五章

第22話

「まだ決まんないんすか?」


 黒瓜亭にて。

 依頼書の貼られた奥の壁を眺めていると、いつもの席で待たせていたペコが、じれったそうに聞いて来た。


「いい仕事がないんだよ」

「こんなに沢山あるのにっすか?」


 重なる程に並んだ依頼書を横目に見て、不思議そうにペコが首を傾げる。

 近頃は凶悪な魔物が増えているらしく、仕事自体は多い。巷では王魔の時が来たのではないかと騒がれているが、魔力の濃度は天気のように移り変わる。今は多少濃いが、この程度はたまにある事だ。

 それは別にいいのだが。


「キッシュが仲間になって戦力は増えたが、その分出費も増えた。モモニャンは暴れた分だけ食うからな。割のいい仕事を選ばないと食費で儲けが飛んじまうんだよ」


 伝説の魔王の眷属というだけあって、確かにモモニャンは強かった。キッシュの魔力に依存しているせいで体力はないが、そこまでの無理をさせるまでもなく、その辺の魔物は簡単に片付けてくれる。が、その分食う。というか、それ以上に食う。そんなに食う事ないだろ!? と頭を抱えたくなる程食いまくる。


 なので、それこそ、その辺の魔物を片付けるのにモモニャンを頼っていては赤字になる。かといって、あまりにもモモニャンだよりになるような大仕事でも、やっぱり赤字になる。なんだかどうあがいても赤字になるような気がしないでもないが、そんなはずはないと言い聞かせ、金払いの良さそうな仕事を毎朝目を皿にして探している。


(こんなはずじゃなかったんだがな……)


 と、今日もげっそり肩を落とす。

 何処で間違ったのかと聞かれても答えられはしない。思い返せば間違いだらけの人生だった気すらする。ラビーニャにペコ、雪月花の三人、もっと遡れば、この街に来た事自体、あるいはあそこから逃げ出し冒険者になった事自体? いっそ、生まれた事自体がと、その気になればいくらでも後悔する事は出来た。


「は~。ライズさんも大変っすね~」


 人の気も知らず、じゃじゃ馬娘は今日も気楽な様子だが。


「お前がもう少し強くなってくれりゃ楽出来るんだけどな」

「勇者ペコは日々成長中っす! 期待して待ってて欲しいっす!」


 今更嫌味など効くわけもなく――効いても困るが――ペコは嬉しそうに胸を叩く。そんな底抜けの前向きさが、実は密かな支えになっていなくもないのだが、まぁ秘密だ。


 キッシュが仲間になってからは共に前線を張るモモニャンをライバル視し、一層訓練に励んでいる。頑張り過ぎて突撃気質に拍車がかかったような気がしないでもないが。


「ライズ。お客さんであるぞ」


 キッシュまでやってきてくいくいと服の裾を引く。

 振り返ると、ラビーニャがつまらなそうに爪を磨くテーブルの横に、派手なスーツを着た眼つきの悪いオールバックの男が立っていた。


「……あれは客じゃない。例のヤクザの借金取りだ」


 ストラッド。ラビーニャの借金を担当している。額が額だからか、それなりに上の立場だと聞いているが。


「ふぇ!? だだだ、大丈夫なのであるか!?」

「冒険者の心得だ。相手がなんであれ、ビビった所は見せるな。ヤクザ相手には特にな」


 駆け出しという点では、キッシュもペコと大差ないので、鍛えるつもりで色々と教えている。


「わ、分かったのである!」


 おどおどした態度は変わらないが、背筋だけは一応伸びた。一ヵ月程一緒にいて気づいたが、キッシュは割とビビりらしい。まぁ、怖いもの知らずの狂犬ペコと比べるのは可哀想だが。


「何の用だよ。言っとくが、金ならねぇぞ」


 テーブルに戻ると、ニコリともせずに言う。愛想笑いを浮かべる義理はない。元々この手の連中は好きではない。好きな者もいないだろうが。


「借金の催促なら仕事が終わった頃を狙う。それよりライズ、お前は仲間にどんな教育をしてるんだ? この女、俺が話しかけても返事一つしないぞ」


 ポケットに手を突っ込み、いかにもヤクザらしく斜めに立ちながら、藪睨みでストラッドが言ってくる。


「ヤクザ風情と話す口など持ち合わせていませんわ」


 一応聞いてはいるらしく、手元を見たままラビーニャは答えた。

 ひゅ~るりらと、室内なのに冷たい風が吹いた。まぁ、それは気のせいだろうが。


「……いや、お前はもうちょっと下手に出ろよ」

「嫌ですわ」


 にべもない。

 溜息をついて顔を上げると、しかめっ面のストラッドと目が合う。


「こういう奴だ。とてもじゃないが俺の手には負えん」

「分かってる。こっちも取り立てるのに散々苦労してる」

「……お互いに大変だな」

「……分かってくれるか?」

「茶番はいいからとっとと用件を言いやがれですわ」


 ラビーニャの一言で我に返る。危うくこのヤクザと友情が芽生える所だった。


「……今日は仕事を頼みに来た」


 わざとらしく咳ばらいを一つして、ストラッドが言ってくる。


「一昨日きやがれですわ。どうせ世間に顔向けできない卑しい仕事に決まってますわ」


 と、あくまでも爪を磨きながらラビーニャ。そこに、後ろで見ていたチビ共が加わる。


「そーっすよ! 夜中に出歩いている可愛い女の子を薬漬けにしてエッチなお店に売り飛ばしたり、身寄りのない弱小冒険者を捕まえてバラして臓器を売ったりしてるに決まってるっす!」

「ふぇ……そそそ、そーなのか!? 悪い奴らだとは聞いていたが、想像以上なのである!?」

「やってないからなそんな事!? 言っておくが、うちの組はこの辺のヤクザの中じゃ真っ当な事で有名なんだぞ!?」


 流石に聞き咎めてストラッドが叫ぶ。真っ当な事を自慢するヤクザもどうかとは思うが。

 ともあれだ。


「俺もお断りだ」

「おいおい、お前まで真に受けるのか?」

「そこまで酷い仕事じゃないとは思うが、ヤクザの頼みだ。汚れ仕事か、裏があるかだろ」


 真っ当だろうがヤクザはヤクザだ。疑ってかからないと馬鹿を見る事になる。


「そいつは偏見だな。裏の顔で食ってはいるが、表の顔がないわけじゃない。それにだ、こいつは俺が善意で持ってきた仕事だ」

「……善意だ? それを聞いたら余計に怪しく思えて来たぜ」

「だろうな」


 ストラッドが皮肉っぽく鼻で笑う。


「まぁ、話くらいは聞いておけ。借金を待ってやってるんだ。そのくらいの義理はあるだろ」


 渋い顔を浮かべていると、返事を待たずにストラッドは話し出した。


「そこの博打女はあちこちの街で借金をこさえてる。色んな組に借りがあるわけだ。俺達ヤクザには横の繋がりがある。債務者が遠くに逃げたら、近くの組に債権を売り払う。そうすれば損はしないだろ? で、この女の債権を買ったのがうちの組だ。ところがこの女は、いくら脅しても一向に返す気を見せやしない。額が額だから、娼館に売り飛ばした所で大損だ。そうなると、債権を買うように指示した俺の立場も危うくなる。そんな時に、馬鹿なお人よしが借金を肩代わりし出した。お陰でウチは大助かりだ。オヤジもお前を気に入ってる。今時珍しい人情家だとな。しかし額が額だ。まともな仕事じゃ何年かかっても返せないだろう。可哀想だが、こっちにもヤクザの体面がある。借金を負けてやる事は出来ないから、代わりに割のいい仕事を世話してやることにした。どうだ、悪い話じゃないだろう?」


 ニヤリと、石に掘ったような胡散臭い笑みを向けて来る。


「聞いたかライズ! このヤクザは悪いヤクザではなさそうなのである! むしろ良いヤクザなのではないか?」

「っすね! 疑って悪かったっすよ!」


 キッシュは目を輝かせ、ペコはあっさり掌を返した。


「いや、お前ら純粋かよ」

「そうですわ。このドブネズミは耳触りの良い事を言ってはいますけど、ようはタダ働きをしろと言ってるだけでしょう? そこのおこちゃまーずは騙せても、このわたくしは騙されませんわ」


 やはり、爪に向かって。

 ストラッドはこめかみをヒクつかせるが、相手にしない事に決めたらしい。

 挑むようにこちらを見て言ってくる。


「嫌なら別の人間にやらせるだけだ。こっちだって、お前らでないといけない理由もない」


 捨て台詞というよりは、本当にただの事実なのだろう。

 慎重に相手の顔色を見定めながら。


「まぁ、やるもやらないも、仕事の内容と報酬次第だな」

「ライズ!?」


 ラビーニャが顔をあげる。


「仕方ねぇだろ。借金地獄なのは事実なんだ。金払いが良けりゃ、ヤクザの靴だって舐めてやるさ」


 余程気に入らないのか、ラビーニャは責めるように睨んでくるが、借金を作った負い目があるのだろう。これ見よがしに溜息をついて、爪磨きを再開した。


「後悔しても知りませんわよ」


 と、捨て台詞を残しつつ。


(こっちは後悔しっぱなしだよ)


 苦笑いで思うが、思うだけにしておいた。


「で、やくざがわざわざ冒険者なんか雇って、なにをさせようってんだ?」

「なに、難しい事じゃない。ある意味、お前らにはお馴染みの仕事だ」


 皮肉っぽくニヤつくと、ストラッドは口にした。


「借金取りだよ」

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