第16話 永遠の記憶
タイタンズは打撃面での補強のため、他球団からFAで獲得していた四番打者がいたのだが、ポジションがかぶるために渋滞となっていた。
この四番打者軍団を、最終回の下位打線では、代打攻勢で使うことが出来る。
まだ希望は残されている。
そう思っていた人間は、案外多かったかもしれない。
ただここは神宮球場。
佐藤直史のパーフェクトピッチングを、見慣れた観客も少なくはない。
九回の表、この日27人目のバッターが打席に立つ。
去年福岡から移籍してきた末次は、パでは毎年30ホームランを打つ強打者であった。
しかし移籍一年目の早々に戦線を離脱し、外国人などでその穴を埋めたため、あまり活躍が出来なかった。
今年もベンチ入りはしたもののスタメンはつかんでおらず、この切り札とも言えるバッターを、タイタンズは送り出す。
現実は無情である。
直史はこの日初めての、スルーを投げた。
そしてそれを、末次は打つことが出来なかった。
後から気づかれたことだが、リリーフピッチャーの19奪三振は、当たり前のようにNPBの新記録であった。
打者26人に対して、球数94 奪三振19 無安打無四球無失策。
内野ゴロ五つに、内野フライ二つ。
樋口が盗塁を刺殺したため、直史は26人としか対決していないという、奇妙な数字にもなった。
このためリリーフで27アウトという記録にもならず、パーフェクトリリーフという単純な言葉しか対応しない。
ちなみにこの後、直史は何度もパーフェクトリリーフを達成してしまい、そのたびにネットやSNSでは「ナオる」という言葉が使われ、その最初の事例として、この試合は何度も振り返られることとなる。
直史にとっては不本意なことであろう。
この結果を見たり聞いたりした人間の反応は様々であった。
まず瑞希は、夫の初登板になるであろう試合ぐらい、見に行くべきだったと後悔した。
その両親は婿殿の規格外さに開いた口がふさがらなかった。
「あう~」
真琴ちゃんはまだ喋れない。
三連戦では三日目の先発の予定の岩崎は、自宅でそれを見ていた。
「やっぱりナオ先輩ってすごいね~」
「すごいとかじゃなくて、化け物の類だよ」
嫁の感心の仕方が生ぬるくて、己の非才ぶりを嘆いたりもする。
「対決するバッターの方がより大変か」
ピッチャー同士の投げ合いでは、対決したくないと思う。
他にも様々な人間が、これを見ていた。
また後に聞くことになった。
野球関係者はほとんどが、何度も確認しては、かつがれているのだと憤慨した。
ある程度知る者は、もはや脱力して全てを諦めた。
中には対決の日を待つ者もいる。
上杉は九回、相手の最後の攻撃を封じるためのマウンドに向かう前に、それを聞いた。
一年目に二度のノーヒットノーランを達成している上杉だが、これはそれよりもずっとひどい。
武史のデビュー戦も驚愕したものであるが、兄はその弟の上を行く。
特に上杉が注目したのは、その球数だ。
一人は樋口がアウトにしたが、それでも26人。
94球でパーフェクトに抑えるというのは、おそらく自分でも出来ない。
ピッチャーとして、武史に負けたシーズンもあったが、それでもおおよそのピッチャーには圧倒的に勝ち越している。
その自信が持てないピッチャーなのだ、直史は。
レックスは基本的に、上杉にはあまり武史を当てないようにしている。
勝率が九割を超えるピッチャーで、星を潰しあうのはもったいなさすぎる。
上杉から勝負を避けたことはなく、レックスがいじってくるのだ。
ただ、直史ならば。
世界大会でもなかった、自分と互角に投げ合える存在。
上杉の血は滾っている。
ヒーローインタビューでは、奇妙な大記録を達成したことの喜びはなく、ただ武史のことが心配であった。
脛の骨はかなり強度が高く、また複雑骨折はしにくい。
それでも罅が入っていたりしたら、一ヶ月は戦線離脱になるだろう。
だがそのあたりで既に、状況は分かっていた。
骨には影響はなかったが、純粋に打撲のダメージが大きい。
三日は安静にして、そこから経過観察。
一度は二軍に落として、そこで調整して10日から二週間ほどで復帰と目算がつく。
当の武史は、足の腫れる一日だけは入院。
それからは自宅で三日間のお休みということである。
重傷でなくて良かったと安心する直史であるが、おかげで少し気が緩んでいた。
「パーフェクトを意識しだしたのはいつからですか?」
そんな質問に、うっかり答えてしまったのだ。
「試合ではいつも、必ず勝つことを意識しています。なので二点差になってからは、ずっと一点は取られてもいいな、と思っていました。それにこれ、パーフェクトじゃないでしょう?」
確かに記録上、パーフェクトではない。
27人をアウトにしていれば、実質パーフェクトとも言えただろう。
しかし一人を樋口が、盗塁で刺殺しているので、直史が取ったアウトはあくまで26個なのだ。
あくまでもこれは、パーフェクトリリーフ。
扱いに困る記録を、プロ一戦目から残してしまった直史であった。
普通のパーフェクトよりも、よほど珍しいパーフェクトリリーフ。
奪三振の数も多く、球数は少なく、レックスのブルペンとしては、途中からは完全にリリーフの準備をやめさせていた。
「それに神宮ではパーフェクトなら何度もやってるので、相手が強かったということを除いては、それほどの感慨もないです」
それは確かに大学野球のチームよりは、プロのチームの方が強いのである。
ただそれを同列に扱って、語ってしまっていいものなのだろうか。
直史は正直に答えた。
プロ一年目のルーキーが、こんな記録を残してしまったことについても。
「ルーキーと言っても、もうすぐ27歳ですよ。それなら上杉選手が、一年目に二度のノーヒットノーランを達成したことの方が凄いでしょう」
比べる対象が、完全にレジェンドである。
ヒーローインタビューの後も、駐車場にまでマスコミは追従した。
だからプロは嫌なんだ、と直史は思ったものである。
マスコミだけならずファンまでもが出待ちして、警備員が大変に苦労している。
悪いことをしたなあ、とのんびり考えている直史であるが、この後のスマホにかかってくるメッセージなどを見て、またげんなりとした思いになったのだった。
レックスの試合が早く終わったため、直史の投球内容は、まだ試合中であったライガースにも伝わった。
先発が武史であると知っていた大介は、完投して直史の出番はないのではと考えていた。
あるいは大量点差になれば、その出場機会もあるだろうかと、考えたりもした。
だいたい事実は小説より奇なりという。
ただ直史であればそういうこともしてしまうかと、妙に納得もしたものだ。
周囲には他のライガースの選手もいて、何かの冗談かと思っている。
今日の先発として七回まで投げて、リリーフに託した真田も、おおよそ大介と同じ心情であった。
あいつなら、何をしてもおかしくはない。
だがこういった方向のおかしさは、考えていなかった。
真田が目下ライバル視しているのは、年齢が同じの武史である。
この数年は武史にわずかに上回れることが多く、その武史は開幕先発で、また今年も成績を争うのかと思っていた。
悔しいがピッチャーとしての力は、上杉は二人よりやや上を行く。
それが成績としてはほぼ拮抗するのは、チーム力の差であった。
特にライガースは打線の援護が強く、真田があまり打線に援護されないピッチャーだとしても、それでもスターズよりは援護は多かった。
「中六日だといつになったら当たるんだ」
大介はそれが気になったが、直史が今日の試合を九イニング投げたことで、ローテは変わってくるのかもしれない。
期待通りではなく、期待以上だった。
直史と樋口が組めば、大介相手でも勝負してくる。
その確信が持てる内容に、満足する大介であった。
この日、ライガースもまた、開幕初戦を大阪ドームをレンタルして行い、そして勝利した。
大介は二打席も敬遠されながら、二打数二安打二ホームラン。
ホームラン以外には興味がないとでも言わんばかりの、強烈な開幕戦の猛打であった。
レックスの選手は通常、ホームである神宮までは、自分で通勤する。
中には都内にマンションがあって、自転車で通う選手もいたりする。
寮に住んでいる選手の場合は、車を持っているならそれで通うし、なければタクシーか同じ寮の選手の車に同乗させてもらう。
直史の場合は一軍選手ながら寮生活という選手が他にいるので、それに同乗させてもらっている。
そのうち自分でも車を買わないといけないなとは思うが、この一年はどうしようか迷うところである。
記念に盛り上がろうぜという誘いを素っ気無く断り、帰りは一人タクシーの直史である。
直史はいいが他の野手などは、明日も試合であろうに。
木山から言われて直史は、六枚目ではなく、一枚目のローテに入ることになった。
次の登板は今度こそ先発で、神宮でフェニックスを相手とする。
タクシーの中で山盛り届いていたメールなどに、返信していっていると、寮に到着していた。
寮の選手たちは全員が玄関で、直史を迎えた。
「お疲れ様です!」
そろったように頭を下げるのは、何か仕込んでいたのか。
「お勤めご苦労様でした」
「違う。いや、違わないけど違う」
小此木のノリに付き合ってやりながらも、エントランスのソファにどっかりと座り込む直史である。
直史を見つめる視線は、ほとんどが憧憬で、わずかに嫉妬と羨望が混じっている。
オールドルーキーは年齢やブランクの危険など全く感じさせず、完璧なデビューを果たしたのだ。
ここでもまだ居心地が悪い直史は、自室に戻る。
ユニットバスに湯をためて、その間に電話をする。
「あ、うん、うん、うん、疲れた。まあそれは大丈夫だって。明日には退院するってさ。うん、だからローテに入る」
瑞希と話す間に、真琴のことも尋ねれば、今はもうしっかりと眠っているという。
その眠っている写真を送られて、自然と微笑む直史である。
プロの試合とアマチュアの試合では、一番違うのが時間経過であろうか。
アマチュアは交代などもさっさと行われるが、プロはかなりそれが長い。
ベンチでも色々と行われていて、直史がものすごく短縮しても、二時間以上はかかってしまった。
サインのやり取りが、直史と樋口の間はともかく、それ以外では長かった。
事前に聞いていたが、オープン戦よりも作戦タイムが長い。
なんとかもうちょっと短く出来ないものか、と考える直史である。
風呂に入って体を伸ばし、暖まった状態からストレッチなどをする。
やっと一人になったな、という感覚が湧いてくる。
速攻で家に帰った樋口はともかく、他のチームメイトは主役不在で、何を騒ぐのやら。
開幕戦ということは、まだ一試合が終わったばかり。
これからが長いシーズンであるのに。
この体にある疲労は、本当の肉体的な疲労ではないだろう。
おそらく拘束時間による疲労だ。
試合の中盤あたりから、タイタンズはどうにかして、直史のリズムを崩そうとしてきた。
だが無理な攻撃は、逆に自分たちのリズムを崩すこととなった。
直史は揺れない。動じない。
よってこの結果が導き出されて、周囲がごたごたと騒がしくなる。
緊急用の連絡以外の着信を消したスマホを置いて、直史はベッドに入る。
だいたい25試合ほどを、こうやって行っていくのか。
年間25試合だと考えると、意外と楽だなと思わないでもない。
先発ローテのピッチャーのルーティンは、おおよそ確立している。
だが直史は、その通りには動かない。
明日もまたチームの試合はある。
直史の力の及ばないところで、その勝敗が決するのだ。
(まあ明日は金原先発だし、あそこまでボコボコにしておいたら、あちらは立ち直れないか)
もっと楽に完封程度に抑えたほうが、精神的には楽だったろう。
だがシーズンを通して相手の士気を崩壊させるには、あれぐらいした方がいいのだ。
絶望と奇跡を与えたエースは、ゆったりとした眠りの中に落ちた。
翌日から、直史は忙しくなった。
事務所と球団との間で話し合いがあって、マスコミのインタビューは良質なものだけを、わずかに受けることにした。
直史自身は投げた翌日は、ランニングをしてから昼寝をし、軽く投げるという練習をしただけだが。
つまり直史が軽く投げたので、100球ほども投げたわけだ。
中六日というローテーションは、確かに現代のNPBの感覚では、一番合理的に思えるかもしれない。
だがMLBであると球数をかなり厳密に100球までにとどめて、そのかわりに登板間隔が短くなったりしている。
上杉の場合は100球以上投げて、中四日か中五日で投げているので、本格的に化け物である。
直史もそこだけは、とても真似できない。
先発ローテに入るということは、ある意味他の選手に比べると、ゆったりとしたペースで投げることが出来る。
直史の場合は年齢的に、ここから爆発的に成長することは考えにくい。
それでも今は、肉体的に全盛期に戻ってきたと感じる。
あとは経験を積んでいくだけだ。
直史はもちろん試合に出るわけではないが、ファームの試合でベンチ裏に入ったりなどした。
試合の間隔を、肌で感じたかったのだ。
二軍戦はセとパではなく、東西でそのリーグが分かれている。
わざわざ二軍戦に、そこまで移動などの金を使うわけにはいかないからだろう。
東が七チームあり、レックスは東北と二軍球場で対戦していた。
あちらのチームの選手が、二度見三度見をしてきたが、もちろんメンバーではない直史に、脅威を感じる必要はない。
いるだけでデバフがかかるという説もあるが。
東北にも淳をはじめ、直史の知っている選手はそれなりにいる。
だが今はおおよそ一軍に上がっているが、今日は出番がないらしい。
(二軍の試合っていいな)
ほどほどの観客がいて、もちろん両軍が真剣ではあるのだが、試合の勝敗よりは選手の調整に重きが置かれる。
五年もやるならばいつかは、ここで世話になることもあるのだろう。そんなことを思った。
ちなみにタイタンズは予想通り、この開幕戦で不調になり、三連敗した。
大介のデビュー戦でも壮絶に虐殺されたタイタンズは、SSコンビとは相性が悪いのかもしれない。
三戦目に先発した岩崎は、好投して負け投手にはならなかったのだが。
左右の強力なエースを一枚ずつに、投手陣には隙がなくなってきているレックス。
打線はそこまで協力ではないが、チャンスを確実にモノにする、勝負強さを持っている。
勢いとでも言うものを、しっかりとつかむのが、今のレックスの打線の強さだ。
開幕から五連勝したレックスを止めたのは、おおかたの予想通り、開幕戦から中五日で投げてきたスターズの上杉であった。
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