第49話 オレ㉘

 ――ところでお前、どれくらい覚えてる?



 ……え?どういう意味?どれくらい覚えてる?何を?どれくらい、ってどれくらい?


 何を質問されているか全く理解できないが、答えないと馬車から追い出されるかも知れないと思い、何とか言葉を絞り出した。


「えっと、マザーに拾われたことは覚えておりませんが、3歳半のお祝いでトルデルニークを美味しいと思ったことは覚えています」


「ははは、そうか、そうか、うん、そうか。分かった。今の質問は忘れてくれ。他言も無用だ」


 オレの答えに閣下は急に大声で笑い出したかと思えば、一人で納得したようだ。それにしても閣下と話したことなど、知り合いに自慢したいのに、他言無用とは残酷なお人だ。


「さて、スヴァン。もう一つ質問だ」


 ……ごくり……。今度はどんな質問だろう?


「ツチダの報告で、お前が例の奇妙な動物と直接、相対したことを聞いているが、間違いないな?」


「はい、間違いありません」


 どうやら奇妙な動物の質問のようだ。少し安心だ。


「お前はアレをどう思った?」


「盾を簡単にへこませるくらい力は強いようですが、武装した複数名で対応できれば問題ないかと思います。ただし、」


「ただし?」


「ただし、罠にかかっていない、自由に動ける状態のアレがどの程度の脅威なのかは、残念ながら分かりません。ツチダの猪も罠にかかっていて、あまり身動きが取れない状態の体当たりで、鉄板を貼り付けた丈夫な盾を凹ませましたから、相当危険だろうなとは思いますが」


「ふむ、やはりそうか。分かった。アレは”獣”だと思うか?」


 獣。


 一瞬、何のことか分からなかったが、シェスト教の教えにある獣のことだろう。


「残念ながら、あの獣かどうかは分かりかねます。そもそも、教義でも”獣”とだけしか出てきておらず、体の特徴などは一切、言及されていなかったと思いますし。ただ、みんなの知恵で退けるところは同じですね」


「うーん、そうだよなあ……、うん。ところで我が甥っ子は元気にしてるか?」


「甥っ子?と申されますと?」


「おう、ツチダの代官のことだ」


 あの若い代官は閣下の甥っ子だったのか。言われてみれば、どことなく似てなくもない……か?髪色と目の周りだけ似ているような……。


「閣下の甥御さんだったとは、知りませんでした。そうですね、お元気のようですよ。テキパキと指示を出すところも拝見したことがありますし、優秀な方とお見受けします」


「うんうん、そうだよな」


 甥っ子が褒められたのが余程嬉しかったのか、先ほどまでの厳めしい吊り上がった顔が、一転して垂れ下がった。


「客観的に判断すると特別優秀ではないが、ツチダの契約の間だけでもよろしくな」


「は!分かりました」


 その後、何事もなく馬車は進み、オレは何回かの交代の後、幌馬車での待機要員として、出発して3日目のお昼頃に無事に王都アシミヤへ到着した。


 乗合馬車より1日早く着くとは、さすがに大貴族の馬車は違うな。

 さてと、衛兵長に恩を売るためにも、急いでツチダに帰らなければ。


 王都も城壁が二重になっているが、元々、町の面積を広く見積もっていたためか、古い城壁と新しい城壁の間は、まだ建物がまばらだ。ヨシミズのような連絡橋も無い。

 今からツチダに戻るためには、周りにほぼ建物が無い西門から出発する乗合馬車に乗り、途中の集落で一泊、明日のお昼前にはヨシミズに着き、そこからはイヌイ行きの馬車に乗り換え、途中二泊して、順調に進めば今から4日後のお昼頃イヌイに到着、それからすぐに北のサコ行きの馬車に乗れば、夕方にはツチダに到着するかもしれない。


 その予定で、帰りも順調に進むかと思われたが、帰路2日目、ヨシミズから最初の宿泊予定地が近くなったところ、西側がやや高くなり街道の東側に斜面が下っているところで、その高くなっている頂上の辺りに大きなテントがいくつか見えた。


「あれは王軍のテントだな」


 居合わせた乗客の誰かがぼそりと言った。確かにテントには旗が立てられ、スカイブルーの盾に図案化されたスピノサスモモの木が黒く描かれている。普段であれば何とも思わない光景だが、おかしい。曖昧とは言え、ここはオダ領だ。何かやるのであれば、オダ家の紋章もどこかにあるはずだが、見当たらない。記憶に留めておいて、一応、イヌイの組合に報告しよう。


 普段と違うことはもう一つあった。今度は帰路3日目、平坦で精々周りに草や低木の茂みしかない場所で、街道の脇に、馬車の残骸のようなものが避けられていた。片付けきれなかったのか、道の上にも少し木片が残っている。それだけなら良かったのだが――


「すみません、御者さん、一度止めて下さい」


 オダ家の紋章入りリベリーお仕着せ布を着たままのお陰か、御者さんがすんなり止めてくれた。


「兵隊さん、何かあったんですかい?」


 御者が慣れた手つきでゆっくりと停車させると、荷台のような客車を振り返り聞いてきた。


「不審な点があるので、少しだけ調べます」


 そう、馬車の残骸が古すぎる。往路では見なかったから、この6日の間に放棄されたものだと思うが、折れた断面もすっかり古ぼけている。そう思いながら、辺りを改めて観察すると、あれ、足じゃないか?


 ふと見た茂みに人の足のようなものが見える。恐る恐る近づくと、下着しか身に着けていない半裸の男が横たわっていた。顔は潰され、首と腿に幅の広い刃物で刺したような傷がある。確認したわけではないが、生きていないのは明白だ。

 何か名前や職業が分かるようなものがあれば良かったのだが、何も無い。身長は180センチくらいで髪の毛は明るい茶色、か。これも、組合に報告しなければならないな。馬車に戻り、御者だけに事情を説明した上で、内飼袋から木札を取り出し、茂みの目立つところに縛り付けた。


 なぜだろう、何か胸騒ぎがする。これから悪いことが起きるような、そんな胸騒ぎだ。焦りはあるが、乗合馬車しか確実に早く着く移動手段が無い。悪いことが起きないように祈るばかりだ。落ち着け。


 途中でそんなことが有り、少し時間を使ってしまったが、イヌイには予定通りお昼ごろに着いた。すぐにツチダに向かいたいが、先に護衛依頼終了と併せて、テントと茂みの遺体の件を傭兵組合に報告した。受付にはいつものお兄さんがいたが、すぐに組合長と話をして、遺体の件は早めに確認に向かうと約束してくれたし、町にも孤児院にも特に変わった様子もなく、ほっと一安心だ。


 少し安心しながらツチダへ行くことのできる乗合馬車で移動する。途中で珍しく、駈歩かけあしで馬を駆る兵士とすれ違った。紋章はよく見えなかったが、スカイブルーの盾が見えたような気がする。王軍の兵士かも知れないが、どうも片手が素手だったようだ。思った途端、胸騒ぎがぶり返してきた。もしやツチダに何かあったんじゃないだろうな。大丈夫か?


 到着したツチダはいつもと同じ景色だが、胸騒ぎのせいか、どこか違和感がある。


 乗合馬車の停留所から井戸のある中心部、そこから向かって左の道に小走りで入る。


 早く、早く、早く、早く。


 代官屋敷に着くと、門と玄関を2名ずつ、抜き身の直剣を持った衛兵が固めており、いつになくピリピリとしている。やはり何かあったんじゃないか?早く、早く、早く、早く、何もない、何もない、何もない、きっと胸騒ぎだけだ。


 早く、

 早く、

 早く、

 早く。


 門を固める衛兵、次いで玄関の衛兵に挨拶をして屋敷に入り、逸る気持ちを抑えきれず、足が地に着かないような感覚を覚えながら執務室に入ると――



 そこには焦点の定まっていない眼差しで血の海に沈む色のないボクと、呆然と立ちすくむ衛兵長の姿が在った。


 状況をうまく飲み込めず、かろうじて観察している、永遠とも感じられるその刹那、ボクの体が発光し、いや、体の内部から光が漏れて球を成し、ゆっくりと下に、床に沈み込んでいくのが見えた。衛兵長は光に気づいていないのだろうか、ピクリとも動かない。


「美しい……」


 その光がきらめきながらゆっくりと沈み込むさまを、オレはただただ純粋に美しいと思った。


 その球形が、光の球が完全に見えなくなった頃、ふいにどこかで風船が割れたように感じ、全てが分かった。



 ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああ!

 声にならない声を叫ぶ。


 思い出した。


 そう、思い出した。





――ああ、そうか



――ああ、そうだ



――ボクは、また、守れなかったんだ





――第1章 紙月 完――

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