第120話 ぐにゃり

「あー、えーっと、僕はデニズヨル議会代表のドゥシュナン……イネキのドゥシュナンです。初めまして、ハヤチ・サディルガンさん」

「……殺せ」


「僕たちに協力して頂けませんか?」

「……早く殺せ」


「どうしても駄目ですか?」

「何度も同じことを言わせるな。さっさと殺せ」


 話しかけても「殺せ」としか返さないハヤチに、若い代表は困り顔で先のいくさの功労者、セルハンとケレム・カシシュを交互に見るが、二人は既に悟り顔でドゥシュナンを一瞥いちべつするのみであった。その反応にドゥシュナンは一層不安になるばかりで、そもそも、ただ町の代表者と会談をしに来ただけなのになぜ自分が? という疑問がいまだ彼の頭の中を漂っているというのに。


 ――スオーツ湖畔の戦いに勝利してから1週間ほど経った頃、ドゥシュナンはケレム・カシシュに招待され、デニズヨルの代表として旧サディルガン領の中心都市ユケルバクを視察に訪れていた。デニズヨル、或いはドゥザラン島の集落とは全くおもむきの異なる、高い城壁で囲まれたその町を地元の行政官に説明されるままに見ていたはずだったのだが、町の中心部にある元サディルガン屋敷に足を踏み入れたところから案内人が変わり、雲行きが怪しくなってきたのだ。


「ドゥシュナン君、ハヤチ・サディルガン殿を説得してみないかい? 彼のような人材がこちらの仲間になってくれればとてもいいことなのだけど、なかなか私たちの話を聞いてくれなくてね」


 私たち、というケレム・カシシュの私たちとは、その場にいたセルハンも含めてのことだろう。それにしても二人はいつの間に仲良くなったのだろうとドゥシュナンは思ったのだが、セルハンがケレムに言うところには「あんたが誘ったところで話すら聞いてくれないのは目に見えているだろ」とのことで、これまでの様子が何となくだが分かってしまった。


 そんなこともあり、質実剛健の家風をそのまま表したような無駄のないお屋敷の一角。使用人たちが利用する食堂で、ドゥシュナンはハヤチ・サディルガンと少し話をしてみたのだが、これまでのところは冒頭の通りである。


 さて困ったとドゥシュナンは頭と首と思考をひねる。そもそも何故死にたがるのかが理解できないのだ。なぜ、どうして。ヒトはみな、生きたいと願う生き物なのではないのか。だからシェストの神に願うのではないのか。だから食料や水を求めて彷徨さまよい或いは争うのではないのか。なぜ、目の前の男は自ら死を望むのだ。なぜ、なぜ、なぜ。


 やがて脳裏にちらつくのは、デニズヨルで眺めたおびただしい数の死体と父エマネツの最期の姿。同時に自身を襲うぐにゃりと捻じ曲がった感覚。それは眩暈めまいのようでいて、しかし、ドゥシュナンのただ心だけを締め上げた。


「う……」


 途端に込み上げるものを感じた彼は、慌てふためいて部屋の隅に駆け出し、ユケルバクで口に入れたものを石の床に吐瀉としゃしてしまう。


「はぁはぁ……はぁ、ずみまぜん。少し……席を外しますね」


 そう言い残してドゥシュナンが立ち去るやセルハンがお開きを提案し、ハヤチ・サディルガンは後ろ手に縛られたまま、カシシュ家の兵によって再び外鍵の部屋へと連れていかれるのであった。


「ドゥシュナン、大丈夫か!」


 屋敷の裏手、明るい井戸端で背のない長椅子に腰かけ、呆然としているドゥシュナンを見つけるなりセルハンが心配の声を掛けるも、それに返って来た返事は心許なく、彼には聞き取れない。


「ドゥシュナン、大丈夫か?」


 今度は隣に腰掛け、ぎぃと小さく椅子が鳴くことにも構わず、顔を覗き込むようにして問いかけた。


「ええ、はい、大丈夫です」

「顔が青いが……。無理はするなよ」


「無理、そうですね。無理をしてるかもしれません。……僕にはハヤチさんがなぜ死にたいのか理解ができないんですから」

「そうか」


「ねえ、セルハンさん。ハヤチさんはどうしてあんなに死にたがっているんでしょうか?」

「さあな」


 セルハンは咄嗟とっさになんとも素っ気ない返事をしたが、その次には上体を起こして腕を組み、悩める少年に答え始めた。


「俺にはハヤチの気持ちは分からない。他人だからな」

「はぁ、やっぱりそうですよね」


「しかし、なんとなくなら分かる」

「それはどんな……」


「絶望したんだ。奴の性格は分からないが、恐らく責任感が強いのだろう。そして建国譚でも大きく注目されるサディルガンの家名にも誇りを持っていた。兵士も十分に鍛えていた。だが、さきいくさでの大敗してしまった」

「また、立ち上がればいいじゃないですか」


「さっき言っただろう? 絶望したんだと。……だから、あいつはもう駄目だ。ケレムの言う通り、こちらのために働いてくれるのならいいんだが、残念ながらそうではない。希望通りに処刑してやれ」

「だって……」


 セルハンから出た処刑の2文字は若い代表をいたく動揺させたようで、小刻みに唇が震えているのが見て取れ、聞き役はドゥシュナンが必死に絞り出そうとしている次の言葉を、ただ黙して待った。


「だって、まだ生きてるじゃないですか。死んでないじゃないですか。死んだら終わりなんですよ? どうして自分で死のうとするんですか? どうして処刑するんですか? 僕にはまったく理解できません」


 やがて彼の耳に聞こえてきた言葉に、実にドゥシュナンらしいものだと頷くも、答えようと口を開く前に、まるで見ていたかのように邪魔が入ってしまった。


「やあ、ドゥシュナン君、それにセルハン君も探しましたよ。ハヤチ殿を部屋に戻したことを監督して戻ったら誰もいなくなってしまったから、てっきり仲間外れにされたのかと。それで、何か悩み事でも?」


 ケレムだ。セルハンとしては、そもそもこいつがハヤチを仲間に引き込みたいなどと言わずに、さっさと処刑してしまえば良かったものをと思っているのだが、先日の勝利はほぼこの男の働きによるものと言っても過言ではない。何か意見を述べたところで聞き流されると分かっていても、無用な衝突を避けるためにいったんは聞かなければならないのだ。それが、腹に一物を抱えているような人間の話だとて。


「ああ、ケレムさんにお願いされたハヤチさんのことですけど、もっと時間をかけるのはどうでしょうか。そうすれば死にたいなんて思わなくなるはずです」

「おやおや、ドゥシュナン君は優しいのですねえ。でもね、ドゥシュナン君。ハヤチ殿は君が来るまであんなに殺せ殺せ言わなかったんですよ。これってどういうことなんでしょうかねえ? ねえ、ドゥシュナン君」


「ケレム! 貴様!」


 言われた本人は一層難しい顔になってしまっただけだったが、ケレムのその追い詰めるような物言いにセルハンはつい立ち上がり、怒鳴ってしまったのだ。この自分とそう年の変わらない男に。


「セルハン君、どうかしましたか? 私は今、ドゥシュナン君と話しているのです。邪魔はしないでもらいたいですね」


 しかし、ケレムは一切ひるまずこれまで通り。セルハンはその様子が気に食わず、どうにも文句を言わなければ気がすまなくなってしまった。


「しかしだな、つい最近になっていきなり代表を押し付けられた若造に、虜囚りょしゅうの命をゆだねるのはどうなんだ?」

「デニズヨルを占拠し始めてから制圧完了まで、ほぼドゥシュナン君が作戦の立案をになっていたと言うではないですか。それは今更ではないかな? それとも、あなた方北部氏族、……おっと、セルハンさんは”南”でしたが、ともかく、兵卒の命をさんざん彼に押し付けてきたのに、しょうの命は任せられないとでも?」


 セルハンは何か違和感を覚えるものの、確かにその通りだったと、それ以上言い返せず、歯噛はがみしながら沈黙。ケレムはそれを横目に再びドゥシュナンに話しかけた。


「仲間に引き込めなければなぜ要望通りに処刑しなければならないのか。君はそこが分からないようだね?」

「あ……、ええ、はい、その通りです。なぜなんですか? いくら本人が死にたいと言っているからって、どうして殺さなければいけないんでしょう? それに時間が経てば気が変わるかも知れませんよ」


「ドゥシュナン君は見た目の通り、とても瑞々みずみずしく青々としていますねえ。実に羨ましく、実に、愚かなことだ。……だから、いくさのことをもっと知って汚れてもらわなければならない。と思うのだよ、私はね。……おや、如何にも分からないといった不安そうな顔をしているけれど、ハヤチ殿を処刑するのはとても簡単な理屈だ。それはたとえ本人が死を望んでいないとしても、そうしなければならない」


 この小さな井戸端の会場で、ドゥシュナンは不安な顔で、セルハンは不愉快そうな顔でただただケレムの演説を聞いている。


「戦はまだ続いていて、彼のような偶像が消えるまで終わらないのだよ。一地方の領主ともなれば、絶対の忠誠を捧げる者、仕える主が善で敵が悪と盲目的に信仰する者、主を救出したいと願う者、家名を再興したいと願う者が必ずいるし、必ず出てくる。完全に仲間に引き込めればそれらをある程度は取り込めるけれど、引き込めず、生かし続けるのであればその者たちはいつまでも希望を持ち続け、厄介なやまいともなる。はっきり言ってしまえば、仲間に引き込めたとしてもそのようなやからは必ず現れるのだけど。……だから、偶像は早く破壊されなければならない。跡形もなく、完璧に」

「で、でも王国の建国譚では、マリク王はエルトゥールを処刑しませんでしたよね?」


 ドゥシュナンは相変わらず不安ともおびえともつかない表情だが、思うところはやはりあるようだ。しかし、それもケレムは一蹴する。


「今の状況を考えてみても、ドゥシュナン君は処刑しない選択肢が正解だったと思いますか?」

「……い、いえ。何と言うか、分かりません」


「私が思うに、マリク王はボシ平原での決戦後、ギョゼトリジュ家を潰し、そして他の有力家からも領地を取り上げるべきでした。そのようにして王に権力を集中させれば今のような内乱も起きなかったでしょうに。そういう意味ではの英雄王はあなたと同じように優しく、甘かったと言わざるを得ませんね」

「……」


 ドゥシュナンもセルハンも、もう何も言えなかった。セルハンにしてもそれなりの覚悟をもって、眼前の敵に対してきたつもりだったが、それはあくまでもだったのだ。子供の頃から為政者いせいしゃとして統治を学んできた者とは、何代も先までのことを考えて行動するものなのかと。

 ドゥシュナンは再び心がぐにゃりと歪む感覚に襲われ、耐え切れず空っぽの胃の中身を吐瀉としゃし、セルハンはわざわざドゥシュナンをこのような目に合わせるケレムという男が計り知れず、恐ろしくなった。


 そうして翌朝、ハヤチ・サディルガンの斬首が行なわれた。首はさらされず、胴体とともに丁重に葬られる。


 その日の午後、同じ井戸端でドゥシュナンはセルハンに聞いた。

 どうしてハヤチさんはビルゲ・ギョゼトリジュに味方したんでしょうね、と。


 それに対してセルハンはこう答えた。

 さあな。ご先祖様みたいに、戦場を駆け抜けたかったんじゃないか?

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