第25話

「「「すいませんでした」」」


 きしょい犬モドキを引きがはし、屋敷の中に逃げ込んだ後。

 玄関先に三人で並び、赤い絨毯に這いつくばって土下座する。


「これで満足か?」


 上目づかいで尋ねる。

 ラビーニャはじっとりと責めるようにこちらを見下ろすと、不意に口元を歪ませ、満足そうに鼻を鳴らして見せた。


「これに懲りたら、これからはもっとわたくしを信じ、敬うように」

「……そうしたいのはやまやまなんだが、日頃の行いがな……」

「なにか言ったかしら?」

「……いや、なんでも」


 悔しいが、今回はラビーニャが正しい。普段はゴミカスだが、なんだかんだいざという時は役に立つ女である。


「しかし、入口の鍵が開いてて助かったな。でなけりゃ、今頃犬モドキにたかられてたぜ」

「本当っすよ! ヌメヌメのギトギトで最悪だったっす! なんか微妙に温かいし、耳とか鼻とか口の中にまで入ってきてヤバかったっすよ」

「ま、マジかよ」

「それは災難だったのである……」

「ちょっと気持ちよかったっすけどね」

「「!?」」


 キッシュと一緒にペコの言動に引いていると、疑うように目を細めてラビーニャが呟く。


「立て籠もっているというわりには不用心ですわね。なんだか誘われているみたいですわ」

「そうっすか? 自分の村じゃ誰も玄関に鍵なんか掛けないっすけど」

「吾輩の村も同じである」

「これだからド田舎村の村民は」


 やれやれとラビーニャが肩をすくめる。


「よほど番犬に自信があるか、たんに締め忘れたか――罠の可能性もなくはない。用心はした方が良さそうだな。あんなキモいバケモノを番犬代わりに使ってるんだ。まともな奴じゃないだろ」

「魔物を生み出す研究をしているような輩ですわ。侵入者を捕まえて、実験材料にしていたとしても驚きませんわね」

「ま、マジっすか……」

「吾輩、怖いのである……」

「犬モドキを見た後じゃな。有り得ないとは言い切れないか」

「――っ!?」


 突然の出来事だった。

 天井から緑がかった透明の塊が降ってきて、ペコの身体をべちゃりと飲み込んだ。


「ペコ!?」

「上ですわ!」

「嫌なのである! 怖いのである!?」


 ラビーニャが天井を指し、キッシュがパニックになって慌てふためく。

 とりあえず頭上を確認すると、いつの間に現れたのか、吹き抜けの高い天井一面に、ぬらぬらとした緑色の粘液のようなものが滲み出て、巨大な雫となってあちこちにぶら下がっていた。


「ちくしょう、スライムだ!」

「がぼがぼがぼ!? ッ!?」


 ライズの背丈程もあるスライムに取り込まれて、ペコは口から泡を吐きながら手足をばたつかせる。が、それも長くは続かず、不意にハッとすると、口を押さえてぎゅっと目を瞑った。下水掃除ではスライムを相手にする事もあった。もし取り込まれたら、落ち着いて息を止め、目を瞑って助けを待てと教えてある。どうやらちゃんと憶えていたらしい。


「今助けてやる! ラビーニャ! 解毒の準備だ!」

「もうしてますわ!」

「わわわ、吾輩はどうしたらいいのであるか!?」

「三回深呼吸! 落ち着いたら周りを警戒しろ!」


 適当に指示を出すと、ライズは魔力を練り上げた。


「風よ――」


 右手に空気を集め、スライムの巨体に手刀を突き刺す。


「――爆ぜろ!」


 圧縮空気の爆発が内側からスライムの身体を吹き飛ばす。不定形のスライムを殺すには至らないが、ペコを助けるだけなら充分だ。


「ペコ! だいじょう――」

「――おろろろろろろろ」


 解放されたペコがその場に這いつくばり、びしゃびしゃと緑色の液体を吐いた。


「うぇ……なんか、酸っぱくてシュワシュワするっす……」


(毒か酸か?)


 あるいは両方かもしれない。そうでなくとも、スライムの体液など飲んで良い事は一つもない。本当ならすぐに対処したいが、べちゃべちゃと、追加のスライムが降り注いでいる。


「ッチ! いったん奥に移動するぞ!」


 スライムの雨を避けながら玄関を駆け抜け、その先の廊下を少し走って立ち止まる。安全な距離とは言えないが、これ以上時間をかけるのも危険だ。


「キッシュはスライムが来ないか見張っててくれ。ペコはそこに立ってろ――水よ!」


 空気中の水分をかき集め、ペコの頭上に局所的な豪雨を生み出す。同時に、待ち構えていたラビーニャが聖印をかざして祈り、解毒の奇跡を行った。


「目を洗って、水も飲んで吐いとけよ!」


 ボンタックが警備用に放った魔物だろう。流石に致死性の毒までは与えていないと思いたいが、その保証もない。


「――がらららららら、ぶぇ。ふぃ~、さっぱりするっす~」


 ライズの心配を他所に、ペコは気持ちよさそうにシャワーを浴びた。わしゃわしゃと癖毛頭を解すようにして染み込んだ粘液を洗う。


「うぉ!?」


 ぎょっとしてライズは視線をそらした。


「? どうしたんすか?」

「どうしたもこうしたもないのである!?」

「ペコ。あなた、服が溶けてますわよ」

「ぁ、マジっす」


 自分の身体を眺めて、特に恥じらいもなく認める。

 魔術の雨に流されるようにして、ペコの服がぐずぐずに溶け落ちていた。

 残ったのは上に着ている革製の部分鎧と武具を固定するベルトと靴だけで、ほとんど裸に近い格好だ。


「ライズ? あなた、どさくさに紛れて何をしやがったんです?」


 ラビーニャが軽蔑の眼差しを向ける。


「どう考えてもさっきのスライムのせいだろ!? あとペコ! 少しは隠せ!」


 特に下は完全に丸出しなのだが、ペコはさして気にする事もなく突っ立っている。


「なんすか? ライズさん、自分の裸に興奮しちゃったんすか? うっふ~ん」


 頭の上で手を組み、くねくねと腰を振る。


「ぶっ飛ばすぞ!?」


 視線を外しつつ叫ぶ。別にペコのような小娘の裸で興奮などしないが、仲間の裸を見るのは普通に気まずい。


「ライズ!? スライムが追ってきたのである!?」


 そちらを見ると、緑色の巨大な水滴のようなスライムが、広い廊下を塞ぐようにしてずるずるとこちらに這い寄っている。


「クソが! 奥に逃げるぞ!」

「ライズさん! 裸で走るとめちゃ気持ち良いっすよ!」

「うるせぇよ!?」


 泣きたい気持ちで叫ぶ。


 本当に何一つ隠さずに、横に並んだペコがすごい事を発見したような顔で言ってきた。

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