第128話 廃墟にて夢を見る

「今だ!」


 デルヤは叫んだ。


 意図を察したドゥシュナンは入口に向けて駆け出した。

 同時にバリスの足元がさらさらと、意志を持った生き物のように外に移動し始める。

 バリスは即座に前に飛び退き難をのがれるも、同時に背後を駆けてゆくドゥシュナンをがした。


「おのれ、小細工をしおって! 早くナイフを寄越せ!」


 顔を紅潮させて怒鳴りながらも決闘の返事を待つなど、実に律儀なことだと思う。

 その意味ではデルヤは、そしてドゥシュナンは運が良かった。追ってきた兵士が末端の者などであれば、デルヤが咄嗟に思い付いた決闘も、無視を決め込んで容赦なく切り込んできたであろう。だが、相手はデニズヨルを追放されてもなお、の町の衛兵長たらんとしているバリス・セレンだったのである。


 デルヤは腰のホルダーから雑事に使うナイフを取り出してほうる。護衛対象を外に出せた安堵からか、その表情には幾分いくぶんか余裕が見て取れた。


「俺の名はデルヤ。偉大なる海の子ダルマクのデルヤだ。決闘の承諾、感謝する。いざ」


 デルヤとバリスは得物を構え直し、数えること4呼吸。

 のち、デルヤが動いた。

 右腕を痛めているからなのか。彼は両手で剣を握ってはいるものの、通常とは違い左手をつばに付ける変則的な持ち方をしている。


 まずは足を踏み出し一突き。バリスはクルチ曲刀で身を守りながら自身の左手側にかわす。

 元から当てる気などなかったのであろう。デルヤは踏み出した足を即座に戻して反撃に備える。僅かに揺れる切っ先の、更にその先がバリスの目に飛び込む角度で。

 そこからはバリスが一方的に動いた。バリス・セレンは凡人ではあったが、壮年に至るまで地道に磨いてきたその剣技は、つい先日、訓練を受けたばかりと言っても過言ではないデルヤにとっては達人のそれである。

 或いはデルヤも決闘の前から直感していたのかも知れない。デルヤは急所以外の防御を捨て、粘り強くバリスの攻撃をしのぎながら隙を伺っていた。

 幸いにして、デルヤがチュニック軍服の下に纏っている普及品のスケイルメイル小片鎧は、クルチ曲刀のような斬撃には非常に強い。それはもちろんバリスも身に着けているため、デルヤの持つ直剣による斬撃もあまり効果がないのだ。

 だが、直剣の先端は尖っている。ことにデルヤの持つ細身の直剣は、金属の隙間、あるいはスケイルメイル小片鎧を構成する金属板を貫く意図をもって作られたものである。この点も、デルヤとバリス、二人の決闘の当事者はよく分かっていたのだ。

 結果、バリスは大きく踏み込むことを躊躇し、剣技で上回ることを自覚しながらも致命傷を与えられずにいたのだ。とはいえ、デルヤが不利であることに変わりはなく、チュニック軍服は袖を中心に所々が切れ、顔にも幾筋か血が流れている。

 それでもどうにか持ちこたえていたのだが、ついには足をよろめかせて横に倒れ込んでしまった。

 バリスは大きく息を吸い、クルチ曲刀を上段に構える。デルヤは精魂尽き果てたのか、左腕を下に倒れたままバリスを見ているだけだった。


 不意に金属がこすれ、変形する音が聞こえた。

 数瞬の後、デルヤの前に赤い液体が落ちた。

 デルヤはバリスを見た。

 カッと目を見開き、己の体を見て、触れた。自らの体を貫く鉄の塊に。

 クルチ曲刀が手から離れ、土の床に落ちる。

 デルヤは時が止まったかのようにそれを見ていた。

 鋭い鉄の塊が胸から飛び出したまま、バリスは不思議そうな顔をする。

 そして、倒れた。

 胸から大量の血を噴き上げ、横倒しに。


「ごめん……なさい」


 デルヤは何が起きたのかようやく理解した。

 バリスの後ろにはドゥシュナンがいた。バリスは自らの槍で突かれたのだ。


「ごめんなさいごめんなさい」


 ドゥシュナンは涙を流して言う。


「良い、……良いのだ」


 バリスが血を吐きながら訥々とつとつと声を出すも、その目はもはや焦点が合っていない。


「あ、謝らずとも良いのだ、イゼット殿。我ら力を合わせ、共に民を守ろうぞ。……ああ、今日も賑やかで……実に……」


 ドゥシュナンはぽろぽろと涙を流し、何度も何度も謝っていた。相手は既にこと切れているというのに。


「ドゥシュナン様、埋葬しましょう」


 どうにか起き上がったデルヤが背中を叩くと、少年は無言で頷く。目立つところにしましょうとデルヤが言うと、また同じように無言で首を縦に振る。

 追手が来るかも知れないというのに、二人は広場で穴を掘り、太陽が西に傾く頃には槍、クルチ曲刀チュニック軍服で作った墓標を立てて完成させた。ドゥシュナンは直後の様子が嘘のように、泣くこともなく黙々と作業を行なった。


「そろそろ寝ましょう」


 ぱちぱちと燃える焚火の前、その言葉にも淡白にただ頷くのみであった。



――7月下旬、ギュネシウス。


 ギュネシウスの西1キロほどにある本陣幕屋に、息を切らせながら二人の伝令が駆け込んだ。


「西門塔に敵艦船よりの砲弾着弾! ベルカント様、ユルマイ殿、生死不明!」

「お味方の死傷者多数! ベルカント様の指示により撤退開始!」


 その報告に本陣幕屋の面々は次々と外に飛び出し、遠眼鏡を構える。それが終われば、一人を除いて明らかに浮足立ち、その顔には不安の色を浮かべている。


「て、撤退、撤退だ! 負け戦だ! すぐに撤退しろ! う……ぐ……」


 最も冷静さを失っていたのはアルテンジュだった。目に見えて狼狽し、撤退だの負け戦だのと震える声で喚き散らし、挙句の果てには幕屋の入口脇に盛大に吐瀉としゃした。目も当てられない惨状である。

 そのアルテンジュに背後から近寄る者があった。

 肩を掴んで強引に立ち上がらせ、かと思えば拳で思い切り殴り倒したのだ。


「え? ……は? え、え?」


 アルテンジュは何をされたのかも分からず、ただ困惑した顔で自分を殴ったデミルを見上げるも、デミルは再び彼の肩を掴んで立ち上がらせ、再度、力任せに殴り飛ばした。

 もんどり打って倒れる彼にゆっくり近づき、今度は胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせた。


「ガタついてねえで落ち着けよ王子!」

「は……、はっ、は……!」


 アルテンジュはなおも状況を理解できず、目を見開き、呼吸もままならない。


「お前が大将なんだよ! お前があたまなんだよ!」

「だ、だが、もう無理だ……。し、死んだ。人が、たた、沢山。ははは早く撤退し、しなければ」


「だからこそどっしりと構えろ! それが上に立つ奴の責任だろ!」


 その言葉を聞いたアルテンジュは、ゆっくりと自身の胸ぐらを掴む手をどけ、ふらふらと本陣幕屋の中に戻っていった。

 疲れ果てたように一際丈夫な椅子に腰かけ、出来たばかりのあざを触りながら一息、二息と吐いて声を張り上げた。


「軍議を開始する! 速やかに参集せよ!」


 その声にデミルは目を細めて満足気に頷き、幕屋の中に入っていった。


「あー、駄目か」


 その頃ベルカントは、崩れた瓦礫がれき埋もれていた。手足の感覚が無事であることは確認した。額からはどうも流血しているようで、じくじくとした痛みがある。ここから抜け出そうにもどうにも身動きが取れない。遠くからぼんやりと大砲の音が聞こえる。自分が生きているのか、死んでいるのかも判断ができない。そんな諦めから出た大きな声の呟きでもあった。


 しばらくして、彼は徐々に体が軽くなっていく感覚に体を任せた。

 これが死ぬということか。

 突如明るくなった視界に自らと瓜二つの面影を認め、その思いを更に強くする。


「ああ、親父。俺、死んじまったよ……」


 力なく呟く彼に、しかし、その面影は言ったのだ。


「おう、ベルカント。久しぶりに会ったっていうのに随分なご挨拶だな。勝手に俺を殺すんじゃねえ。そして、お前も勝手に死ぬんじゃねえよ」


 カシムはニカっと大袈裟に口角を上げて笑顔を作り、そしてベルカントを引き摺りだした。


「あ? お? 親父、生きてたのか!?」

「おいおいおいおいおい、俺は死ななえよ。折角牢屋から出してもらったっていうのに、簡単に死ねるかよ」


「そうか。幽霊じゃねえのか。良かったな」

「お前もな」


「ところで親父、近くにユルマイっていう奴がいたんだが知らねえか? 深紫のチュニック軍服を着てる奴なんだが」

「さぁ? 分からねえ。俺がここに来たときには、瓦礫もお前のところくらいしかなかったからな」


 改めて周囲を見渡すと、南部もカシシュもなく数名の兵士が慌ただしく瓦礫の撤去を続けていたが、やはりユルマイらしき人影は見当たらなかった。


「あ、そうだ。撤退しなきゃならねえんだ。親父、急いでここから出るぞ」


 周辺にいた兵士にも声を掛け、幸いにもほぼ無傷だった西門塔の急階段を降りてゆく。途中、幾人かのカシシュの兵にユルマイの所在を尋ねるも、残念ながら答えは「分からない」ままだった。

 或いは父親に救助されたのは夢で、自分とユルマイの体はまだあの瓦礫の下に埋もれているんじゃないかと、ふわふわとして実感のないまま、ベルカントはギュネシウスを後にした。

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