第18話 好敵とはまだ
開幕戦の勝利の際に、大声を出して駆け寄ってきたナインも、今度はどこか畏怖するような、それでも憧れるような、複雑な表情である。
ただ樋口だけは、いささか皮肉めいてはいるが、唇を笑みの形に持ち上げていた。
神宮のレックス側応援席では、鳴り物をガンガンと、近所迷惑なぐらいに鳴らしている者もいるが、止めようという者もいない。
(そういや今、何時だったかな?)
かなりサクサクアウトを取っていったので、まだまだ九時にはなっていないと思うが。
ヒーローインタビューの壇に二試合連続で立ったわけだが、むしろインタビュアーの方が緊張しているかもしれない。
甲子園の頃からすれば、確かに直史は慣れたものである。
だがパーフェクトピッチャーに対してのインタビューをするなど、インタビュアーにしても一生に一度あるかどうかだろう。多分一度もない。
『おめでとうございます』
「ありがとうございます」
『今度こそ、という形で記録となったパーフェクトですが、今の実感はどうですか?』
「いえ、特には。別に優勝したわけでもないんで」
『そ、そうですか。序盤はあまり三振もありませんでしたが、どのあたりからパーフェクトを意識しはじめましたか?』
「意識というか、最初からパーフェクトは目指していて、点差が二点になったあたりからは、むしろ一点ぐらい取られても大丈夫だな、と思うようになりました」
『あ、う、そうですか。途中からはむしろプレッシャーがなくなったということですかね。ええと、このことを誰にお伝えしたいですか?』
「誰というわけでもないですが、妻が見ていてくれてるはずですので、あとは家族や友人が見ていてくれてたら、嬉しいですね」
そんなところだけは人間っぽい直史である。
あいつ、そんな人間らしいところあるんだ、と多くの球界人が思った。
知ってる人間は既に知っているが。
「ああ、つい忘れてましたが、いつも組んでくれている樋口選手には感謝を。おおよそ彼のリード通りに投げてるだけなんで」
樋口のリードに完全に応えられるのは、おそらく世界で直史しかいないだろう。
なおリアルタイムで視聴していた瑞希は、旦那のかっこよさにくらくらしていた。
真琴ちゃんがおっぱいを欲しがって泣き始めて、ようやく正気を取り戻したが。
かくて神宮は伝説の舞台となった。
9回27人96球11奪三振。
無安打無四球無失策。間違いようのないパーフェクトゲーム。
プロの一軍初先発でパーフェクトゲームはもちろん史上初。
そしておそらく、二度となされることはないだろう。
ましてその前にリリーフでも、パーフェクトリリーフを達成しているのだから。
さすがに今回は飲みに行くぞ、と連れ出された直史である。
とは言っても注文はしっかりつけたが。
「禁煙の店で。あと俺は飲まない」
つくづくブレない男であるが、結局は飲むことにもなる。
なぜか武史までやってきていて、いやお前はちゃんと帰って妻子と一緒に過ごせよと直史は思うが、兄の快挙を喜ぶぐらいならいいだろうと言われた。
直史の金銭事情を知っている者で、年上の選手たちが金を出し合う。
酒よりは飯だと、歓楽街に連れて来られた。
「肉だ肉だ肉だ」
直史自身は飲まないが、周囲は飲んでいる。
なお佐藤家は体質的に、ものすごく酒に強い。
なので武史などはパカパカグラスを空けているが。
直史は飲めるが、別に好きなわけではない。
正月や盆には親戚の集まりで飲むが、アルコールは脳に悪いと信じている。
それと飲むなら日本酒の方が好きなので、こういう場所では食べるのが主になる。
食事に関しても直史は、バランスの取れたものを念頭に置いている。
ガツガツと肉を食べるのはあまり好みではない。
付き合いでやってきている選手たちは、明日も仕事があるのだが。
そう、試合は仕事だ。
それに向けて万全の調子を整えないというのは、直史にとってみれば怠慢にも思える。
「お前はストイックすぎる」
樋口はそう言うが、節制はしているが禁欲はしていない。
ただ、欲望を解放するより先に、もっとやらなければいけないことが多すぎるだけだ。
こんな場所であるが、直史は西片と話をする。
西片はチームでは愛妻家として知られていて、中学からの同級生と結婚したという、一流野球選手にとっては珍しいタイプだ。
ただ奥さんの写真を見れば、一般人としてはかなり可愛い。
そして今では三人の子供のパパである。
「ローテに入ったピッチャーはうらやましいよ」
そんなことを言ってくる。
「日曜日の運動会とか、俺も見に行きたいんだけどなあ」
現在は上の子供は、女の子で中学生と、微妙な年頃である。
ただ世間の平均からすると、かなり父親との関係はいい方であるらしい。
「まあそれも俺が、テレビに出て頑張ってるのを見せてるからだろうな」
「なるほど」
直史が引退したころには、まだ真琴は小学生に入る前。
かろうじて記憶には残るだろうが、その意味までは分からないだろう。
人間として生まれたからには、娘には頼られる父親でありたい。
お父さんの下着と一緒に洗濯しないで、などと将来言われたら、悲しい気分になるだろうなと思う直史である。
想像するだけで胃がキリキリしてきた。
今はまだ寮に暮らしていて、生活の中に家族がいない。
だが来年からはマンションを借りて、一緒に住むことになるのだ。
しかし生まれてからしばらくの間であったが、大変なのは充分に分かっている。
赤ん坊というのは特に乳児期の初期には、昼夜関係なくむずがっては泣き喚く。
げっそりとしている瑞希の代わりに、ちゃんとオムツやミルクなど、交代でやっていた直史である。
武史のところも大介のところも、子育ては大変、というところでは一致している。
大介のところは女親二人がかりで、大介は泣き声でも目を覚まさないので、あまり影響がないようであるが。
パーフェクトを達成したその夜に、子育ての大変さを先輩選手と語り合う。
これが佐藤直史という人間であった。
シーズン序盤からそんなにお祭り騒ぎで大丈夫なのか、と最初は思った直史である。
ただあのパーフェクトリリーフから続く二連戦、タイタンズは完全に戦意喪失していた。
特に打線陣は三試合で一点も取れずと、ピッチャーのいいレックスを相手にしても、さすがにひどすぎる有様であった。
それと同じことが、フェニックス相手にも起こった。
へろへろのスイングで、まともなヒットが出ない打線。
そしてレックス打線はタイタンズの時以上に、圧倒的な攻撃で得点していく。
二戦目の金原も、三戦目の佐竹も、完全に相手を呑んでかかっていた。
おかげで大差がついた状況で後ろのリリーフ陣につなげられたので、ホールドやセーブがつかなかったりする。
そのまま完封を狙わせてもよかったのではないかと思うが、そこは球数で首脳陣が判断する。
二人ともハイクオリティスタートを決めているので、査定上も問題はないのだろう。
レックスは八勝一敗という好スタートを切っていた。
負けた試合は上杉の投げたスターズ戦だけで、それは織り込み済みの負けであったと言っていいだろう。
プロの世界では、投手の分業制が進んでいるが、それでもピッチャーというポジションの重要性は高い。
だがシーズン100試合以上を戦うプロの世界では、一人のピッチャーがチームに貢献する割合は、アマチュア野球と違って低いはずであった。
だが上杉や、そして直史のようなほぼ超自然的な怪物が存在すると、チーム全体の勢いがついていく。
神宮球場での九連戦の後、今度はアウェイでの九連戦となる。
だがこの勢いをそのままにぶつけられたら、と思ったが相手が悪かった。
最初の三連戦が、大阪ライガースが相手であったのだ。
レックスも高い防御率を誇るコーエンが先発であったのだが、対するライガースもエース格である三年目の阿部を出してきた。
ローテ投手である直史は、次の登板は広島であるので、寮にいる。
他の選手と共に試合を見ていたのだが、思わずうめきそうになる。
ここ数年間は勉強や試験や結婚などで、あまり高校野球をチェックはしていなかった直史であるが、阿部の名前はさすがに知っている。
甲子園には未出場の無名校出身ながら、ライガースとレックス他四球団が競合した本格右腕。
大舞台の経験が全くないはずのそのピッチャーは、既に充実していたライガースにおいて、一年目から先発ローテーションの一角を担うことになった。
ストレートは160km/hを軽くオーバーしてくるが、決め球はスプリット。
わずかに左右に動いたり、あるいは落差が変化したりと、打つ方が絞れないスプリットを投げる。
もちろん樋口と一緒に分析などはしていたが、今のレックスが全く点を取れないところを見ると、本当に怪物というのは、コロコロと出てくるのだなと感心してしまう。
「コントロールがすごいな」
寮のテレビで他の選手と一緒に見ていた直史は、そんな感想を述べる。
高めから低めに落としたり、低目からゾーンを外したりと、変化球のコントロールがこれだけ素晴らしいのは珍しい。
「こいつ、なんで甲子園に行けなかったんだっけ?」
「球数制限に引っかかったらしいですよ」
「俺の頃はまだしもゆるかったんだけどな」
直史としてはそう述べるしかない。
球数制限があっても、地方大会ならば、充分に一人のエースで勝ち抜く可能性はある。
打撃がコールド勝ちを連発すれば、決勝までの全試合を投げることが出来るのだ。
ただ阿部のチームは公立校で、完全なワンマンチームであったという。
「そもそもなんで強豪校に入らなかったんだ?」
「プロに行くつもりはなくて、医者を志望して進学校に入ったんですよ」
割と常識的な話であるのだが、直史は知らなかった。
試合はライガースが五点差をつけて、阿部は無失点のまま八回でお役御免。
その後レックスは最終回に一点を返したが、焼け石に水であった。
「球数120球でマウンドを譲るのか」
直史の価値観からすると、完封してしまったほうが、逆転の可能性は低くなるように思える。
リリーフピッチャーでもこの点差では、セーブがつかない。
「怪我して以来、かなり厳密に球数は制限してるみたいです」
わざわざ解説してくれる小此木であるが、そういえばこいつも関東のチームの出身であった。
「高校時代に当たったことはあるのか?」
「いや、向こうが二歳上でしたから、試合で対決する機会はなかったですね。ただ先輩たちが練習試合で散々な目にあったのは聞いてますけど」
同じ関東でありながら、わずかな年代の差で、対決しないことはある。
プロならばその夢の対決が実現するというわけだ。
ただし直史のローテとは、向こうが当たらない気がするが。
大介はこういう気分だったのかな、と直史は想像する。
高校時代には実現しなかった、上杉との対決。
プロの世界で戦うというのは、世界が広がっていくということだ。
「なんだかんだ言って、毎年のように怪物ピッチャーっていうのは出てくるものなんだな」
そう呟いた直史に「あんたが言うのか」という視線が集中したものであった。
ここまで破竹の勢いであったレックスが、ライガースとの三連戦では負け越した。
それでもどうにか三タテをくらわなかったあたり、レックスも苦心している。
やはりライガースは、打撃のチームだ。
もちろんピッチャーも揃っているが、真田が今年で国内FA権を得る。
優勝の喜びは知っていても、タイトルを取れていない真田が、パに移籍する可能性はそれなりに高い。
ただ育成から生え抜きの山田など、まだまだライガースはピッチャーを揃えている。
次の対戦相手は、アウェイの広島カップスである。
広島新市民球場で行われる試合に、直史は一足先にホテルへ到着。
翌日にチームとは合流したのである。
首脳陣に樋口たちキャッチャーを加え、ミーティングに入る。
今まではホームの試合なので意識しなかったが、移動したその日の晩に試合というのは、かなり厳しいものがある。
なんだかんだいって直史は、プロの世界の試合しか見ていなかった。
だがこの移動の手間というのも、けっこう大変なものである。
「阿部ってやばいピッチャーだな」
「そりゃ甲子園にも出てないのに、うちを含めて四球団が取りにいくぐらいだからな」
それでもまだ、直史に比べれば常識的な範囲の化け物だ。
成績を見るに真田とほぼ互角ぐらいであるのか。
負けた試合を忘れるわけではないが、それは横に置いておいて、今日の試合のことを話し合う。
シーズンは長いので、下手に引きずるとタイタンズやフェニックスのようになる。
ライガース戦、三戦目を取れたのは、その切り替えが上手くいっているからであろう。
それにパーフェクトをされることに比べれば、ダメージは少ない。
このプロの移動のパターンを見て、直史は本当に、キャッチャーが大変だなと考える。
ミーティングはもちろん他のメンバーも一緒に行うが、キャッチャーと先発は特に集中して思考する。
中六日が空く先発ピッチャーは、まだマシであると言えよう。
(長くいい成績が残せるチームは、キャッチャーが安定しているのかな? けれどスターズは上杉さんが入るまで最下位常連だったし、ここのところAクラス入り固定のライガースは、キャッチャーが固定されていないし)
キャッチャーの重要性を確認するのと同時に、キャッチャーが良くても勝てない事実を発見し、不思議に思う直史である。
レックスとしては宿敵ライガース相手に、遅れを取ったという気分が強い。
三戦目でなんとか勝ったものの、あちらもローテが固定されていないピッチャーとの対決であった。
それでも勝ったことには間違いないので、三タテを食らったのとは気分が違う。
ここでもしっかりと勝ち越して、もう一度勢いをつけたい。
(三連戦の頭のピッチャーって、大変なんだなあ)
自分がそうであるにもかかわらず、そんな風に感心するのが直史であった。
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