第十章 不穏な海と聖夜
第450話 海底で蠢くもの(第三者視点)
「ゴボッ……ゴボゴボッ……」
海底を体を引きずりながら必死にどこかに向かって歩いている存在がいた。
それは本来二足歩行できる体つきで、全身を鱗で覆われており、魚の顔をしているいわゆる魚人と呼ばれる類の異形の者であった。
ただ、魚人は傷ついていて、いたるところから血を流して海に溶けていっている。それだけでなく、片腕を失い、片足が変な方向に曲がっていて、もう片足は腕同様にひざ下が吹き飛んでいた。
なぜ魚人がそのような姿になっているかといえば、数カ月前に普人の気功を纏ったパンチによってダメージを受けたからだ。勿論直撃ではない。直撃していたら跡形も残らないからだ。
この魚人は普人のパンチの勢力圏ギリギリにいて辛うじて助かった存在で、十万匹はいた魚人たちの中でたった一匹生き残った存在であった。
魚人は人間に比べて生命力が強く、頑丈であるため、手足がもがれたくらいですぐに死んだりはしない。勿論痛みは感じるが、それよりも優先すべきことがあるため、彼は一心不乱に歩き続けているのだ。
魚人が目指しているのは彼の故郷。
その故郷とはいわゆるマリアナ海溝と呼ばれる世界で最も深い海の底であった。西太平洋のマリアナ諸島の近くに位置しており、日本とフィリピンの両方から大体同じ距離の場所にある。
彼は数カ月という時間をかけてようやくその近くまで戻ってくることができたのだ。
彼はマリアナ海溝の淵までやってくると、その身を海溝へと投じた。海溝の底に向かって彼の体はゆっくりと落ちていく。
『おいどうしたんだ!?』
『その怪我はどうした!!何があったんだ!?』
半分ほどまで降りてくると、海溝内を巡廻していた他の魚人に見つかり、その魚人たちは驚いて、人間には伝わらない鳴き声を上げて、大急ぎで怪我をした魚人の許へと駆けつけた。
彼らは魚人に両脇から抱えて泳ぎ始める。
『王の許へと連れて行ってくれ』
『分かった』
怪我をした魚人は一刻も早くこの事実を報告するために故郷を目指していたのである。人間には読み取れないが、その苦痛に歪みながらも、鋼の意思でここまでやってきた同胞の意思を汲み、彼を見つけた魚人たちは自分たちの王の許へと連れて行く。
海底は本来であれば真っ暗で何も見えないが、魚人たちには人間が昼間に見通すのと同様に見ることができ、マリアナ海溝の最深部には明らかに文明の息づいた街並みが広がっており、その奥地にはまるでパルテノン神殿のような建造物が、岸壁そのものをくりぬいて作り上げられていた。
『何者だ!!』
そこにたどり着く途中で階級が上なのか武装した魚人が彼らの前に立ちふさがった。
『我らはこの者の付き添いです』
『お主は一体どこの所属だ』
『私は数カ月前に決行されたとある島への侵攻作戦に従事していた者です。王に一刻も早くお伝えしたいことがありまして、這う這うの体で帰ってまいりました』
『そうか……。見る限り想定外のことが起こったようだな。分かった。すぐに王へと取り告ごう』
『ありがとうございます』
彼らの言葉づかいからも分かるように、武装した魚人はここまでやってきた魚人たちと比べて目上の存在である。
彼に尋ねられた一行は、これまであったことを話し、武装魚人も見る限り嘘などついていないということが分かったので、彼らの先頭に立って王がいる神殿のごとき岩城へと先導していく。
彼がいることで他の魚人たちから話しかけられることはなく、すんなりと城へと入ることができた怪我をした魚人たち。入り口を抜けて、武装魚人が事情を説明しながら奥へと進み、人間で言うところの会議室へと案内する。
海底ではドアなどという物は存在せず、単純に部屋ごとに仕切られているだけのため、そのまま中へと入る一行。
『むっ。一体どうしたのだ!?』
中の一番上座に座っているひと際大きな魚人が彼らに気付き、ボロボロになっている魚人に驚きながらも尋ねた。
『この者がこの前の侵攻作戦より帰還しました』
『なんだと!?あの作戦は全ての兵士が消息不明になっていたはず』
そう。王は部下より兵士が一人残らずどこかに行ってしまったと聞いていた。しかし、ここにきて生き残りがいたことでさらに驚く。
そして数カ月の間、予想もできないこと起こる可能性を考えて日本には近づいていなかったのだ。
そんな中、生存者が戻ってきたとなれば驚くのも無理はない。
『発言をお許しください。私は辛うじて生き残りました。他の者たちは全滅しました』
怪我をした魚人は連れてきた魚人たちに下ろされ、その傷ついた体にも関わらずに臣下の礼をとって話し始めた。
『なに!?消息不明ではないのか!?』
『はい。他の兵士たちは確かに何者かと戦っていました。そして、気付けば島から光が放たれ、一瞬で私の目の前を通り過ぎて私の前にいた兵士たちは全員消滅しました。私一人だけが生き残ったのです』
王の驚愕と疑問に、そのまま答える怪我をした魚人。
『バ、バカな……』
『人間など取るに足らない存在であるはずだ。そんなことできるわけがなかろう!!』
『そんな人間などいるわけがない!!』
しかし、中にいた魚人たちは人間がそんなことが出来るとは思えず、怪我をした魚人を罵倒する。
彼らは太古の昔、大陸から排除された者たちの末裔。いつか大陸を自分たちの手に取り戻そうとしていた。そのため、彼らは人間たちをずっと見続けていた。
その情報を見る限り、人間に自分たちの軍隊をどうにかできる勢力はなかったはずだった。
しかし、それが為されたと言われて混乱したのだ。普人達がいなければ、日本に壊滅的なダメージを与えていたはずなので、彼らの予想はあながち間違っていないのだが、上陸した場所に偶然普人がいたことが彼らにとって最悪の不幸であった。
『静まれ!!』
王はそんな家臣たちのやり取りを一括し、その場を収めた。
『ここまでこけにされて黙っておるわけにはいかん。しかし、相手は想定以上の力をもっていたようだ。これは海底三帝国が一丸となって取り組まなければなるまい。すぐにレムリア帝国とアトランティス帝国に使者を送るのだ!!』
『は……はっ』
そして、誰もが有無を言わさぬ威圧感を発したまま、命令を下し、部下は一瞬呆然とするが、すぐに部屋を飛び出していった。
怪我をした魚人は医療室に運び込まれ、一命は取り止めた。
『目にものを見せてくれようぞ、人間ども』
王は目に殺意を込めてそうつぶやいた。こうして海底と陸の戦いが幕を開けた。
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