第44話

(こんな時にライズがいてくれたら)


 そう思ったのは、代わりの魔術士が逃げ出したからというわけではなかった。そんな事は、彼を追い出したその瞬間から常に思っていたし、レイブンが逃げたと言うよりは、シフリルの命令を無視して、他の二人が逃げなかっただけである。


「早く逃げろ! このままでは、お前たちも死ぬぞ!」


 叫びながら、向かってくる剣をぎりぎりで避ける――ぎりぎりでしか避け切れないというべきか。優雅なる剣と呼ばれた達人シャイガの剣術も、死霊使いの根に取り付かれては見る影もない――が、そうでなければ、とっくにこちらの首が落ちていただろう。


(そんな事に感謝する義理はないが――)


 せめて皮肉に思いながら、シフリルはすれ違いざまにシャイガの首を切り落とした。流れるように振り向いて、背後から両断する。鋭く張り詰めた魔力を宿した白銀の剣は、骨も肉も金属の鎧も、等しく水のように裂いていく。


(すまん、シャイガ。わたしもすぐに行くぞ)


 しつこく言い寄られた思い出しかないが、死を悼む程度の義理はある。

 戦場では、その程度の気遣いすら仇になるのだが。


 背後に誰かが――だったものだが――迫っているのは気づいていた。疲れ切っていたので、ぎりぎりまで気づかない振りをして、相手の攻撃する一瞬の隙を突いて反撃するつもりだった。


 それが出来なかったのは――結局の所、やはりシャイガは達人だったという事だろう。ぎりぎりで避け切れず、脇腹が血を吹いていた。


(……こんなものか。だが、私のような女にはお似合いの末路かもしれんな)


 あっさりと、という程簡単ではないが、シフリルは受け入れる事にした。今日と決めていたわけではなかったが、死にたいと思っていたのだ――というか、殺して欲しいと。


 肌に感じた殺気に、間に合わないと分かっていても身体が動いた。ライズから受けた訓練の賜物だが、防げないのだから自慢にはならない。

 破壊的な圧力が頭上に迫り、突然それは背後へと吹き飛んだ。


「そんな事言われても、あたしもう動けないし?」


 魔力欠乏に青い顔で喘ぎながら、後方で弓を構えたユリシーが告げる。遅れて、ユリシーの放った魔力の矢が爆発し、血斧のダロールの上半身を木っ端みじんに吹き飛ばした。

 同時に、暖かな光がシフリルの脇腹を覆って傷を癒す。


「愛よりも友情を取った私達です。死ぬ時だって、三人一緒でしょう?」


 ユリシーのそばで、クレッセンは錫杖をこちらに向けて無垢な笑みを浮かべている。笑えない皮肉だが、クレッセンは皮肉など言わない女だった。


(だから余計にたちが悪いんだが)


 どちらかと言えば、これは皮肉か。


 腐れ縁――仲間――恋敵――そして親友。


(――いや、ここまで来たら、もはや家族か)


 肌の下でニヤリとする。悪い癖だが、シフリルの内心が顔に出る事は多くない。

 自分にとってこの二人がなんであるかは、考えるまでもない。

 なぜなら、既に散々考え抜いた後だからだ。

 その結果がこれだ。


 愛する男に思いを告げる事もなく、最愛の恩人に泥を被せて追い出した。

 これほどの悪女は、どこを探してもそうは見つかるまい。


(だから、私は死んだ方がいい)


 言い出したのは、シフリルだった。そうしなければ、ユリシーは正々堂々勝負しようとしただろうし、クレッセンは本心を偽ってでも身を引いただろう。そんな真似は、シフリルには出来なかった。生まれて初めて知った恋だった。そして、人生最後の愛でもあった。


 なにを差し出してでも一緒に居たいと思える男だ。

 ただそこにいるだけで暖かな気持ちにしてくれる存在。

 ――同じくらいイラつかせてくれる存在でもあったのだが。

 そんな相手と出会えた事は幸運だったろう。

 貴族の令嬢に生まれて、上辺だけの冷え切った関係しか知らなかった自分には。


 不幸なのは、そんな相手が同時に三人も出来てしまった事だ。

 ユリシーとクレッセンもまた、ライズと同じくらいに掛け替えのない存在だった。己の半身、いや、自分自身と同等以上に大切だと言い切れる仲間である。


 選べるはずがないのだ。

 愛する男と、最愛の友を。

 けれど、選ばなければいけなかった。


(そして私は逃げたわけだ)


 友を裏切りライズを選んだとしても、罪悪感に耐えらるわけがない。

 それ以前に、自分のような冷たい女をライズが選ぶとは思えなかった。

 どちらになるかは分からないが、ライズを射止めるのは、ユリシーかクレッセンだろう。


 だから、逃げた。あるいは、裏切ったのだ。

 友情と愛情の両方を。

 愛を失いたくないが為に愛する男を遠ざけ。

 友を失いたくないが為に友を唆した。


 愛よりも友情を選ぼうと。

 三人仲良くライズを諦めて、この関係を続けていこう。

 二人とも、シフリルの醜い魂胆を見抜いていただろう。

 その上で、乗ってくれた。


 本当は好きで好きでたまらない癖に。

 ユリシーは身を切るような嘘をつき、クレッセンも信仰に反するような過ちを犯した。


(それなのに、私はまだあの男に未練がある)


 後悔しない日などありはしない。

 よくやったと、あの日のように頭を撫でて欲しい。


(こんな時にライズがいてくれたら)


 どんな時でもいて欲しいのだ。

 失ってはじめて気づいたわけではないのだが。

 それでも、これ程までに深く愛していたとは思っていなかった。


(だから私は死にたいのに――死んでしまった方がいいというのに!)


 仲間達は許してくれない。

 一人で死ぬ事を。

 一人で楽になる事を。


 目の前には女がいた。

 女の形をしたナニかだろうが。


 鮮やかな緑色の肌を持つ、新芽のような美しい女。実際、髪の毛は葉のようだった。なんなら髪飾りのように花まで咲いている。ピンク色の綺麗な花だ。それだけなら森の妖精にでも見えただろうが。腰から下はバケモノだった。人食い森の植物を片っ端から編み込んだような蔓の塊である。それが不格好な輪郭でトカゲの真似をしている。翼の生えた巨大なトカゲは、大抵の場合はドラゴンと呼ぶのだろうが。


 死者を操る人喰い森の王、極大化した死霊使いの根の擬人化――それとも、擬竜化か? なんでもいいが、名前だけは確かだった。ガルゲンメイラン。周囲の死体に片っ端から根を植え付けて手駒に変える。人も魔物も関係ない。それが、無限の軍勢の正体だった。


 ふと、シフリルは自分達がこの魔物を倒せなければ、ライバーホルンの街は滅ぶだろうなと思った。白蛇亭の冒険者は、作戦の失敗を伝える為に退却した数名を除いて全滅した。


 最初の出会いが良くなかった。半月前の調査の際、仲間をやられた一団が判断に迷い、丸まる犠牲になった――そして寄生された。そのままにはしておけず――と戦っている内に犠牲が増え、結局もう一つのパーティーも呑み込まれた。自分達が逃げられたのは幸運だった――そのパーティーが時間を稼いで逃がしてくれたのだ。


 情報は伝えた。全員覚悟はしていたはずだ。敵討ちと意気込んだところで、戦う相手は同じ店の顔なじみだという事は。


 こうなったのは、覚悟が足りなかったからだろうか? その通りではあったのだろう。知った顔と戦う覚悟はしていても、今まさに共に戦う仲間と殺し合う覚悟までは出来ていなかった。


 こちらが一人死ねば敵が一人増え、迷いと共にさらに死者が増える。

 それでも随分頑張ったが、ついに残ったのは自分達だけだ。

 満身創痍な上に絶不調だったが。


 脇腹の傷は見た目だけは塞がっているが、動けばすぐに開くだろう。神秘術は、信仰によって神と繋がる。ライズを追い出して以来、クレッセンの神秘術は目に見えて衰えていた。集中力を欠いたユリシーは的を外す事が多くなり、冷静さを売りとするシフリルの剣も曇っていた。


 それでも四季が評価されたのは、たんにライズを追い出した罪悪感から逃れたくて――あるいはそんな自分を罰したくて――自殺志願者のように危険な仕事ばかり選んでいたからなのだが。


 レイブンが諫めてくればければ、シフリルはとっくに死んでいただろう。こんな風に二人を巻き込む事になるのなら、その方がずっとマシだったが。


 ともあれ、レイブンが逃げてくれてよかった。全てを知った上で協力してくれた、いい奴なのである。


 それを言うなら、この二人ほどいい奴もいないのだが。

 こんな自分の為に、一緒に死んでくれると言っているのだ。


 ガルゲンメイラン――緑の女は、竜の額の上から、面白がるようにこちらを見下ろしている。先ほどから手出しをしてこないのは、その必要もないからだろう。三人はすっかり囲まれていた。死力を尽くしても力及ばず、死霊使いの根に取り付かれた、白蛇亭の強者達に。


「……すまない。全ては、私のせいだ」

「今更じゃん? シフリルが迷惑かけるのは」

「ユリシーだって大概だと思いますけど」


 この期に及んで二人は笑っていた。あるいは、最後の時と覚悟して、残された時間を惜しんでいるのかもしれない。


「そうだけどさ。あたしは結構楽しかったよ? みんなと出会えてさ」

「私もですよ。一生分笑いました」

「私だって……くそ!」


 滲んだ涙を慌てて拭う。死霊使いの根に取り付かれた冒険者達は、じりじりと嬲るように輪を狭めていた。

 どうあがいても切り抜けられないと知り、シフリルは大人しく下がった――仲間の元に。


 こんな時に背中を見せるのは自殺行為でしかなかったが――死ぬ時は仲間の顔を見ていたかった。


「もう駆け出しじゃないんだからさ、泣くなし」

「ユリシーだって泣いてるだろ!」

「大丈夫。私達なら、天の国でもきっと一緒ですよ」


 泣きながら、お互いに庇い合うように抱き合った。震えているのは自分だけではない。泣いているのも。


 完成された世界。暖かな、三人だけの世界に閉じ籠って終わりの時を待つ。

 鍛え抜かれた経験と勘が、知りたくもないのに敵の動きを知らせた。


 あと三歩。

 それで終わりだ。


 シフリルが身を強張らせると、他の二人にも恐怖が伝わり、身を竦めた。

 もはや声も出せず、唇を噛んで震える事しかなできない。


 脳裏に浮かぶのは、冴えない男の顔だった。

 きっと、二人も同じ事を思っているに違いない。


(会いたいよ……ライズ……最後に、一目だけでも……)


 目を閉じたのは、そうすれば瞼の裏に焼き付いた彼の顔が見れると思ったからだ。


 足音。


 殺気。


 圧力。


 そして――


「――合わせろ! クレッセン!」


 最愛の男の声と共に、爆轟が全てを吹き飛ばした。

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