは中学生の頃だ。


 つまりキャッチャーが捕れなかったことが原因で、直史はコントロールを磨いた。

 構えられたミットを動かさなければ、ちゃんとそこに入るように。

 ストレートだけではなく、変化球も。

 つまり直史を育てたのは、プラスの意味を持つ仲間だけではない。

 変化球を捕ってくれなかったキャッチャーがいたからこそ、今の直史はいる。

 もちろんそれに対して、感謝などは全くないが。


 100球ぐらい投げても、全く疲れていない。

 直史は50%ほどの出力で、90%ほどのボールを投げることが出来る。

 全身の連動によって、パワーを上手く伝えきる。

 計測して分かったことだが、直史はMLBの科学的な測定と同じく調べると、ほぼ100%近くパワーをボールに伝えている。

 そんなことが出来るピッチャーは、日本では直史が一番だ。

 しかしそれは同時に、パワーに関してはもう、伸び代がないことを示す。


 これ以上を目指してどうするのだ、という声があちこちから耳に入る。

 直史のピッチャーとしての姿は、いくつかのスタイルの中でも、一つの完成形だ。

 だが何もしていないと、背後から大介の足音が聞こえてくる気がする。


 野球の理論は進化し、戦術は洗練、あるいは復活し、より違った形が見えてくる。

 ピッチャーにしても、球速がとにかく重視されるのは今でも同じだが、ムービング系の全盛や、フライボール革命への対処のためのカーブの復権など、色々な動きがあるのだ。

 とにかくホームランを狙うアッパースイングに対しては、高めのストレートが空振りを取りやすい。

 ムービング系はわずかな変化ごとパワーで持っていくので、大きな変化球で三振を取ることが多くなっている。

 そんな中で直史は、まだ打たせて取るグラウンドボールピッチャーとして存在する。

 プロの世界に慣れてくると、大学時代と同じように、好き放題に操ってきているが。


 ジンや樋口、そして後輩ではあるが倉田や孝司と組んだ後、クラブチームでもキャッチャーとは当然組んだ。 

 キャッチャーとしての総合力は樋口が一番高かったが、その打席だけではなく試合全体のバランスを考えて組み立てていたのは、ジンであったと思う。

 今は高校野球の監督をしているジンは、秋季大会の真っ最中だろう。

 それでも日本シリーズにまで進んだら、チケットを送ってもいいかもしれない。

 いや、それよりはクライマックスシリーズの方が好みだろうか。




 とりあえず今日も、調整のピッチングは終わった。

 ファーストステージの第三戦、勝てばそちらが相手となる分かりやすい試合。

「どちらが有利だと思う?」

「バランス的にはライガースなんだろうけど……」

 樋口が口ごもるのは、スターズに上杉がいるからだ。


 長い付き合いであるので、上杉と樋口の、単なる先輩後輩ではない関係も知っている。

 この二人は協力者であり、共犯者でもある。

 上杉が聖人君子でないことを、おそらく一番よく知っている樋口。

 わずかな情報の断片から、直史はそれを悟っている。

 ただ上杉はグラウンドの中では、真っ当な勝負しかしない。

 求められているものが違うからだ。

 

 引き分けでもスターズが勝ち上がってくるという今日の第三戦。

 スターズの先発を考えれば、ライガースが先制することは充分にありうる。

 そしてライガースが全力でリリーフを使っていけば、スターズの取れる点は多くないだろう。

「両方の監督が勝利だけを貪欲に求めるなら、ライガースの方が有利かな?」

 はっきりしない樋口の言葉である。


 直史からすると、リリーフ陣が勝敗を分けると思う。

 スターズには峠というセーブ王を複数回取ったクローザーがいるし、ライガースも今年のリリーフ陣はかなり充実している。

 どちらが先手を取れるか、それが重要になるだろう。

「ピッチャーの削りあいになるだろうな」

 直史としては、どちらが来ても問題はない。


 スターズと対戦するならば、それは上杉をどう攻略するかということだ。

 だが直史ならば、上杉と引き分けに持ち込むことが出来る。

 さすがの上杉も、ファーストステージで投げた後、ファイナルステージでも三試合以上の先発は出来ないだろう。

 エース同士がぶつかれば、引き分けに持ち込む。

 そして引き分けに持ち込まれたら不利なのは、スターズの方である。


 上杉以外のピッチャーで、レックスのピッチャーに対抗できるのは、そうそういない。

 去年は武史がやっていたことを、今年は直史がやった上で、それも負けることなく引き分け以上にするのだ。

 ライガースの場合はスターズより平均的なピッチャーのレベルが高く、また打線もレックスを打ち崩すのに充分な力を持っている。

 やはり短期決戦とはいえ、最多で六試合を行うファイナルステージは、かなりの総合力が必要になるのだ。

「今年はライガースが来ると思うけどな」

「三試合目、下手すれば上杉さんがリリーフしてくるぞ」

 確かに鉄人上杉なら、そういったこともやってきそうだ。

 だが直史としては、樋口よりも上杉を客観的に見ている。


 確かに最強のピッチャーではある。

 直史とは違って、本当に持って生まれたストレートだけで、勝負が出来るピッチャーだ。

 ただそんな上杉であっても、短期決戦で先発連投はパフォーマンスを落とす。

 直史ならば、力を抜いたピッチングも出来るが、上杉の力を抜いたピッチングは、純粋に球速を落とす。

 それでもたいがいのバッターには通用してしまうのだが。


 結局のところ、直史は信じているのだ。

 わざわざ自分をこの世界に呼びこんだ、大介のことを。

 二人が全力で戦えば、またもどちらもが怪我をしてもおかしくはない。

 その場合は直史も、大介と対戦する必要はなくなるが、大介なら右でまた打ってくるだろう。

 左ならばともかく右の大介など、直史の敵ではないだろうが。




 第三戦にもつれこんだセ・リーグと違って、パは既にジャガースとコンコルズのファイナルステージ対決が決まっている。

 マリンズは結局、わずかずつの選手層の差で、コンコルズに負けたと言えるだろう。

 ポストシーズンに入ってしまったマリンズは、主力はそのまま休みに入る。

 だが一部はマリスタを使って練習し、その中には鬼塚もいる。


 12月に入るまでは、選手は球団に拘束される。

 秋のキャンプも始まるが、それとは別に練習をする者はいる。

 鬼塚などは昨日までは試合をしていたのに、よくもまたすぐに体を動かすつもりになるな、などと周囲の若手は思っている。

 だが鬼塚としては、単純に必死なだけである。

 

 プロ入りしてからの合同自主トレでも、自分より下手なやつなどほとんどいなかった。

 甲子園で四番を打った身体能力でも、それ以上の者はざらにいたのだ。

 練習に対しては真摯な鬼塚は、練習やトレーニング以外の時間も、野球のことを考えていることが多い。

 子供の育児に関しても、ほとんど嫁に任せっきりで、あまりいい父ではないし、いい夫でもないだろう。

 だがそれを分かっていて結婚してくれた妻は、ちゃんと鬼塚のケアまでもしてくれる。

 大きな子供扱いされる鬼塚なのである。


 この日もひとしきり練習は終わっても、選手たちはクラブハウスで、だらだらと過ごしたりする。

 テレビでクライマックスシリーズを見るのだ。

「鬼塚さん、甲子園では一緒にプレイしてたんですよね?」

「まあな」

 白富東においては、最終学年になっても、アレク以上のバッターにはなれなかった鬼塚である。

 しかし真田に対しては、右打者の鬼塚の方が、アレクよりも攻略のチャンスはあった。


 大介と真田が一緒のチームにいて、それで負けるというのが鬼塚には信じられない。

 上杉と鬼塚は、学年は高校時代にかぶっていないのだ。

「どっちが勝つと思います?」

「そりゃこの試合に限って言えば、ライガースだろ」

 選手層の厚さが、ライガースの方がかなり上なのだ。


 高校時代は白富東によって、さんざんに打ち砕かれていた大原。

 それがライガースでは、今年も先発のポジションを務めている。

 タイトルを取った年に年俸は急上昇し、それからもコンスタントに上げている。

 あれだけボコボコにしてやったピッチャーが、分からないものである。


 それでも鬼塚にとっては、高校時代の最大のトラウマは、あの双子だ。

 二度と女には負けないと思って、ずっと練習を続けてきて、今はプロ野球選手になっている。

(考えてみたらあの二人は、俺の恩人になるのか?)

 そう思ってすぐに頭を振る鬼塚である。




 こういった若手との集まりでは、鬼塚はなんとなく中心になる。

 選手としても外野をあちこちと、場合によってはサードを守ることがある。

 どこにおいても便利な感じの打率と出塁率に、実は相当に高い野球IQ。

 もうそろそろ金髪はやめたい、とこの数年は毎年言っている。


 ライガースとスターズとの第三戦、終盤の展開次第では、真田が投げてくる可能性がある。

 それに何より、大介の攻略を考えなければいけない。

 今季のオフジャガースは、上杉正也がFAとなる。

 海外志向ではない正也は、兄と同じチームに行きたいな、などと言っていた。

 彼以外にもジャガースとコンコルズには、FAの発生する選手がいる。

 マリンズも主力の中では水野がFA権を獲得するが、行使するかどうかは分からない。


 ジャガースとコンコルズがFAで戦力が弱体化すれば、マリンズが日本シリーズに進むことも夢ではなくなる。

 来年のことを考えれば、若手と一緒にセのプレイオフを見るというのは、悪いことではない。

 ただおそらく、今年のセで勝つのはレックスだろうし、来年以降もしばらくはレックスの王朝は揺るがないのではないかとも思う。

 樋口が正捕手になってから、本当にレックスの投手陣は年々数字を上げている。

 佐竹も確保しておきたかっただろうが、おそらく年俸の点で待ったがかかったのだ。

 直史を獲得したことが、おそらくフロントの資金繰りに影響を与えている。


 レックスは神宮球場の物理的な空間の理由により、せっかく強くなって人気が出ても、動員数を増やすのに限界がある。

 直史が大学時代に、神宮の観客席は増設されたのに、これである。

 東京のチームとしてはタイタンズがあるだけに、あちらに長らくファンを取られていた。

 なので直史を取って、そちらに金がかかるとなったら、他の選手の年俸を上げにくくなる。

 そのあたりの計算もあって、佐竹を複数年契約などで縛ることが出来なかったのであろう。


 だがそれも仕方ないかな、と鬼塚は思う。

 武史、金原といった先発陣に、豊田、鴨池といったリリーフ陣。

 キャッチャー樋口は不動の正捕手で、ベテラン西片は成績が落ちず、緒方や浅野といったあたりは毎年キャリアハイを更新する勢いだ。

 ピッチャーに外国人助っ人をほとんど使ってないが、日本人選手がしっかりと数字を残してきている。

 そして日本シリーズに進出はしていないが、レギュラーシーズンで優勝。

 年俸を下げる理由がないのだ。


 佐竹はそんなチームの財政事情の煽りを食らったと言えるだろう。

 今年の佐竹は18勝3敗。

 鬼塚の記憶にある昔のプロ野球では、タイトル独占をしていてもおかしくない数字だ。

 マリンズが獲得できれば、一気に投手陣は強くなるかもしれない。

 だが今の佐竹の成績は、樋口があってこそのものとも言えるのだ。




 ライガースとスターズの試合が始まる。

 双方共にエース級のピッチャーを出しながらも、試合は序盤から動いた。

 ただそれを、無失点に抑えたものと、しっかり得点をしていったもの。

 結果は全く違う。

(これは、序盤の展開をどう後ろにつなげていくかで、勝負は決まるだろうな)

 来年こそは、という意識を持った上で、試合を見続ける鬼塚。

 外見からは考えられない野球知能で、試合を分析していた。

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