第20話 控えめな男

 今年のレックスが強い理由はもちろん一つに、化け物が化け物をしているからである。

 ただ冷静に分析しなければいけない人間は、ちゃんと他の要因も調べている。

 そして気づく。リリーフ陣が完全に機能していると。


 今のレックスは主に七回に豊田、八回に利根、九回に鴨池という、セットアッパーからクローザーまでのつながりが出来ている。

 これが一度もリリーフに失敗しておらず、またやや長いイニングで点差があった場合、星が使われたりもしている。

 そろそろ吉村も二軍で上手く調整できてきて、先発ローテに復帰できるだろう。

 そう考えているレックス首脳陣であるが、贅沢な悩みに果てはない。

 吉村は先発タイプのピッチャーだ。肩肘の消耗は大きく、リリーフに使うのは難しい。

 

 先発とリリーフ、それぞれのピッチャーのポジションなどを考えて、適材適所で扱わなければいけない。

 だがどちらかの適性を全て持っているものは少なく、どちらかを騙し騙し使っていくことになる。

 その上であえて言うならば、リリーフの中でもセットアッパーに決まっていない中継ぎは、一番選手寿命は短い可能性が高い。


 単純に消耗の問題だ。先発と比べてみればいい。

 NPBの主流の中六日では、一度に100球から120球を少し超えるぐらいまで投げさせて、そこから六日間休む。

 もちろん個人差というのはある、

 だが中継ぎのピッチャーはブルペンで肩を作り、ピンチの場面でも投入されることが多い。

 一イニングだけに限定しているわけではなく、回跨ぎの場合もある。

 週に一度100球ちょいを投げる先発ローテピッチャーと、下手をすれば年に50登板する中継ぎ。

 肩を作る負担まで考えれば、リリーフのピッチャーで選手寿命が長いピッチャーが、少ない理由も分かってくるだろう。


 吉村はそんなわけで、本来なら肩を作る早さもあってリリーフにも向いていそうなのだが、回復力と耐久力に問題があるのである。

 たら彼を先発に持ってくるとなると、誰を外すことになるのか。

 今の時点で既に、金原と武史がサウスポーである。先発六枚のうち三枚が左というのは、偏っていそうで現代ではあまり偏っていない。

 ならば誰を吉村の代わりに外すのか。


 今のレックスは強いて言えば、左の中継ぎに強いのがいない。

 だが吉村以外にも、金原も武史も先発タイプだ。

 サウスポーでしかもサイドスローの大卒投手越前を獲得したのは、そのあたりにも理由はある。

 すぐに必要なわけではない。

 シーズンの終盤、あるいはシーズン終了後。

 ライガースに、大介に当たるときに、一打席でも抑えてくれるサウスポーがほしい。


 


「いつまで続けるつもりだ?」

 三度目の先発を前にして、直史は愛知県に来ている。

 当然ながら目的は、アウェイでのフェニックス戦で先発するためである。

 軽いランニングの後、柔軟体操やストレッチをしている時に、樋口がそう声をかけてきた。


 何が、とは問い返さない。

 長年の付き合いでもあるし、直史と樋口は思考法が似ている。

 続いていることは、直史の無安打記録、あるいは無失点記録。

 樋口にとってそれは、必要のないものだ。

 だが直史にとっては、やれる限りはやってしまうのかもしれない。

 いくら似ていてもピッチャーとキャッチャーは、人間としての方向性が違う。

 直史は例外かもしれないが。


 そんな直史の生み出している記録も、いずれは途切れる。

 今はまだシーズン序盤で、直史の状態も完璧に保たれている。

 だが半年に及ぶシーズン、いくら直史が気をつけていても、外部的な要因からバイオリズムの低下などは起こりうる。

 それまでずっと今の調子を維持し続けるのか。

 上杉も武史も化け物だが、完封を延々と続けていけたわけではない。

 肉体的な素質ではその二人に劣る直史にも、いつか必ずパフォーマンスの低下は訪れる。

 またパフォーマンスの低下とは違うが、直史はそもそも一シーズンを戦ったことのないルーキーだ。


 上杉や武史は、一年目のシーズンから無敗の記録を作った。

 だがもちろん失点はしている。

 二人とも先発であるため、実は連続無失点記録を試合の方では作っていない。

 またイニング記録も作ってはいない。

「お前のことだから、無意味にそんなことは目指さないだろう?」

 樋口はそこは信頼しているが、意味があればやってのけるのが直史である。


 もちろんあった。

 直史がプロに来た理由は、パーフェクトを達成することでも、記録を作り続けることでもない。

 大介と対決し勝つことだ。

 ただここでまた、ピッチャーとバッターの勝負の問題が出てくる。

 チームスポーツなのだから、勝ったチームが勝ちだと考えれば簡単なのだが、野球に限れば話は別だ。

 いや、ピッチャーとバッターに限れば、と言うべきだろうか。


 かつて上杉は、試合に負けて勝負に勝った、と言われた。

 白富東も似たような評価を受けたことだある。

 即ち直史が目指すことは、ある意味単純である。

 大介との対決を制し、さらに試合にも勝ち、チームは優勝して日本一になる。

 全部やって初めて、勝ったことになるだろう。

 だがその決着からまた、次の勝負へとつながっていく。




 今日のフェニックス戦、直史は全力で投げるつもりはない。

 なぜならフェニックスは、既に一度叩いている上に、リーグ優勝で激しく争う可能性は高くないからだ。

 純粋に勝ち星だけ重ねれば、それでいい。

 次に本気を出すのは、スターズかライガースと当たった時だ。


 五球団全てを相手に、圧倒的な力を見せ付けて制圧する。

 だがカードの対戦の関係上、まだ直史が対決しているのは三チームだけだ。

 ここからフェニックス、タイタンズと戦って、その次がスターズ。

 特に注意するべきは、上杉が一点も取れないようなピッチングをしてくるスターズと、大介が問答無用の一発で点を取ってくるライガースの二チーム。

 スターズと対戦すれば、その次がいよいよライガース戦での先発となるローテーションである。


 直史の与えられた使命は、大介と戦うことである。

 全く、自分と戦うための敵を召還するなど、大介のバトルジャンキーっぷりにはキリがない。

 ただそれとは別に、直史も考えてしまう。

 自分と上杉が投げ合えば、どういう結果になるのかと。


 おそらく、ではあるが想像はつく。

 シーズン中の一戦にすぎないとか、引き分けてしまってもいいとか、そんなことは考えない。

 あの上杉と、今度は本気で投げ合うのだ。

 直史としても、改めて上杉のことは聞いておきたくなる。


 ピッチャー脳だな、と樋口は感じる。

 どうしても勝負を避けられない、ピッチャーの持つ資質。

 強いバッターとは勝負したいし、凄いピッチャーとは投げ合いたい。

「まあ上杉さんに勝てれば、チームも勢いづくとは思うが、一点取れるか?」

 直史の質問に、頭を悩まされる樋口である。


 実は去年のレックスは、シーズン中に七度も上杉の先発と対戦している。

 カードの組み合わせから、あくまでも偶然にそうなったものだ。

 そして結果は、全敗。

 七度も挑んで、一度も勝てなかった。


 そもそも去年も戦線離脱期間があったにもかかわらず、普通のローテ並に投げて、一度しか負けていない。

 圧倒的な成績を残した武史も、一度も上杉には当てていないのだ。

「いくらなんでも人間離れしすぎてるんだよな」

「お前が言うな」

 即座に樋口からツッコミが入ったが、直史は体力的にはあくまでも常人の範囲だ。

 だからこそ球数などを制限して、体力の消耗を防いでいるのだ。


 上杉と勝負する。

 今のところはまだ機会がないが、スターズとしても直史を止めるために、当ててくることは考えられる。

 レックスは中六日が基本で、スターズも本来ならそうだ。

 ただ上杉だけが、基本中五日、場合によっては中四日で投げてくる。


 そんな上杉の話をしている間に、直史はもう一つの話をしようと思った。

「スターズの打線が弱くなりすぎたの、上杉さんのせいだよな?」

 元は同じ高校の恩人であったために、樋口は苦い顔をする。

 スーパーエースがいれば、そのチームの打線は弱くなる。

 統計的には確かに、スターズは打線が弱いチームで、補強もさほど成功していない。

 もしもスターズにレックス程度の打力があれば、上杉やスターズの他のピッチャーは、もっと勝っていてもおかしくない。


 高校時代からそうだった。

 上杉は必ず相手の打線を抑えてくれるから、なんとか一点を取ればいい。

 無茶苦茶な考えのようであるが、実際にそれで甲子園の頂点までは行けたのだ。

 今の上杉もやはり、頼りがいがありすぎて、スターズの打線陣をスポイルしているのではないか。

 入団初期はともかく、確かにこの数年のスターズは、打力の衰えが見られる。

 もしもそれがレックスでも起こったら、という話だ。




 武史の場合は、危なっかしさが逆にいい方向に働いている。

 こいつを信用しきってはいけないという緊張感から、打線は積極的に点を取っている。

 だが直史の場合はそうではない。

 武史とも違った、まるでフォアボールのランナーも出さない、異常なまでの記録。

 これがやがて打線に、悪い影響を与えるのではないか。


 ただ直史としても、わざと点をやることなど考えない。

 シーズン後半にかけてバッターと対決するために、今は打たせてでもデータは取りたいのだ。

 ただし失点まではしたくない。

 このわがままな要求に応えるようなキャッチャーは、さすがに日本でも樋口しかいないだろう。


 このフェニックス戦の三連戦カード、直史は打たれてもいいと思っている。

 ただしそれは単打か、運の悪い長打まで。

 そしてホームランは防ぎ、点は取られたくない。

 無茶苦茶な要求であるが、直史の制球力と球種、そして樋口の頭脳があれば、それは出来るのだ。


 わざと打たせてチームの緊張感を失わせない。

 どういう考えだと樋口でも思ったりするが、一つ気になることはある。

「連続ノーヒットノーランとか狙わなくていいんだな?」

「そんなのは絶対にいずれ途切れるから、今のうちに途切れてくれたほうがいい」

 なるほど、すがすがしいまでに結果主義なところである。




 この日、フェニックスは腰が引けたバッティングをしながらも、それなりに直史の球を打っていった。

 だがあくまでも計算された、せいぜい単打までになるようなコンビネーションである。

 ショート緒方と、やらかした村岡が、逆にハッスルしたせいで、なかなかヒットが出なかったりもした。

 しかしそれでも、その時はやってくる。


 七回の裏、この日も無四球の直史は、ツーアウトまではあっさりと取ってしまう。

 中途半端に打たせるというのも、それはそれで難しい。

 完全な舐めプを、真剣にしているというこの矛盾?

 さすがに集中力が偏ったところで、打たれた球はライト前ヒット。


 ツーアウトからランナーが出たら、次が四番でもそうそう点は入らない。

 そもそも既に試合自体は、レックスが七点リードと、圧倒的に勝っている。

 分かっていたことではあるが、内野の間を抜けていくゴロではなく、ライト前のクリーンヒット。

 スタンドからの大きなざわめきが、少し神経に障った。


 その後は四番打者を三振で打ち取ったが、なぜかベンチに戻る直史には拍手が送られた。

 どういう意味の拍手であるのか、直史には分からなかったものだ。

 ただ、周囲の人間には分かる。

 それは畏敬というものに似ていたのだろう。

 人間離れして、33イニング無安打だった直史。

 それがやっとヒットを打たれて、天上の存在から分かりやすい人間に変わったとでも言うべきか。


 ベンチの中では木山が、心配そうに直史を見ていた。

「佐藤、どうする? 点差もあるし、交代してもいいんだが」

「せっかくだからリリーフ陣には休んでいてもらいましょう」

 打たれて大記録が途切れた現実など、全く意に介さないという落ち着き。

 普通にノーヒットノーランなどをしていたピッチャーでは、ここで一気に落ち込んだりするのだが。


 木山は忘れたのだろうか。忘れられたならむしろ幸いである。

 佐藤直史は、完全試合をすることに慣れている。

 世界で唯一の変態的な投手である。




 結局この日は、さらにもう一本のヒットを打たれて、直史の無安打記録は途絶えた。

 それでも完封して、早くも四勝目がつく。

 打たれたのに全く動ぜず、そのまま投げ続けた直史。

 少しは崩れてくれるかと、期待していたのはフェニックスの選手たちである。


 三試合連続の完封となる。

 だがヒーローインタビューでは、特に強がったりも悔しがったりもしない。

 そこにある事実をそのままに認める。

 それが佐藤直史という人間なのである。


 ちなみにフェニックスはこの三連戦で、一勝だけはすることが出来た。

 三タテというものは食らわずに、わずかにレックスの勢いも止まったかに思えた。

 ただそれは誤りであった。

 日程の関係上、次に中六日で投げてもらおうとすると、その日が休みなので中七日か、中五日で投げてもらうことになる。

 直史がまたも100球以内の完封をしていたので、首脳陣としては「いけるか」と聞いてみる。

 すると直史は「行きましょう」となるわけだ。


 三連戦で、一戦目に武史、三戦目で直史と対決することになった悲惨な球団は、巨神タイタンズ。

 やたらとレックスにひどい目にあうのは、東京の人気のある方だからであろうか。

 直史や樋口は、今年の状態のいいチーム、ライガースとスターズに、早く当たっておきたいのだが。


 ライガースでは大介が、例年にも増してすごい勢いで、ホームランを量産している。

 あの69本を打った年から、大介への敬遠や四球はまたも増加した。

 今年にしても逃げられることは多かったのだが、それを除けばホームランにしてしまう確率が高い。

 それでもまた逃げられてしまうのだが、すると今度は盗塁をして、西郷が返してくれる。


 野球で一番なのはピッチャーだと言われる。

 それが正しいかどうかはともかく、レックスとライガースは、スタートダッシュに成功している。

 三位争いはスターズになるのかフェニックスになるのか。

 どちらかは分からないが、また二強の蹂躙するシーズンとなる気配がしていた。

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