第58話

「ふぁ~……良い夢見てたのに……なんなんすか?」


 二人に叩き起こされ、大欠伸を噛み締めながら不満そうにペコが頭を掻いた。


「なんなんすかじゃないですわ!」

「ペコの足が臭すぎて眠れないのである!」


 責めるような二人とは距離を取り、ライズはせめて、俺は関係ないぞというような雰囲気を出しておく。


「はぁ? なんすかいきなり。人の事捕まえて足が臭いとか、仲間でも流石に失礼っすよ」


 気持ちよく寝ている所を叩き起こされて元から不機嫌にはなっていたのだろう。ムッとしたように二人を睨んで言い返す。


「そういう台詞は――」

「これを嗅いでから言うのである!」


 と、二人はペコの鼻先に愛用のブーツを突き付けた。


「ちょ、汚いっす――うごぉあばべらぁ!?」


 一呼吸して、ペコはウォーゴブリンに殴り倒されたかのように吹き飛んだ。


「ぼぉぉぇ――きっつ!? ななな、なんすかこれ!? 二人とも、人の靴になにしてくれてんすか!?」


 涙目で嘔吐きながらペコが言う。眠気も冷めたという感じだが、今度はあまりの臭さに混乱している様子である。


「なんにもしてませんわ!」

「このバケモノはペコが育てたのである!」


 言いながら、汚らわしい物でも扱うようにブーツを放る。モモニャンも嫌なのか、その部分だけ地面が露出した。


 ペコは暫く信じられないという風にぽかんとしていたが、現実が頭に染み込むにつれ、ゆっくりと茹つように赤くなり、大きな目にも涙が滲んだ。ぷるぷると肩も震えだす。


「ぎゃー! 嘘っす! こんな、なにかの間違いっす!?」


 と、半泣きで恥じらう程度には、ペコも一応年頃の娘という事なのだろう。投げ出されたブーツを隠すように上から覆いかぶさり――


「――ぼぇ!? くっさ!」


 あまりの臭さに放り投げる。


「ひぃ!? こっちに投げないで!」


 ラビーニャがそれをペコの枕を使って叩き返し。


「モモニャン!? 助けてなのである!?」


 顔面に向かってきたキッシュが悲鳴を上げると、テントの一部が触手となってブーツを弾き――今度はライズの顔に向かってきた。


「だぁ!? 汚ねぇ!?」


 咄嗟に叩き落としてから、しまったと顔をしかめる。


 ペコの方を見れば、割れた陶器のような顔でこちらを見ている。目に溜まった涙はいよいよ溢れそうに潤んでいた。


「……ひっぐ、ぇぐ、ぅ、ぁう……」

「い、いやペコ、今のはだな――」


 誰が原因だったとしてもまぁ、女の問題に男のライズが関われば、ろくでもない事になるのは分かりきっていた。特にペコは、馬鹿みたいにライズに懐いている。同じ言葉でも、ラビーニャ達に言われるのとでは意味合いも違うという事くらいは、雪月花で女パーティーに揉まれたライズには分かっていたのだが――結局の所、分かっていたからといってどうなる事でもないらしい。


 咄嗟に言い訳など口にしてみるが、特に慰める言葉も浮かばずにたじろぐばかりである。


「びぇえええええええええ!」


 しまいにはペコも泣き出して、ブーツを掴んでテントの外へと飛び出していった。


「……だから、どうしていつもこうなるんだよ」


 雪月花の頃から続く女難の運命に毒を吐きつつ。

 白々しい視線に振り返ると、予想通りラビーニャとキッシュが悪者を見るような目を向けている。


「流石にあれは可哀想ですわ」

「ペコだって女の子なのである」

「うるせぇよ!?」


 他に言葉も見つからず、叫び返してペコを追いかけた。


  †


 一時間も走り回っただろうか。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」

「えぐ、ひっぐ、うぅ……穴があったら埋まりたいっす……」


 ともあれ、馬鹿みたいにすばしっこいペコと追いかけっこを繰り広げ、騒ぎに引かれて寄ってきた魔物を五、六匹消し炭にし、ようやくテントに戻ってきた所である。


 その間に、ラビーニャ達は臭いもなくなったと安らかに寝こけていたが。


「起きろっての!」


 苛立ち交じりに足を踏み鳴らし、魔術によって地面を太鼓のように振動させる。足払い程度にしかならない術だが、寝ている人間を起こすにはそれなりに効果もある。


「ひぃ!?」

「じじじ、地震である!?」


 と、この通り、二人はたまらず飛び起きた。

 ライズ達が帰ってたのを確認して、何が起きたのかは大体察したようだったが。


「せっかく寝つけた所でしたのに」

「ペコの足が臭いのは仕方ないのである。せめてそのまま寝かせて欲しかったのである」

「うるせぇ。こうなったらお前らも道連れだ」


 半眼になって言い切る。デリケートな問題である。男のライズ一人では荷が重い。


「うわ~ん! 足クサとか最悪っす! 魔王を倒しても足クサの勇者ペコとか呼ばれるに決まってるっす!」

「お前もなぁ、ちょっと足が臭いくらいでビービー泣くんじゃねぇよ」

「ちょっとじゃないっす!? それに、ライズさんは男だからそんな事が言えるんすよ!? これから先みんなで一緒に旅をするのに一人だけ足クサとか生きていけねぇっす!?」


 泣き顔をぐちゃぐちゃにして言ってくるが、ペコの気持ちを考えればその通りではあるのだろう。


(俺がお前の立場だって恥ずかしくて死にたくなるっての)


 それを言えば余計に辱めるだけなので口にはしないが。


「だから、どうにかするしかねぇだろうが」


 言葉を選ぶにも限度があるので、せめて精一杯の誠意を込めて言ってやる。

 一応それで、三人にも真面目な気持ちは伝わったらしい。


「……まぁ、そうですわね」

「どうにかしないと夜も眠れないのである」

「うぅ、ぇぐ、えぐ……」


 何を言っても今のペコには辛いだけだろうが。


「だから泣くなよ。こういうのは仕方ないだろ? 足が臭いからって誰もお前の事を嫌いになったりしねぇよ」


 撫でてやると、ペコはぐすぐすと鼻を鳴らしながら小さく頷いた。


「わたくしは嫌ですけど」

「吾輩も嫌なのである」

「うわああああああ!」

「お前らなぁ!?」


 頭を抱えるが、二人も本気というわけではないのだろう。

 気を取り直して言ってきた。


「でも、どうして急に足クサになったのかしら」


 親指を噛んで考え込み、ラビーニャ。

 ペコは一々泣きそうになるが、気にしていてもきりがない。


「街に居た頃は、わたくし達は三人で宿を取っていましたけど。その頃はこんなではありませんでしたわ」


 ライズは別に部屋を取っていた。金に余裕はなかったが、女共と一緒の部屋で寝起きしてあらぬ噂を囁かれるのが嫌だったのだ。

 ともあれ、ラビーニャの発言にハッとしてペコが叫んだ。


「分かったっす! これは自分達を邪魔する魔王の陰謀っすよ!」

「あぁ?」


 わけもわからず聞き返すが。


「だって自分達、白蛇亭の冒険者が束になっても敵わなかったバケモノを倒しちゃったんすよ! 自分もライズさんも勇者パワーが覚醒して! ラビーニャの啓示もあるし、キッシュだって特別っす。将来勇者になるかもしれない脅威として、魔王に目をつけられてもおかしくないっすよ!」


(なわけねぇだろ……)


 意気込むペコにそう思うのだが、確かにあの時起きた出来事は、たまたまとか偶然と片付けるには特殊過ぎた。あれ以来同じ事が出来る様子もないのだが、一応ライズには、王魔の時になると現れるとかいう、不思議な力が宿っているらしい。


 とはいえだ。


「百歩譲ってそうだとしてだ。今回の魔王がどんな奴かも知らないが、邪魔をするのに足を臭くするとか、そんなしょうもない事してくるか?」

「しょうもない奴が魔王になったのかもしれないじゃないっすか!」


 かなり核心を突いたつもりだったのだが、ペコは怯まず言い返してくる。まぁ、言われてみると、絶対にあり得ないとも言い切れないが。


「そんなしょうもない魔王を倒して伝説になるのも嫌な話だな」

「どんな相手でも魔王は魔王。聖女として伝説に名を残せるのなら気にしませんわ」

「なに言ってんすか! こいつは恐ろしい魔王っすよ! こんな純粋無垢で可愛い愛されキャラのペコちゃんの足を臭くするとか血も涙もねぇ悪党っす! よくわかんない四天王とか小出しにされるよりよっぽどピンチっすよ!」


 拳を固めてペコが力説する。

 なんの話やらという感じだが。


「あー、ちょっといいのであるか?」


 あっさり迷走していると、言いづらそうにキッシュが手を上げた。


 良いも悪いもない。視線で促すと、やはり言いづらそうに、ペコの顔色を気にしつつキッシュが告げる。


「ペコの足は――普通に前から臭かったのである」

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