第2章 悔悟

第50話 ただただ白くて真っ白でどこまでも透明な

 思い出した、オレの、ボクの、ボクの名前はシュテファン……、違う、違う、もっと、もっと前、もっと前だ。


 もっと前だ、前だ、前、前、前、そうだ、これだ。僕の名前は須田半兵衛。これだ。

 僕は日本の平凡な家庭に生まれた。父が戦国武将の竹中半兵衛が大好きで、そこから付けた名前だと言っていた。そんな父は中学校を卒業した後、すぐに地元の大きな家電の工場に就職し、自分が勤めている工場で作られた商品と、入社してからずっと皆勤賞を続けていることを自慢する、ありふれた人だった。

 母は家事と子育ての傍ら、近所でも評判のお弁当屋さんでパート勤務をしていた。美味しいと言ってもらえるのはとても嬉しいんだけど、時給がねぇ……、と口癖のように呟いていたが、たまに持ち帰って来るおかずが美味しくて、僕は内心、続けるべきだと思っていた。


 大袈裟な名前とは裏腹に、僕は平凡な高校を平凡な成績で卒業したが、すぐに地元にある大手スーパーのチェーン店に就職することが出来た。

 就職後も特に活躍はしなかったが、父よろしく真面目に勤務し、30歳で係長に昇格することも出来た。ブラックとは無縁の労働環境で特に大きな病気もケガもせず、給与も高くはなかったが、同年代と比べると十分に貰えていた。そんな僕が、僕が……、僕が……、僕が?


 ――あれ?どうしてここに居るんだ?


 おかしいおかしいおかしいおかしい、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 どうしてどうしてここに居るんだ?ここに居るんだ?ここに居るんだ?どうして?


 全く思い出せない。そうだ、普通に暮らしていた。たまに夫婦喧嘩をする気の良い平凡な両親と、一緒に暮らしていたはずだ。両親はどうした?僕はどうした?


 ――考えるのも面倒になってぼーっとし始めたころ、周りが尋常ではないことに気が付いた。


 あれ……ここは……?

 気付けば白い、ただただ白い空間にいた。

 いや、白いと感じただけで本当は白くないのかも知れない。

 とにかくそこには白くて何もない。


「私の声が聞こえますか」


 不意に声が聞こえた。

 初めて聞こえたようでもあるし、この空間に来た時から何度も聞こえていたような気もする。或いは、或いはもっと前から繰り返し繰り返し聞こえていたのかもしれない。


「はい、聞こえます」


 何もかも面倒だったが、とりあえず返事だけはした。返事をしなければこの空間に呑まれてしまうと思った。


 返事をすると、目の前に白い何かがいた。最初から、ずっとずっとそこにいたのかも知れない。

 不思議なことに、白い空間なのに白い何かがいることを感じ取れた。


「そこに誰かいるんですか?誰ですか?」


 得体の知れない存在を前にして、たまらず誰何すると、


「やあ、いるよ。そうだね……、神、とでも名乗っておこうか」


 声をかけた方向から、そう返事があると、その白い何かの姿が見えてきた、……が、


「なるほど、君はこう認識するのか。これはなかなか面白い」


 ぼんやりと見えてきた神と名乗る存在の姿は、日本の神様でよく見た衣冠束帯を纏っていた。が、何故か幼い。中学生くらいの中性的な男の子に見える。髪の毛は、銀髪とでも言うのだろうか、繊細な白練しろねりの一本一本が光沢を放っている。ところが、目や眉毛は日本人そのものだ。


「神様、ですか」


「うん。今はそれで構わないよ。あくまでもヒトの概念の産物だけどね。ところで、君がここにいるのは他でもない、話をしよう」


「……ああ、はい、分かりました」


 分からないことだらけだが。


「さて、何から話したものか。……うん、まずは、そうだね。君はこの世界の人間ではない。あ、うっかりしてた。君、腰掛けたまえよ」


 そう言われると、いつの間にか僕は椅子に座っていて、目の前には膝と同じ高さの白いテーブルも在った。どこかでカーテンも揺れている。

 神を名乗る存在は、僕の左斜め前に置かれたソファーに腰掛けている。


「えーと、何の話をしていたかな」


「僕がこの世界の人間ではない、まで聞きました」


 異常事態のはずだが、つい先程までの混乱が嘘のように、何故かいつも以上に冷静に、感情の色も無く返事が出来た。


「ああ、そうだったね。君はこの世界の人間ではない。元居た世界で、死因は分からないが亡くなってね、君の魂がこの世界に迷い込んでしまったんだ。普通は同じ世界で循環するものなんだけど、私でも詳しい原因は分からないんだ」


「神様やこの世界の人々が呼んだという事では?日本で流行したマンガで読んだことがあります」


「残念ながら、神だからといって他の世界に存在する魂には干渉できないし、この世界の生物が他の世界の魂を呼び込めるような技術を持っているなどということは寡聞にして知らないよ。本当に偶然だと言うのが、今のところの私の結論だ」


「干渉できない、とすると僕の死因や、残された家族のことも分からない、ということですか?」


「うん、概ねその通りだよ。君が覚えている記憶を覗くことはできても、記憶に残っていないことは残念ながら修復できない。みんなに期待されている神様だけれど、そこまで色々できるわけではないんだ。ま、話を続けようか」


 両親のことが分からないのは残念だが、向こうの世界で僕が死んでしまっているのであれば、もう、どうにも出来ないだろう。戻れない故郷を思っても仕方のないことだ。


「おや?少し良い顔になったかな?さて、幸か不幸か、この世界に迷い込んだ君の魂なんだけど、馴染む前にどうやら分かれてしまったようでね、今はまだ完全じゃないんだ」


「え?魂が完全じゃないって大丈夫なんですか?」


「そう思うよね?私もそう思った。でも今のところ問題は無いようだ。この件は私も初めてだから、注意深く観察させてもらっているよ。君が死ぬ前に居た世界の記憶も含めてね」


「はぁ、そうですか」


「魂ついでに、もう一つお話しをしよう。君の世界に輪廻という考え方があるようだが、この世界にも輪廻は有ってね、記憶を引き継ぐことは極めてまれだが、魂は絶えず循環しているんだ」


「ははぁ、それで僕の他に2人の記憶があるんですね」


「察しが良いね。でもさっきも言った通り、記憶を引き継ぐのは極めてまれだからね、君にはこのノートをプレゼントしよう。君の世界ではこういうのをノートと呼ぶのだろう?」


 そう言って自称神様が渡してくれた、ノートというには余りにも立派な葡萄えび色の革装のそれは、しかし、厚さが1センチほどしかないアンバランスなものだった。ペラペラと紙のページをめくると、シュテファンとスヴァン、2人の日々が簡潔な日記のように、1ページに3日から1日分ずつ記されている。とても1センチしかない厚みで収まる日数ではないと思うのだけど、これまで見知った出来事が全て記録されているようだ。


「そのノートは特別製でね、存在しているようでいて存在していないともいえる。他の誰にも認識されることは無いし、紛失しても必ず戻って来る。君の魂が回った際も、いつの間にか君の手元にある代物さ」


「前世の記憶なんてなくても良いんですが、どうしてこれを?」


「君に頼みがあるからさ。転生したときに忘れられたら困るだろう?」


「頼み……、ですか」


 うーん、自称神様からの頼みってなんだろう。変なことじゃなければ良いけど。


「そういぶかるものではないよ。そう難しい話ではないんだ。色々な場所に行って欲しいだけさ。実を言うと、君の魂がこちらに来る少し前から、魂の循環が乱れていてね、うまく回らないことがあるんだ。原因がまだ分からないから、実際に君が見たものを私が覗く方法を試してみたいんだ。あ、もちろん、君の魂の循環は私が保証しよう」


「そういう事でしたら、引き受けます。色々な場所に行くのは楽しそうですし」


「そうか、ありがとう。よろしく頼むね」


「神様、最後に質問良いですか?」


「なんだい?」


「あなたの名前と、ボクを殺した犯人を教えてください」


「ボク……か。シュテファン・オダを殺した犯人は調べれば分かるけれど、それは君自身が調べればいずれは分かることだ。頑張って見つけたまえよ。それから、私の名前は色々あるけれど、”シェスト”が君には分かり易いだろう」

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