第9話 野球人は見た!
ドラフト会議自体は見ずとも、その情報を得た者は、テレビのチャンネル欄を探す。
どこかのテレビ局で、会見を中継しないものかと。
三球団が競合した選手などもいたが、おそらく完全に影が薄くなっている。
現在NPBの各球団の主力となっている者の多くにとって、佐藤直史の名前はそれほどのものである。
ネットのチャンネルが一つ、最初から完全中継などと言って、これを流すこととなった。
L字型に広告が出てくるが、これはとりあえず無料で見られるものである。SNSなどで急激に拡散していって、多くの選手がアクセスし、また普通に全国の野球ファンが、全世界への野球ファンへと広がり、中継のサーバーが落ちる――ことはなかった。
既に何度もそれを経験していたセイバーが、想定の五倍のサーバーなどを使えるようにしていたらしい。
MLBのシーズンが終わり、日本に帰国していた織田も、それを見ている。
「今さらか……」
現在26歳の直史は、27歳のシーズンと言われる年にデビューする。
そこからMLBに来るとしたら、FA権を取ってからなら現在は八年かかる。
ポスティングで少し早めになったとしても、32歳か33歳か。
メジャーリーガーとして一年目はマイナー落ちもしたが、この二年目は完全に居場所を確保した織田としては、もちろん直史の実力を疑ってはいない。
だが典型的な、メジャーでは通用しないタイプの日本人ピッチャーでは、とも思っている。
(どのみち、くることはないか。むしろ俺がNPBに出戻りしないように、努力しないとな)
織田にとっては、もう遠い世界。
NPBであればおそらく、直史は問題なく通用する。
ネットは広大であるが、その距離は近い。
アレクはブラジルから通信をつなぎ、何人かと対話をしている。
「でもモト、知ってたのに教えてくれないのはひどいよ」
倉田は数少ない、この件の秘密の共有者だ。
「まあ知ってたら俺なら、スカウトさんに絶対に取れって言っちゃってただろうな」
また違う小画面では、鬼塚もそう言っている。
アレクもまた、既に日本を拠点としてはいない。
ポスティングを使ってMLBに来て、一年を戦った。
織田よりもさらにスムーズに、MLBに適応した。
ただしその過酷さは、さすがに分かっている。
年間の全ての試合をスタメンで出ることは不可能であった。
鬼塚はかつての戦友が、違うステージに行ってしまったことが、嬉しくもあるし悔しくもある。
だがこうやって話し合えるのが、今の関係である。
単純に上ばかりを見ていれば良かった、あの頃とは違う。
上だけではなく下にも、そしてもちろん横にも競う相手がいる。
そして今回の場合は、頂上にいたはずの人間が、一番下からやってくる。
いや、一番下は育成だとすると、ドラ一はもっと上か。
おそらく年齢面を考えると、キャンプの段階で一軍帯同だろう。
開幕までには間に合うのか。
「実際どれぐらい戻ってるんだ?」
「う~ん、力自体は全盛期と同じだと思うよ。ただあとは試合感覚かな」
二年ほどもまともに野球をしていないのに、そこまで戻っているのか。
まあ倉田から聞いた限りでは、半年近くをトレーニングにつぎ込んでいるらしいが。
娘のために、というのも聞いたが、これは身内だけの秘密だ。
もっともこれからの会見で、明らかにされるのかもしれないが。
もしもマスコミが変に叩くことがあれば、全力で擁護するつもりの鬼塚だ。
ただ直史の場合、叩かれたら反撃して、逆に叩き潰す未来も見える。
三人は雑談を続けながら、その時を待っている。
ドラフトを肴に酒でも飲むか。
そんな鶴橋の声で、国立と北村が集まり、誘ったら秦野までやってきた。
そしてとりあえず乾杯しようとして、レックスの一位指名で、盛大にビールを吹きこぼしたのである。
会場となっていた北村の家では、妻の百合子がつまみなどを作りながらも、一緒になって驚いていた。
「佐藤君って弁護士になったんじゃないの?」
「そのはずなんだけど……」
北村は他の三人の顔を伺うが、そこには驚愕の色しかない。
なぜ、いまさら。
それが誰にも共通した認識であるが、秦野が一番先に気が付く。
「あの女が動いたかな」
レックスの経営陣にセイバーがいることを、彼は知っていた。
「ジンの親父さんに、いやジンに聞いたら何か知ってるのかな」
そういって連絡をしてみる北村だが、返信は遅い。
直史の大学時代のピッチングは、同じ大学生相手ではなく、日本代表相手の試合と、WBCでの試合を見れば、その実際の実力が分かる。
「また面白えことになってきやがったな」
鶴橋はそう言うが、直史にそれなりに触れていた他の三人は、理由が分からない。
「あいつ子供も生まれるから、下手な冒険は出来ないな、とか言ってたけど」
北村はごくわずかだが、直史にコーチなどをお願いしていた。
忙しい仕事の中で、わずかに白富東にやってきてくれる。
プロアマ協定に縛られない、直史の自由である。
直史の教え方は、まずやりたいことをやりたいようにやれ、というものだ。
そしてもっと効率のいいことがあればそれを教えて、どちらをやるかは選手に任せる。
さらに自分の意見が取り入れられなければ、選手のやり方ならどうやっていけばいいのかを示す。
意外と言っては失礼なのかもしれないが、直史はコーチをしては優れていた。
考え方が論理的で理性的で説得力がある。まさに弁護士であった。
たださすがに子供が生まれてからは、そんな余裕はなかったが。
つまりこのために、鍛えていたのだろう。
タンパリングってどうなってるんだっけ?
ここでも複数の頭脳が、同じことを考えた。
直史は間違いなく、事前にレックスと接触している。
そしてレックス一球団が、わざわざ一位指名したということは、それに相応しい実力を認めたからだろう。
プロではなく、アマチュアを指導しているこの四人は、純粋にこれを楽しむことが出来た。
まるで歴史のifを見ているような、奇妙な感覚があった。
野球人以外も、これには驚いていた。
そして同時にはしゃいでいた。
「ねえねえねえねえ、これってどういうこと?」
連絡先の相手は恵美理である。ツインズは病院にいたので、連絡がつかなかった。
イリヤのそのはしゃぎっぷりに、恵美理は違和感しか覚えない。
ツインズの事情もあって、現在のイリヤの活動は、その七割がアメリカにおいて行われている。
だがそれでも、情報というのは流れてくるものだ。
『よく分からないけど、本当にプロには来るみたい』
「来年は日本をメインに活動しなきゃね」
るんるんと喜ぶイリヤは、もう1000日後とかに死んでもおかしくない。
野球人以外だと、佐倉法律事務所は、早々に本日の営業を終了していた。
だが携帯の電話番号を教えてある顧客から、事実確認の電話が入ってきたりする。
切ることも出来ない人が多いので、とにかく早く記者会見が始まってほしいものである。
野球をやっていたという人は、いまだにこんなに多いのか。
そして今でも野球を好きな人は、ここまで多いのか。
あるいは最近野球を好きになったのか。
だがプロ野球ではなく高校野球しか見ないという人間からも、これだけの連絡が入ってくる。
佐藤直史という人間の影響力に、今さらながら驚く。
そして野球人でも、ここまでの影響力が残っていることには驚く。
大学時代はリーグ戦や大会のたびに、名前がテレビなどで流れていた。
それでも表舞台からは姿を消したように思われたのだが、ここでまた名前が出てくる。
野球界の人間で、しかも同じチームと決まっていながら、複雑な思いを抱いている者もいる。
自分にさえ伝えていなかったのは、特に不快にも思わない樋口である。
シーズン終盤の様子から、弟の武史でさえ、どうやら知らされていないようであったのだ。
ただこれからは、ちゃんと話す必要があるだろう。
通用するかどうかなどは、今さら考えない。
通用する状態にしてから、入ってくるのが直史だ。
クラブチーム内の練習か、それとも他かは分からないが、直史ならやってくる。
今はまだ10月なのだ。二ヶ月あれば肉体というのは、かなりその能力を回復するはずだ。
同じレックスにおいては、貴重な人間が一人いる。
高校時代、直史と完全に投げ合って、一対一で唯一勝ったのが、吉村である。
他にも負けた試合はあるが、それは継投をしたりしたもので、一対一とはとても言えない。
もっとも吉村にしても、あの試合はとても勝ったとは思えていない。
そんな吉村は、既にプロ野球人生の終わりが、近づいてきているのを感じている。
先発ローテに組み込まれてはいるが、年間を通じて完全にローテを守ったのはほんの数年。
特にこの数年は故障により、年に15試合ぐらいしか、先発では投げていない。
それでも勝率などはいいので、貴重な左ではあるのだが。
同じ時代を生きながらも、既に引退してしまった者もいる。
自分の去った世界に、これから飛び込もうという、かつての強敵。
オールドルーキーとは言われながらも、この年齢からプロに飛び込むのは、どういう心境であるのか。
SBC千葉のクラブハウスには、多くのマスコミが集まっていた。
他の一位指名よりは多いんだろうなと思いながら、直史は席に座る。
隣に座るのはセイバー一人で、その後ろに早乙女が資料を持って立っていた。
「それではこれより、記者会見を行います。なおその前に前提となる情報を話させていただきます」
セイバーはニコニコと笑っているが、笑顔の奥で人の尊厳を木っ端微塵にする人間だ。
あまり表に出ることは少ないので、まだ知らない者も多いかもしれない。
「ことの発端は今年の五月、佐藤さんからその友人を通じて、プロ野球でプレイしたいとの意思が示されました。私どもはこれを聞き、現在の実力をテストした結果、それに相応しいと判断し、本日の一位指名となりました」
この言葉に、わずかに違和感を抱いた者もいるかもしれない。
セイバーは続けていく。
「先に想定される質問を想定していたので、いくつかを答えておきます」
延々と喋り続けるのもなんだが、先に説明しないと、色々とややこしくなりすぎる。
「テストの内容は球団の機密ですので申し上げられませんが、ある一定以上のバッターとの対戦を行い、その結果を見て判断しました。各球団が行っている入団テストを、特に一人に対して行ったと解釈してください」
このあたりは問題はないはずである。なんなら入団テストも行わず、そのまま入れる球団もあるのだ。
「また事前にタンパリングがあったのではないかと指摘されるかもしれませんが、佐藤さんは学生野球の選手でもなく、野球連盟のチームにも所属していませんので、拡大解釈してもタンパリングには当たらないと判断しました」
そう、だから佐藤選手ではなく、佐藤さんなのだ。
直史はSBC千葉で練習とトレーニングをしていたが、実はもうチームには所属していなかったのだ。
SBCというのは、野球の練習も出来る、トレーニングジムというのが本質なので。
「練習に関しては球団からの金銭供与などは一切なく、むしろ佐藤さんがセンターに利用料を払い、通常の施設利用をしています」
このあたりは本当である。ただ、テストのための渡米には、球団が金を出しているが。
「それでも何か事前の密約を指摘するかもしれませんが、もし他の球団にこの話が洩れていたらという想定の元で、私どもは佐藤さんを一位指名いたしました」
そう、ドラフトの最大の弱点。
それはもしもこの情報を他の球団に知られていたら、指名することが出来たということだ。
「これは佐藤さん側の事情ですが、球団を我々大京に絞ったのは、家庭内のことも考えて在京球団の中でも、特に移動が容易であり、球団内部の事情を知ることが出来たからとのことです」
ここいらは嘘と本当が混じっているが。
最低限のセイバーの説明から、質疑応答が始まった。
『そもそも今、何度も否定したプロの世界へ入ろうとしたのは何ででしょうか』
「主に二つの理由からです。一つは、私は元々、プロ入りを完全否定していたわけではありません。ですが弁護士の法曹資格を取るための勉強が難しく、プロの世界と両立するのが無理でした。試験に合格した今、改めてプロに入ることが可能になったと考えてください」
ここもまた、優先順位である。
弁護士になるからプロにはなれない。
もう弁護士になったのだから、プロに入ってもいいじゃない。
「もう一つの理由は、環境の変化ですね。身内の難病治療のために相当の大金が必要になりました。これ自体は既に近親縁者から借りて治療は終わっているのですが、その返済のためにもプロ入りを決意しました」
金かよ、と思う者は多かったろう。
だが思い出して欲しい。
直史は大学入学以降は、ほぼ金銭目的にしか野球をしていない。
「長い時間をかけて返してもよかったのですが、その人が、私に白石大介と対決してほしい、と仰いましたので、ならば自分に可能かと、挑戦してみるつもりになりました」
大介の名前が出てきて、マスコミの鉄面皮にも赤みがさした。
なお、その大介と対決して欲しいと言ったのは、大介本人である。嘘は言っていない。
『その身内の難病についてもう少し詳しく』
「これからの選手活動には関係しませんので、お答えしかねます。なおこの件についてはこれ以上の取材はお断りします。プライバシーを暴くような報道がなされた場合は、粛々と法的措置を取らせていただきます」
そうなのである。
こいつは弁護士なのである。だから何か人権侵害などがあった場合は、効率的に訴えてくることが出来るのだ。
弁護士、つえええ。
直史にも球団にも、隙がない。
なのであとは詳細を聞いていくべきだろう。
『あの、もしかして既に契約はされているのですか?』
「いえ、一点だけお互いの契約に条件が追加されたため、一度本社にもどり、早ければ明日にでも契約に至りたいと考えています」
これはセイバーが答えた。
『その契約の条件とは?』
「両者間の契約なのでお答えしかねます。ですがもちろん、協約に反したものではありません」
こんな調子で会見は進んだが、直史もセイバーも、やや威圧するような空気を発しながら、完全にこちらのペースで話をしていくのであった。
『最後に、気が早いかもしれませんが、来年の目標などを』
それはある。直史には、絶対にやらなければいけないことだ。
「白石大介に一度もホームを踏ませず、一打点も記録させないことです」
直史らしくないとの言葉は、現状ではビッグマウスと思われても仕方のないことであった。
長い会見が終わって、セイバーは珍しくも困った顔をしていた。
「まさかあんな条件がつけられるなんてね」
「まあ俺の言い出したことじゃないんで」
「それにしてもそんな条件をつけるなんて、彼、そういうつもりなのかしら?」
「どうなんでしょうね……」
直史にしても、それは分からない。
もうこのまま、スムーズに契約をしてもいいとさえ、セイバーは思っていたのだ。
だが直史の出した条件が、彼女の一存では判断できないものであった。
「まあ白石君としたら、確かにそうじゃないと困るのね」
大介は直史に五年の縛りを入れた。
その中で、万が一にも自分と対決しないことになったら困る。
もちろんレックスが直史をライガースに出すことはない。それはこれ以前に、既にセイバーに伝わって了承を得ていたからだ。
またFA権は持ったままずっと保留にしている大介は、いざとなればライガースを離れることも出来る。
だが五年間はトレードをしないという以外にも、もう一つの条件があり、それは直史はセイバーにも話していなかったのだ。
こんな条件を、作っておく必要があるのか。
むしろセイバーにとってみれば、これこそがありがたい契約であったが。
GMを説得するのは、タフな交渉になりそうだ。
明日以降もまだまだ、時間の余裕は出来そうになりセイバーであった。
×××
※ この条件については予想するのも書き込むのも自由ですが、先の内容を楽しんでもらうため、正解不正解関係なく、ある程度作者が削除する場合があることをご了承ください。
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