第62話 最終戦争の前哨戦
何を投げても打たれる気がするが、それを表情には出さない。
するとバッターは、何を投げてくるのかさっぱり分からない。
バッターとしては、初球を見ればある程度二球目以降の推測がつく。
なので初球はヤマを張っていて、それ以外なら見逃していく。
バッテリー間のサイン交換は早く、すぐに投球動作に入る。
そこから直史が投げたのは、胸元に入ってくる球、に大介には見えた。
(シンカー?)
ゆっくりとしたシンカーが大きく変化し、外角低めに逃げていく。
それを目で追ったが、バットは動かさない。
ゾーンの中に決まって、まずはストライク。
(打てなくはなかったな)
ただ、気持ちが前のめりになっていた。
打ちにいってもタイミングがずれて、ジャストミートは出来なかったような気がする。
(いや、違うな)
大介はバッターボックスを外した。
腕を回し、首を軽く振る。
(打てないと考えたら打てない)
ここまでは完全に封じられているのは確かだ。
今の球は、打ちにいっても良かった。
なのに打たなかったのは、打てないと思ってしまったから。
ツーアウトからではホームランを打たない限り、直史から得点することは難しい。
そう思って、打てるポイントを絞りすぎていた。
発想を転換するべきだ。
ここまで大介とライガースは、徹底的に直史に封じ込まれている。
その意識は大介だけではなく、全てのバッターにあるのではないか。
(普通に打って、普通に塁に出る)
そう考えると、バットのトップの位置が少し下がる。
この試合は、負けても仕方がない。
プロにはプロの、シーズンを通した戦い方がある。
この負け試合を使って、刻み付けるのだ。
ライガースの打線は、甘くはないと。
(負け犬の遠吠えかもしれないけどな)
思わず自らに失笑してしまう大介であった。
空振りが取れない。
無駄な力を抜いた大介が、神速のスイングでボールをカットする。
際どいゾーンのボール球だけではなく、ストライクゾーンに近くになってから、樋口がフレーミングで無理やりストライクに見せようとする球も、カットしてくる。
樋口はこんな大介の姿は見たことがない。
明らかな失投があるまで、カットし続けるのとも違う。
最初から長打を放棄し、鋭く狙っている。
甘い球を投げたら、普通に野手のいないところに落とされるだろう。
長打を捨てれば五割は打てる。
大介が以前に言っていたことだ。ただしそれは、野手のいないところに打つホームランより、価値は低いはずだ。
直史はフォアボールで歩かせることをしない。
明らかなボール球であれば、外に外すことも出来る。
だが大介はおそらくボールとコールされる球も、全てカットしている。
明確に逃げるか、それとも勝負するか。
ただ勝負をしても、あっさりとファールになる可能性がある。
直史は大介の意図が分からなかった。
最終的には歩かせてもいいと、直史は思っている。
自分はちゃんと、自分の出来る範囲で、勝負をしているのだ。
多少の無理をすれば、大介はこれをヒットに出来るのではないか。
そんなボールも投げてみたが、大介はカットしてくる。
最初から長打を捨てたような、ミートに徹したスイング。
どのみちそれでは、ホームランは狙えない。
これはもう、なんだかんだと非常識なことをしながらも、ルーキーである直史の弱点かもしれない。
プロの長いシーズンの中では、前の試合の対決が、次の対決につながることもある。
とにかく直史は、一試合だけでどうにか出来るものではない。
自分で召還しておいて、手が付けられない大介もアホであるが、それでも打てないものは仕方がない。
気分良く少ない球数で投げさせない。
それが大介の、作戦とも言えない嫌がらせであった。
樋口の方はまだしもプロ入り後五年目のため、大介の考えていることも分かる。
確かにそうでもしないと、直史に勝つことは出来ない。
球数を投げさせたりするのも一つだが、要は徹底的な嫌がらせ。
シーズンを通じて、それを行うのだ。
大介は知らないことだが、これは二年目の上杉にも行われた。
それはもう全球団のバッターがしつこく、上杉にテンポ良く投げさせることを許さなかった。
上杉に対しても多少の効果はあって、一年目19勝0敗に比べ、二年目は23勝2敗。
不敗神話を終わらせたわけだ。
もっともその後、七年目のシーズンで、26勝0敗の記録を達成したりしているが。
大介がこれをやった。
だが樋口は、これだけでは不充分だろうと思っている。
上杉の剛速球に対応出来るバッターなど、ほんの少ししかいなかった。
そしてスターズは打線が弱かったため、どうしても上杉が無援護になったわけだ。
しかしレックスは、打てるバッターが、援護出来る打線が、それなりにそろっている。
そう、前提において大介は間違えているのだ。
直史を相手にしてカットだけで逃れられるバッターすら、大介ぐらいしかいないだろう。
(全力のスルーをどう打つ?)
さすがに狙い通りのカットは出来ないだろう。
樋口はそう考えて、いつも通りにサインを出す。
そして直史もいつも通りに頷いた。
ヒットだけを狙えば打てる。
だがそれさえも、自分ぐらいしか出来ない。大介はちゃんと分かっている。
樋口の考えているような、長期的なスパンで大介は考えているわけではない。
とりあえずこの打席は、全ての球種を引き出す勢いでカットする。
そしてヒットを打つ。
打つべき球も決めてある。
分かっていても脳が、その軌道と速度の理解を拒否する。
魔球スルーを狙ってヒットにする。
大介に託された役割は、単純に点を取ることだけではない。
点を取るにも、取り方というものがあるのだ。
甘い球を確実に打つ。
それも一つの形であろう。
だが、ピッチャーの決め球をあえて打つ。
それはピッチャーの心を折るとまではいかなくても、よりリードにリソースを割くことになる。
レックスは樋口のチームだ、と大介は思っている。
キャッチングとバッティングの技術がトップレベルで、とにかく守備を完全に固めている。
直史と武史、それに金原や佐竹といったピッチャーが、もちろん優れていることは間違いない。
だが樋口のリードがなければ、武史まではそこそこ打てる。
それでもプレイオフの短期決戦になれば、直史と武史は特別な戦力になるだろうが。
スルーを投げさせるというのは、二人の間の信頼性があるからこそ、要求出来るものだろう。
大介はそう思うが、直史と樋口の関係は、そこまでウェットなものではない。
ただ、バッテリーとしてお互いに信頼しているのは、確かにそうだろう。
直史の投げたボールは、リリースした瞬間に、どちらかの球種であると大介には分かった。
伸びるのか、失速するのか。
原因はスピンであり、どちらにしろスピン量は変わらない。
懐まで待って、スイングで打つしかない。
懐まで――。
(伸びる!)
鋭く振ったバットは、ボールの上を叩いた。
打球はピッチャーマウンドで跳ねて、本来ならセンターに抜けるはずの打球が、右側に飛んでいく。
セカンドに入っていた小此木は、そこでターンして打球に飛びつく。
キャッチしたところまでは、ファインプレイ。
だが送球しようとしたところで、ボールが手から転び出た。
慌ててしっかりと握ってファーストに投げるが、大介の走力はリーグでもほぼトップレベル。
間に合わずに、スコアボードにはEのところに1の数字が点いた。
あれをエラー判定か、と直史は気分的には思うが、確かにちゃんと送球できていたら、アウトに出来たかもしれない。
だがただでさえタイミング的には微妙なところであったし、本来なら守備の動きの逆に跳ねて、ライトの処理するボールになっていたはずだ。
死んだような顔色をしている小此木に対して、直史は内野全体に声をかける。
「ツーアウトな」
別に怒っているわけでもなく、平坦ないつもの調子。
実際に直史は特に感情を交えていない。
普通に面倒なランナーが出たなというだけである。
ライガースは四番の西郷。
言うまでもなく、大介がいなければホームラン王候補の一番手。
これに対してバッテリーは、ランナーへの対処までしなくてはいけない。
もっともおおよそは考えてあるのだが。
大介はこの状況から、盗塁をしかけてくるだろうか。
成功率は、本気になった直史と樋口からは、あまり高くないと言える。
大介は確かに俊足だが、直史のクイックの速さはそれを上回る。
それにモーションを盗むことも出来ない。あとリードも取りにくい。
直史がどれだけ牽制でランナーを殺してきたか、散々に見てきた大介である。
だからこそ走りたい。だがそれは、今日ではない。
バッテリー側も、このランナーに対しては、既に試合の以前から話し合っている。
もちろんシチュエーションは色々ある。
だがツーアウトからのランナーであれば、それほど難しくはない。
最初に結論付けたのは、初球スチールはないであろうということだ。
大介がファーストから直史のクイックを見るのは、今季が初めて。
そもそもライガースとの対戦でランナーを背負ったことがなかったため、映像だけで確認することはしない大介は、自分の中の想定と、実際のピッチングを比べてくるだろう。
そう考えて西郷には、初球にカーブを投げた。
落差の大きいカーブは、盗塁を阻止するためには、投げにくいボールである。
遅い球なのでごくわずかに送球までも遅くなるのと、捕球の体勢が崩れやすい。
西郷にとっては拍子抜けの球だったかもしれないが、大介がランナー一塁ということで、初球は振ってこないだろうと思っていた。
ここで急遽、打てると思って打ちに行ってしまうと、力んで凡退になるというのがパターンである。
大介はグリーンライトの持ち主であるので、好きなときに盗塁してもいい。
ただし普段は、盗塁しても一塁が空くだけであれば、西郷の敬遠を誘うだけとなっていた。
だがこのバッテリーは、西郷が相手でも逃げてこない。
だから走れるものなら走るだろうと、西郷は判断したのだが。
今の球は西郷なら打てたのでは、と思った大介は、みょんみょんとサインをバッターとベンチに送る。
走らないよ、のサインである。
なんだその変なサインは、と樋口は思った。ちなみに直史はそちらを見ていなかった。
ストライクカウントを一つもらえた。
西郷を相手にするならば、大介を二塁に進めてでも、ファーストストライクがほしかったのだ。
二塁までは仕方ない、とこの場合は考える。
三盗させたら罰金などという制度はレックスにはないので、ツーストライクまで追い込めたなら、三塁まで進ませてもいい。
大介がわざわざ出したあのサインは、次に走るというつもりのものなのか。
あるいはもう走らないので打っていけというものなのか。
当然ここは後者のつもりで考える。
どのみち西郷が相手でも、ゾーンで勝負することは決まっているからだ。
内角ベルトの高さから、すぽりと落ちるスプリット。
西郷はアウトローより、インローの球の方が苦手だ。
詰まった当たりの打球は、それでもレフトの守備範囲にまで飛んでいった。
普通の外野フライで、スリーアウトチェンジとなった。
パーフェクトを消してしまった小此木がベンチの隅に座ると、その隣に樋口が座る。
小此木にとっては恐怖であるが、直史がネクストバッターサークルにいるので、オセロのように挟まれる心配はない。
「よくやったぞ」
そして樋口にはもちろん、小此木を責めるつもりはない。
「あれは普通ならライト前に転がってヒットだったんだ。それを止めたからエラーで済んだ。ノーヒットノーランの可能性を残したファインプレイだよ」
聞き耳を立てていたベンチのメンバーは、ホッとしたものである。
「そもそもピッチャーの評価は三振、四球、ホームランの三つの要素しかないとも言われてるしな」
内野ゴロは方向次第で、強烈なものでも野手正面のゴロになる。
外野への当たりのいいライナーでも、正面に飛んで普通のフライとなる。
さすがに大介がよく打つような、フェンス直撃のヒットなどは別かもしれないが、ノーヒットノーランなどというのは、偶然の要素が強いものだ。
直史の考えを、ちゃんと樋口は分かっている。
「お前は今日、貴重な追加点のホームを踏んだからな。パーフェクトを消したんじゃなく、ノーヒットノーランを守ったと考えればいいんだ」
そして切り替えろ、と言っておいた。
樋口も次の打席が回ってくるな、とネクストバッターサークルに向かったわけだが、目の前でスリーアウト。
これで最終回の先頭打者は樋口となる。
小此木もグラブを持ってセカンドに向かおうとするが、そこでも直史と目が合う。
「切り替えていけよ。別に完封さえすれば、それでいいんだし」
いや、パーフェクトゲームを逃したという点では、直史がどうこうではなく、話題として純粋にもったいないのだが。
一生夢に見るというほどではないが、そこそこのトラウマになった小此木であった。
それでも、あとは楽なものであった。
西郷をしとめていたため、残りのバッターに要注意の者はいない。
球数を制限しながら、直史はライガースのバッターを打ち取っていく。
九回の表など、先頭打者の樋口は、完全に打つ気を見せない。
勝負はもう決まったのだ、と態度でアピールしている。
そしてライガース側も、おおよそそれは分かっていた。
あれは本当に、いったいなんなんだ。
よりにもよってリーグナンバーワンであるライガース打線が、一本のヒットも打てていない。
ヒット性の打球のはずも、それがなぜか野手の正面であったり、今日にしてもヒットかと思ったらエラーと判定されたり。
何か呪いのようなものがあるのだろうか。
試合は終幕へと向かっていく。
そしてその時は訪れた。
最後のバッターになった毛利はセカンドゴロで、小此木はミスもなく処理する。
ファーストのエラーもなく、レックスは勝利した。そしてそれも、ただの勝利ではない。
打者28人に対して103球の12奪三振。
無安打無四球一失策で、ノーヒットノーラン達成。
大介のあの粘りがなければ、球数もさらに少なかっただろう。つまるところ100球以下に抑えることが出来たであろう。
贅沢すぎる考えだと言っていい。
ともあれ今季、三度目のノーヒットノーラン。
人間じゃないだろう、と言われるのにも慣れてくる直史である。
圧巻のパフォーマンスであった。
大介の当たりはヒットになってもおかしくなかったが、あそこでエラーで済んでしまうのが、何か邪神の加護を感じさせる。
完璧なピッチングは見られなかった。
それでもこの甲子園球場で、野球史に残る記録は達成されたのだ。
「大介のやつが粘らなけりゃ、もっと楽だったのにな」
そう言って水分補給をした直史は、敵地でのヒーローインタビューに呼ばれるのであった。
甲子園の観客の拍手は暖かかった。
×××
※ 飛翔編34話に続く。
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