第126話 隠者の戦④

「東より砲撃あり!!」

「南! 兵士の一団を確認! およそ1000! 深紫!」


 甲高い金属音、肉と肉がぶつかる鈍い音、血と火薬の匂い、怒声と悲鳴が入り混じる陣地の中、イーキンとドゥシュナンは懸命に駆けた。もう少しで深紫色のカシシュ兵たちが、明確な殺意をもってここに踏み込んでくる。一刻も早くここを離れデニズヨルまで戻らなければ、命はないものと思った方がいい。


「イーキンさん。僕たち、助かるんですよね? みんな、みんな助かりますよね?」


 ほろの付いた馬車の荷台に乗り込みながら、ドゥシュナンが弱々しく聞く。続け様、イーキンが答える前に拳をぎゅっと握りしめながら言うのだ。


「やっぱり僕が止めれば良かったんだ。何が何でも僕が反対していればこんなに人が死なずに済んだのに!」


 不安を隠そうともしない少年の細い両肩に、イーキンは手を乗せてしっかりと見据え、そして口を開く。


「いいかい、ドゥシュナン君。これは議員全員で決めたいくさなんだ。そして、どれだけ君が頑張ったところで、あの決定はくつがえらなかっただろう。だから、早く忘れるんだ。いいね?」

「で、でも……」

「でもじゃない。君はともかく生き延びることに集中するんだ。荒事あらごとは私たち大人に任せて。分かったね?」


 イーキンとしては出来るだけ平静に言ったつもりだったが、知らずに力がこもっていたようだ。ドゥシュナンは馬車の揺れに合わせるように二度三度と素早く頷き、腰袋から茶色の魔石を取り出した。


「僕も、これで戦います」


 静かに表明した決意に、イーキンは満足気な笑みを返す。だが、撤退はまだ始まったばかり。これから大街道を北上しデニズヨルを目指せば、否が応にもケレムが新たな領主となったユケルバクの横を抜けなければならず、高い確率で敵兵が待ち構えていることだろう。


「あ」


 先んじて撤退しているこの一団の誰もがユケルバクで待ち構える壮絶な戦いを想定する中、ドゥシュナンは一人ほうけたように声を出し、そしてイーキンに話し始めた。


「北西に向かって、ユケルバクを迂回しましょう」

「北西? 未開地で道もないのにどうやって? 整備されていない土地をそのまま馬車で走れば、すぐに車輪が駄目になってしまう」

「あるんですよ、道が」

「どこに?」

「もう少しで左手に見えてきますよ。大きな杭と沢山積まれた石が目印です」

「本当にあるとして、その道はいったいどこへ繋がっているんだい?」

「イーデミルジュ族のクルムズパスです。彼らの支配地域であるグリの森まで逃げ込んでしまえば、ケレムさんも手を出せません!」


 話をするドゥシュナンの頬は色を取り戻し、実に頼もしく見えるではないか。


「ほら、見えてきました! あれです!」


 楽しそうに指差す方を見れば、確かに分岐を示す背の高い杭と、明らかに貧相な田舎道が見えてきた。イーキンは是非もなく反射的にその道へ入るように指示を出した。幌馬車2台、幌のない馬車1台、そして10名ほどの騎馬組と100名ほどの徒士組かちぐみが荒れた道に吸い込まれてゆく。ざっと見渡した限り、周囲に敵兵の姿はなく、兵士の疲労を考えて速度を緩めて進むも、馬車の揺れは流石に大きくなってしまった。


「そのまま道なりに」


 舌を嚙まぬよう、言葉少なに最低限の指示だけを出して、あとは口を大きく開けないようにして、イーキンとドゥシュナンは途切れ途切れに話し続ける。


「よくこんな道を知ってたね」

「マリク王の建国譚に少しだけ出てくるんです。昔はこの辺りの荒れた土地を開拓しようとして築かれた集落がいくつかあって、マリク王、サディルガン、バルクチュの一行いっこうはそういった集落に立ち寄りながらクルムズパスに武器を買い付けに行くんですよ」

「その集落は今でも?」

「残念ながら建国譚には、それ以上のことは出てこないんです。でも、正史によれば多くの開拓民をユズクの建設のために雇って移住させたとのことですから、残っていないかも知れませんね」

「そうか――」

「報告!」


 幌の外から聞こえた剣呑けんのんとした声に、二人は同時に背筋を伸ばす。


「敵と思われる騎兵が接近中! 距離、およそ1キロ弱と推定! 塹壕の掘削を開始しています!」

「数とチュニック軍服の色は?」

「およそ50! 深紅にて!」

「分かった。所持している魔石も確認するよう各人に通達を」

「は!」

「白と黒の魔石も使って構わん」

「は!」


 一通り指示を出すとイーキンは馬車を止めさせ、ここで待ち構える覚悟を示すも、しかし、騎馬組を一人呼び寄せれば、ドゥシュナンを乗せてこのまま道を行けと言う。


「イーキンさん、僕も戦えます!」


 少年はそう主張するが、声は上ずり僅かに震えてもいる。何よりも彼は兵士としての訓練を受けていないし、実戦経験もない。こんな子供をどうして戦場に立たせられると言うのか。


「君は我々の最重要人物だ。ここで死なせるわけにはいかない。ましてや、敵にさらわれるようなこともあってはならないんだ」

「僕も一緒に戦わせて下さい! 皆の役に立ちたいんです!」


 頬は紅潮し、その瞳は真っ直ぐに前を見据えていたが、それで覆るほどイーキンの判断力は低下していなかった。ドゥシュナンの訴えにも、一瞬たりとも考える素振りを見せず、即座に首を横に振る。


「駄目だ。そもそも君は兵士ではないし、能力も不足していると言わざるを得ない。さあ、行くんだ。これ以上、君に時間を取られるわけにはいかない」

「そうですか……。では、クルムズパスで待ってますから! 必ず追い付いてくださいよ!」

「ああ、約束しよう」


 セルハンと別れるときと同じやり取りだったなと苦笑いを浮かべつつ、イーキンは去りゆく馬を眺めた。


 後に残されたのは、イーキン麾下きかの魔法兵110余名。その多くは急ごしらえとは思えぬ出来栄えの塹壕、或いは土塁から顔だけを覗かせ、まばたきも少なに虎視眈々こしたんたんと敵の到着を待ち受ける。ある者は鉄砲を構え、またある者は魔石を取り付けた間隔杖かんかくじょうを握りしめて。周辺は街道の他は文字通り何も無い。あるとすれば背の低い草木だけで、実に見晴らしの良い場所である。


 やがて彼らに近づいてきたのは騎馬兵の一団であった。お揃いの深紅のチュニックを身に纏い、頭には同じく深紅のふさが揺れる。サディルガン家の凋落ちょうらくを知らぬ者が見れば、それは建国譚にもうたわれる王のほこ突撃重騎兵アテシュムズラルと思う者もいることだろう。だが、精強を誇った彼らも既に壊滅している。目の前にいる騎兵たちは、あやかろうと姿形を真似しているに過ぎないのだ。そして真似ただけで突撃重騎兵アテシュムズラルになれるはずもなかった。彼らがまたがる騎馬も鎧を纏っておらず、どこか貧相である。


 しかし、紛い物ではあるが、訓練された本物の兵士であった。


 およそ50騎は塹壕ざんごうに近づくにつれて速度を合わせ、まずは横一列に速歩はやあしする。そして300メートルほどの距離となったところで立ち止まり、西日が辺りを赤黒く照らす中で分裂した。騎馬と兵士が、ではなく、兵士が、である。


 しまった、とイーキンは思った。分裂した兵士たちは、一様いちように有力家の一般軍装であるチュニックと鉄兜を身につけ、そして銃剣をたずさえていたのだ。もちろんヒトが分裂するはずもなく、騎馬に二人で乗ってきただけのことであるが、兵の数にして2倍、そして騎兵だけではなく鉄砲も考えなくてはならず、イーキンは即座に作戦の変更を思案し始めた。塹壕ざんごうこもり、時間をかければ、まず負けることはない。しかし、時間をかければかけるほど、追手の数が増える可能性もある。どうすればいい?


 思考の最中さなか、突如としてまばゆい光が現れた。合わせて三つのそれは沈みかけている太陽よりも明るく戦場を照らし、尾を引きながら深紅の軍勢に飛んでいった。敵の軍勢がもうすぐそこまで迫っていたのだ。

 敵兵はたまらず目を閉じ、多くの騎馬は逃げ出し、或いは大いに暴れて兵士を振り落とした。そんな状況でも勇気のある者たちはこちらに攻撃を加えようと銃を放っているのだが、やはり撃てる者の数が少なく、土塁に吸い込まれるのがやっとである。両手をひさしにその様子を眺めていたイーキンは思った。兵士たちの方が余程分かっているじゃないかと。


「緑と青の魔石を使った人体への攻撃を許可する!」


 吹っ切れたのだ。敵の兵士がどれだけむごたらしい最期を迎えることになろうとも、必ず皆を連れて生き延びてやるのだと。そして光弾が消えかけたとき、敵の大半は目を押さえてうずくまるか、のどを押さえて絶命していた。その壮絶な光景に戦場にいた誰もが息をのみ、目を釘づけにされた。


 それ故に気が付かなかったのだ。

 街道から外れた荒野を単騎で駆ける深紅の兵士に。

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