第5話 手遅れ

 サバイバーの尊厳を守る意味でも、自分で語るべきだった。

 そこでひるんだ。怖気おじづいてしまっていた。

 偏見を抱く人から、偏見を取り除くのは不可能だ。出来ないと、わかっているから二の足を踏んでいた。


 けれども自分の仕事に誠実に、打ち込もうとしていることだけ伝えれば。


 そして圭吾を尊敬し、大切に思っていること。思ってきたこと。それを自分の言葉で伝える勇気がなかったことを、麻子は悔やんだ。悔やんでも悔やみきれない事態を自分で引き起こしている。


 それをしないで逃げた自分に圭吾が失望したのなら、気持ちが冷めたというのなら、チャンスをくれと頼みたい。

 結婚に対しても後ろ向きになっていた。先延ばしにしようとしていた態度で圭吾を傷つけたのなら謝りたい。


 だとしても、今は圭吾に詰め寄らず、連絡に応じてくれるまで静かに待ちたい。

 圭吾を信じているのなら。


 

 耐え難いほど長く感じた年末年始の休暇が明けて、麻子はクリニックに出勤した。

 

 院長の駒井、事務員の三谷、受付担当の畑中と、そして自分がクリニックの主要メンバー。出勤してきた四人はコートをそれぞれ脱ぐ前に、「あけましておめでとうございます」と、「今年もよろしくお願いします」を言い合い、頭を下げ合う。

 

 ひと通り挨拶を済ませたら、今度は帰省した者からの土産の披露だ。

 まずは三谷が口火を切る。

 

「いつものやつです」


 と、前置きしながら、北海道名物を紙袋から取り出して、手近な事務机の上に置く。ホワイトチョコレートとレーズンバターをクッキーでサンドした焼き菓子だ。

 土産は毎年変えるのではなく、スタッフが定番認定したそれを、買ってくる。だから、休暇明けには何が出揃うのかは、百パーセントわかっている。


「私もいつものやつですが」


 麻子も『いつものやつ』を、三谷の土産の側に置く。

 下関名物フグの旨味に辛子マヨネーズ味を効かせた薄焼き煎餅。静岡出身の駒井は定番中の定番のあまじょっぱくてサクサクしている例のパイ。これらは休憩時間はもちろんのこと、残業で小腹がすいた時など、各自で摘まむ。


 そして最後は畑中だ。


「私は今年は、いつものやつとは違うんですけど」


 意味ありげなあざとい笑みを浮かべつつ、ビニール袋で梱包された刻み野沢菜漬けと、わざび漬けのふたつを出す。どちらも長野名物だ。


「あれ? 畑中さんって新潟生まれじゃなかったっけ」


 三谷が訝しそうに言う。

 

「今年は旅行に行ったんです」

「年末に?」

「はい」

「ご家族で?」

「いえ、今年は帰省しなかったんです」


 畑中は一度出した土産物を再び手にして、給湯室に向かい出す。


「野沢菜もわざび漬けも刻んであるのを買ったので、包丁なしでも大丈夫です。お昼ご飯やお茶請けにと思って」


 と、言いながら、給湯室の冷蔵庫に土産を収める。昼食は外に食べに行く者もいれば、弁当持参の者もいる。弁当持参の者たちは、自作の梅干し、らっきょうなどを持ち寄って、箸休めにして食べている。


 長野は圭吾の出身地。まさかと麻子は息を呑む。



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