第74話 カネウラにて

 ハレ大陸の西の海に面したカネウラは、町の北を北カナヤマ、南を南カナヤマという小高い丘に挟まれた広い入り江に作られた町である。他の領都と同様、6メートルくらいの高さの城壁が囲んでいるが、海に面した部分には当然、城壁はない。城壁はないが両カナヤマの頂上付近には仰々しい要塞が築かれているのも見て取れる。地元の人の話によれば、要塞とその周辺にはいくつもの大砲が置いてあるとのことで、海からの備えに相当気を遣っているのが伺える。

 城壁やら要塞やらの物々しい雰囲気とは対照的に、一般の街区はとても開放的だ。南部のオータフルスほどではないものの、その陽射しはとても眩しく、北門から中心部、そして中心部から西部の漁港、南西部の貿易港へ伸びる通りは商店、露店、それから魚介類を調理してその場で販売する屋台が商品を競い、それを買い求める人達で賑わっている。

 そして、北カナヤマ周辺の漁村から発生した漁港周辺の町並みは桟橋のある風景と相まってどこか牧歌的で懐かしく、南カナヤマ周辺の交易商達が発展させた街並みの表情は、どことなく忙しない。そんなところも対照的で、観光客はきっと飽きないことだろう。


 さて、到着したのが夕方ではあるものの、早速観光せねばなるまい。


 などと思っていたのだが、召命の儀式は明日のお昼前なので、それまでは護衛を続けないといけないんだった。で、儀式が終了するまで外で待機して、その後は観光する間もなく一人ドロテちゃんを残し、イヌイに戻るために発つのだ。護衛のスケジュールを忘れてしまうなど、カネウラの空気に当てられて気が緩んでいるのかも知れない。全部カネウラのせい。ところでカネウラ観光したい。

 護衛するといっても、ドロテちゃんとアルマさんは今日は南街区にある領主様のお屋敷、マザーと俺は北街区の教会に宿泊するから夜は特に何もやることがない。町の東部にある普通の宿に泊まるハンネスさん達は今頃酒場で地元の料理などを堪能していることだろう。実に羨ましい。

 シェスト教では酒も肉も禁止していないのだが、教会の一般向け宿泊施設で提供される料理は教会関係者と同じく、ベーコンと豆のスープ、それにパンという質素なものだったから、そう思うと余計に羨ましい。

 マザーの方はと言うと、教会関係者なのでここのお偉いさんとご歓談した後は、関係者用の宿舎に泊まるとのことだ。


 うん、観光する隙が無いね。でも、今なら、今このときだけなら、そーっと抜けだせば行けるんじゃないか?でもなあ、うーん……、うーん……、ふがー……、すぴー……。


 ……ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……。


 ふぁ!?


 もう朝だった。一瞬で朝になった。


 教会の宿泊施設を脱走して観光しようかどうしようか逡巡している内に、ぐっすりお眠だったらしい。流石、教会の敷地内だけあって鐘がよく聞こえたお陰で目が覚めた。今が何時かは分からないが、外は朝特有の遠慮がちな明るさになっているから、起きて支度をするか。朝食は7時から8時の間にしてねって言われてるし。


「お早うございまーす」


「お早う」


「お早うございます」


 宿泊施設の一角にある土間へ行くと、少し前に起きていたであろう別の宿泊者が何名かいて挨拶を交わす。時刻を尋ねると、さっきのが6時の鐘だと教えてくれた。水瓶から備え付けのベッケンたらいに水を汲み、顔を洗って麻の布で顔を拭う。部屋に戻って服を着終えたところで外へ出て空を見ると、イヌイとは違う、春の海によく似あう浅縹あさはなだ色が広がっていた。今日は良いことがありそうな予感がする。


 ……ん?


 目の端に何となくこちらを見ているような人物がいるような気がして、そちらの方を見ると、確かに事務所兼関係者用宿舎の3階の窓からこちらを見ている人がいた。が、向こうも気が付いたのか、すぐに窓から離れ見えなくなってしまった。女性のようだったしマザーかも知れないな。


 ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……。


 教会の庭に陽が当たるベンチを見つけ、朝の日向ぼっこをしている内に7時になったようだ。この時期の日向ぼっこは実に気持ちが良い。朝食後も護衛開始まで時間があるし、また日向ぼっこしよう。


「スヴァン、お早う」


 昨晩と変わらぬ朝食、かと思ったらスープに小さな二枚貝が入っていて、何とも言えない旨みが染み出していた。それを食べ終わり、食器を片付けようとしたとき、マザーに声を掛けられた。昨日のフード付きワンピース、いわゆるローブの旅装に引き続き、今日も教会の聖職者らしい格好をしている。今までじっくり見たことはなかったが、展開すると前後と袖の部分が十字に繋がっていて中央に丸く穴の開いた貫頭衣のようなものを旅装のローブの上から着ているようだ。前後を紐で結び、袖も紐で結んで固定している。地は瑠璃色よりも明るい紺碧色だが、前部と袖の中央には白い線が走り、ローブの瑠璃色の線と中心を合わせ、銀細工の金具で留められている。また、その白い線を中心に同じく白で模様が描かれており、神話や教義に基づくものであろうことが想像された。あの白はどうやって描いているのだろう。染め抜きか刺繍か。なお、ローブと異なり、背には何も描かれていない、全くの紺碧だ。


「お早うございます、マザー。今日は声が小さくて元気が無いようですね」


「教会の食堂ですからね。聖職者の端くれとして、慎ましく在らなければならないのよ」


「そうなんですか?」


「そうなのよ。ところで、これから町を観光しない?」


「え?観光?儀式に参加するのに大丈夫ですか?」


 昨晩、観光に行きたいとあれほど悶々としていたのに、俺はこういうときは真面目だ。


「儀式まであと3時間以上あるし、大丈夫でしょ。じゃ、適当に理由付けて外出するって言ってくるから、護衛よろしくね」


 そんなんで大丈夫か?


「あ、教会の入り口で待っててね!」


 マザーはそう言い残して、すたこらと関係者用宿舎の方へ消えていった。元気が良くて何よりだけど慎ましさはどこへ?


「え、そのままの格好で行くんですか?」


「当たり前じゃない。この上っ張り、意外と着るの大変なんだから」


 言われた通り教会の入り口で待機していると、すぐに食堂で会ったときと同じ格好でマザーがすたこらと駆け寄ってきて、ちょっと驚いた。


「それは上っ張りではないと思いますけど、問題はそこではなくて、汚してしまったり熱心な信者に引き留められたりしないだろうかと心配なんですが」


「うーん、大丈夫じゃない?心強い護衛もいるし」


 護衛の仕事に衣類を汚さないようにする任務を増やさないで欲しい。熱心な信者は、どうにか人払いすれば良いのだろうけど。

 そんなやり取りの後、9時の鐘が鳴ったら南街区の領主屋敷にいるドロテちゃんを迎えに行かなければならないことも考慮して、漁師町の海辺の一番南のエリア、桟橋が少ない砂浜まで買い食いをしながらやってきた。日の出と共に漁に出る漁師たちに合わせているのか、朝早くから市場も屋台も開いていて活況を呈している。途中、道行く信者に話しかけられることもなく、屋台の主が特別に値引きしてくれたりしてマザーが得意げな顔になっていたくらいのことしか起こらなかった。


「んっんー!気持ち良いわね!この海を渡ると教会の総本山があるエコー大陸があるのよ。知ってた?」


 海の方を向いて気持ちよさそうに伸びをしながらマザーが話しかけてきた。確かに晴れ渡った浅縹の空、紺碧の海、桟橋と砂浜が開放感を醸し出している。そこに一緒にいるのがドロテちゃんやアルマさんが良かったなんてこれっぽっちも思わない。嘘だ。俺は嘘を付いた。8割くらい思った。


「それにしてもスヴァンが護衛についてくれて良かったわ。知らない人とだとこんなに気が抜けないもの。あなたを産んで本当に良かったわ」


「……」


 確かに知らない人と行動を共にするのは中々に気疲れするものだ。

 あれ?なんかマザーがとんでもないことを言ってた気がしてきたぞ。


「おおおお俺、孤児じゃなくてマザーの実の子供だったんですか?」


 今、明かされる衝撃の事実だ。マザーは照れ臭かったのか、言い出し辛かったのか、海の方を向いたまま黙っている。


 ザーン、ザザーン、ザザーン、ザーン、ザーン、ザザーン……


 寄せては返す波のように心はざわつき、また、落ち着きを繰り返す。


「……嘘ぴょん」


「……海に投げ込んで良いですか?」


「きゃー、やめてー、投げ込まないでー。冗談よ、冗談。開放的になってつい魔が差したのよ。でもね、幸か不幸か、あのとき路地裏に捨てられていたあなたに気が付いて良かったと思ってるわ」


「こちらこそありがとうございます。マザーに拾っていただけなかったら、俺は今頃ここには存在していませんから」


「よせやい、照れるじゃねえか」


 どこの男気ですか?でも……


「でも、マザー。どうして西大通から南東部へ抜ける路地を歩いてたんですか?教会も市場もあの方向ではないですし、それに、イヌイの他の地区と比べるとあの辺の路地裏は少し物騒ですよね?」


「それは……、言えないわ」

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