第133話 沈む

 ロクマーン・アバレは悩んでいた。

 その揉み上げモミアゲから顎下まで繋がる自慢のひげを左手で撫でながら。

 男として脂が乗った30代のアバレ家当主を悩ませていたのは、デニズヨルの議会から来た親書である。

 彼が内心、テズギャカウンターと呼称している彼らからの手紙にはこう書かれていた。


 ――ギョゼトリジュ家の謀反に端を発した内戦は今なお続き、あちこちで小競り合いが発生している。デニズヨル南北両商人組合では、商人の安全のために取引相手を制限することを検討している。ついてはグンドウム・デニズヨル間の商いについて、1ヶ月以内に話し合いの機会を頂きたい。


 デニズヨル議会テズギャの懸念ももっともだ。向こうと、ここグンドウムを東西に結ぶ街道はドロナイ大丘陵に接している。ケレム・カシシュがデニズヨルに攻め込む、或いは軍事的に圧迫する場合には、街道を行き交う商人の身に危険が及ぶことは否定できない。そして彼が旧ギョゼトリジュ家と旧イスケレ家の海軍を掌握している以上、船の往来もいつ脅かされるか分からない状況ではあるのだ。

 そのような情勢だからこそ、単純に「これからも仲良く商売を続けましょう」だけで終わるとは到底思えない。例えば、……そうだ。商人を護衛するために兵をここグンドウムに置かせてもらえないか、無条件で兵を通過させてくれないかなどと要求してくる可能性はある。

 それは非常に都合が悪い。相手は何しろ、バルクチュ殿の留守の隙にデニズヨルを奪った簒奪者さんだつしゃどもだ。何を考えているのか分からぬ。

 しかし、話し合いに応じねば、デニズヨルから買い付けに来る商人がいなくなり、民たちが困窮するだろうことは想像にかたくない。

 それに加えてイーデミルジュ族の動きも気になる。つい先日、内乱の影響で受注が大幅に増え、納期が大きく遅れる見込みであることを連絡してきた。ビルゲ・ギョゼトリジュらが王都を占領した直後に、慌てて槍や剣、銃弾、砲弾、大砲もイーデミルジュ族に発注したのだ。あれらがなくてはこの町の防衛が成り立たぬし、何よりもこの頃合いである。やはり、裏でデニズヨルと示し合わせている可能性も考えなくてはなるまい。

 そうなれば、……応じるしかない。

 ケレム・カシシュとは年齢としが近いこともあって、内乱の前までは懇意にしていたが、それも過去の話。今ではデニズヨル議会テズギャ以上に何を考えているか分からぬ。

 会うだけだ。ケレム・カシシュに目を付けられることもあるまい――


「――などと、アバレ様は考えている頃だと思います」

「本当にそうか? 帝国との噂が本当だったら?」


 11月上旬、デニズヨル南町役場の一室でドゥシュナンが淡々と話せば、すかさずセルハンが疑問を呈した。


「慎重でありながら楽観視もする人物らしいですし、グンドウムの経済はデニズヨルとの交易で成り立っている面もありますから、帝国がどうあったとしても、話し合いに応じてくるのは間違いないと思います。それに、帝国と繋がっているという噂については、あくまでも噂にしか過ぎないと僕は思っています。そもそもこちらに近いヒ大陸北東部の港は、すべて帝国と敵対関係にあるライトグレイス共和国の支配下にあるそうですから、わざわざ迂回してエコー大陸に軍を派遣するような余裕は今の帝国にはないはずです」

「ライトグレイスと手を結んでいる可能性もないか?」

「共和国の興りを知っているはずですから、それはないでしょうね。あれを引き入れれば内部から食い破られてしまいます。それこそ、ケスティルメも含めて」

「ふむ……」


 それから三日と経たずにアバレ家から応諾の返事があり、エンダー・バルクチュ、イーキン、そしてドゥシュナンを含めた使節団は、すぐさまアバレ領の中心であるグンドウムを訪れた。


「初めまして、ではないが、儂はデニズヨル代表のエンダー・バルクチュです」

「これは翁殿、お久しぶりですな。改めまして、ロクマーン・アバレです」


 有力家にしては珍しく、仕立ては良いが簡素な麻の上下を着たロクマーンが、絹の上下を纏ったエンダーを代表とするデニズヨルの使節団と机を挟む。


「さて、まずはクルムズパスの件、謝罪しましょう」

「ふむ? それは今般の納期遅れについて、そちらが裏で手を回していると認めるということですかな?」


 まずはエンダーが丁寧に頭を下げると、ロクマーンはにこやかに返した。


「いやいや、そういうわけではありませぬよ。ただ、こちらの商人たちが大量に注文したせいで、向こうも大変になってしまったそうでしてな。我らデニズヨルの商人が儲けを当て込んで、大量に仕入れようとしたばかりに、多くの勢力に迷惑をかけているようなのです。もし、そちらでご入用であれば、商人たちに通常よりも多少お安く融通するよう働きかけますが、いかが致しますかな?」


 そういうことか。こちらが武器を欲しがっているであろうことを予想して交渉の材料にしつつ、同時に軍を動かす予定があるかどうかも探ろうとしているのだと、ロクマーンは思う。


「それはしかし、そちらの条件を呑んだら、ということなんでしょう?」

「ええ、その通りですな」

「この時世じせいだ。こちらとしては、武器が多いに越したことはない。が、すぐに欲しいわけでもない。とりあえず、そちらの要求を聞こうではないか」

「ええ、ええ、そうでしょうとも」


 エンダーはめじりを下げて口の端を上げ、さも嬉しそうな顔で話し始めた。


「要求、と言うよりはこちらからのお願いですが、四つございます」

「四つ……」

「一つ目は相互不可侵をお約束頂きたい。要するに今まで通りの関係と言うことですな」

「ふむ」

「二つ目は、こちらのデニズヨル或いはデブラーチェニスの両都市と、グンドウムの間を行き来する商人たちの身の安全を保障して頂きたい」

「ふむ」

「三つ目は、ウチャン族とも同じよう取引を続けていきたいので、アバレ殿から口利きをお願いしたい」

「……ふむ」

「四つめは、シムセキのお力を我らに貸して頂きたい」

「……このロクマーン・アバレを内乱に巻き込もうとしておるのか?」


 シムセキとは、アバレ家が代々統轄する外地調査室カラカサの隠密警備部隊である。陸上の他、海上での警備行動も行なえるように訓練され、多数の小型船と少数の中型船を保有していた。いずれのも多くの水夫が必要な海軍の艦船とは異なり、帆船である。


「そのような意図はありませんが、いや、そうかも知れませんな」

「シムセキの名を出すということは、そういうことなのだろう?」

「はて? どうでしょうな?」

「相変わらず抜け抜けと……。ところで二つ目の要求だが、グンドウムを始めとした我が領地の商人たちがそちら側に入ったときには、議会の兵が護衛してくれるのだろうな?」

「おや? 言い忘れておりましたかな? もちろん、そうしますとも」

「私が言わなければそのまま放置していただろうに、相変わらず食えないことだ」

「さてさて、アバレ殿のお返事は如何に?」

「その前に、一つ目の要求だが、相互不可侵はお互いに軍事面で協力しないということも含めていいのか?」

「左様です。お借りしたいシムセキを除けば、ですがね」

「シムセキは何に使うのだ?」

「夜間にカシシュ家の大型艦船を襲撃することに使うんではないかの。……おっと、これはまだ秘密だったかの?」


 そう言ってエンダーは悪戯っぽく笑う。それを見たロクマーン・アバレは、やはり我らを巻き込むのではないかと、顔に出さずに思うのだ。


「……この場では返答しかねるな。追って返事を遣わすゆえ、今日のところはお引き取り願おうか」

「承知しました。色よい返事を期待しておりますぞ。少しの間なら民も飢えぬことでしょうしな」

「……」


 そうなのだ。飢えるというのは少々大袈裟だが、グンドウムの食料の多くはドゥザラン島のものに頼っている。それがなければ、ほぼ魚だけの食事となり、昔からパンや羊肉に慣れた住民たちから不満の声が上がるのは確実だった。断れるはずもないのだが、内乱に関わりたくない以上、シムセキを攻撃に使わせてくれなどという傲慢な要求は、吞めるものではない。


 そのようにロクマーン・アバレは沈思する、黙考する。沈み、沈む。銀の海の底まで。


 このままの姿勢であれば、小さな我が領地などすぐに蹂躙されてしまうだろう。それはテズギャかケレム・カシシュか、或いは第6王子か。いずれの勢力か分からないが、ケレム・カシシュと結べば彼が王になる未来も十分に有り得る。

 だが、ケレム・カシシュが王になれば、ハリカダイレ王家のような温和な治世は望めまい。臣従したとしても、以前のようにはいかないだろう。不信、嫉妬、裏切りがこの国を支配するのだ。

 やつの勢力は確かに大きい。エコー大陸最大だ。しかし、南の勢力も兵器類が多少古いことを除けば、動員できる兵力はかなりのものだ。そこに友好関係にあるショバリエ、ソルマ、オドンジョの兵も加われば、十分にするだろう。

 問題は海軍を持っているのがショバリエ領の中心都市アイナくらいで、それもギュネシウスとアイウスのものには遠く及ばない。内陸は攻め落とせるだろうが、海辺は策もなしに攻めればかなりの犠牲を強いられることになるだろう。さきの第6王子勢が良い教訓である。


 ……なるほど、それでシムセキの水軍兵力とダルマク、ウチャンの漁師たちか。

 ここはやはりテズギャと協力関係を築くのが上策なのかも知れないな。シムセキをあてにしている以上、交渉の余地は十分にある。だが、考えろ。私は民を戦に巻き込みたくないのだ。巻き込まれないためにはどうすれば良い? 何か方法があるのではないか? 考えろ、考えろ、考えろ……


 ああ、何という事だ。

 奴には、ケレム・カシシュには内地公安局アミガサがあったのだ。デニズヨル議会の使節団の訪問を許可した時点で、選択肢など無かったのだ。

 民よ、私はこれから君たちを、君たちの家族を、親しい友人を、恋人たちを殺さなければならなくなるだろう。怠惰な私を許して欲しいとは言わないが、せめて残った者たちに心安らかなる未来があらんことを願う。


 この会談から僅か六日後、デブラーチェニスにて両勢力の同盟関係に関する調印式が執り行われた。その中身は相互不可侵から踏み込み、軍事的な協力関係を結ぶこと、シムセキを動かす代わりにデニズヨルの商人たちが買い付けた武器と弾薬を、アバレ家に安価で融通することなどが盛り込まれており、セルハンが気味悪く思うくらい、ドゥシュナンの想定通りに事が運ばれたのだった。

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