第70話 女大公の穏やかな時間の終焉(ウエンタス女大公視点)
ウエンタス公国の宮殿内。
公国のトップであるアヤノ・フォン・ウエンタス女大公は、心穏やかな午後の
「大公様。プリンもう一ついかがですか?」
「うーん、でもこれ以上食べると太っちゃうし……」
執務室の書類に囲まれながらメイドによるプリンの誘惑に揺れるアヤノは、そうと知らなければ、どこにでもいる少女そのもの。
顔立ちはごく平凡。よく見るとそれなりに可愛い。
胸は小さめ。スタイルは少し寸胴気味。下半身は安産型で脚はぶっとい。
最近、お腹のお肉がちょびっと摘まめるようになったのを密かに気にしている。
「それでは紅茶のおかわりはいかがですか?」
「うん、そっちにする。ありがとう」
いかにも町娘っぽい風貌、メイドに対しても丁寧な言葉遣い。
そのアヤノが大陸を代表する大国であるウエンタス公国の頂点に君臨していることは、初めて謁見した人間はまず間違いなく驚く事実である。
そしてそれは、アヤノ自身にとってもコンプレックスであった。
(トーコとは同い年のはずなのに……もうオーラから何から、笑っちゃうくらい敵わないんだもん……)
ウエンタス公国と隣国のドロッセルマイエル王国は基本的には敵対関係であるものの、四六時中ずっと緊張状態にあるわけではない。
時にはかりそめの和平を結んだり、そこまでいかなくても捕虜の交換式や王族の冠婚葬祭の参列などで、隣国の王族と顔を合わせる機会はある。
──つい数年前のことだ。
勝てるはずだった隣国との戦争が、たった一人の
厭戦派によって当時まだ公女だったアヤノを隣国の王子に嫁がせようと、送り込まれたことがある。
初めて会ったドロッセルマイエル王国の王子二人はアヤノを見るなり「なんだこの田舎娘は」とほざき、アヤノは「いや自覚はあるけど、目の前で言わなくても……!」とショックを受けたものだ。
けれどそれを、立ち直れないほど深くトラウマにしたのはその後で。
「──本当にごめんね? ウチの兄どもってば、言ってはなんだけど頭がパーなんだよ。だから気にしないでくれると助かるかなあ」
こう言って慰めてきた王女とその親友に、アヤノは今度こそ本気で打ちのめされた。
なにしろそこにいたトーコとユズリハはバカ王子二人とは違い、最上位貴族の支配者オーラがこれでもかっていうくらい出まくっていて。
顔立ちはまさに女神。
スタイルも完璧で、とくに脚は滅茶苦茶長くて、胸は死ぬほど大きくて。
アヤノは自分が肩書きだけの、どれだけ普通の女の子なのかということを思い知らされたのだ──
「……大公様、ウエンタス大公様? いかがなさいましたか?」
「ううん、なんでもない。ちょっと昔のことを思い出してただけ」
あの二人がいる敵国を相手にぼけっとしてたら我が国は終わりだと思い知らされたアヤノは、それからとにかく頑張った。
幸いアヤノには、軍事と謀略に才能があった。少なくともほかの貴族よりは。
アヤノは近衛師団隊長になり、軍本部総長になり、父である大公や他の兄弟が次々と戦死していく中で、いつの間にか新しい女大公となった。
そして最近、隣国に仕掛けていた調略がついに実を結んだ。
王子派と王女派が真っ二つに割れたクーデター劇。
その隙にウエンタス公国は、国境と隣接するローエングリン辺境伯領をまるまる支配するに至ったのだ。
(ローエングリン辺境伯領は、金山もダイヤ鉱山も、それどころかミスリル鉱山まである地下資源の宝庫……! あの土地を手に入れることこそ、我がウエンタス公国の長年の悲願だった……!)
歴代のローエングリン辺境伯家当主が王家にまともな報告もせず浪費しまくっていたからトーコ新女王などは知らないだろうが、長年にわたり諜報活動を続けてきたウエンタス公国は、その価値を正確に把握している。
一見へんぴな田舎のローエングリン辺境伯領は、ウエンタス公国全土と交換してもお釣りが出るほどに価値がある。まさに垂涎の、宝物庫のような領土なのだ。
もちろんウエンタス公国の上級貴族はそのことを知っているから、今ローエングリン辺境伯領を占領している司令官はほとんどが有力貴族の当主もしくはその跡継ぎである。
アヤノとしては、辺境伯領という美味しすぎる果実をどうやって配下の貴族に切り分けていくか、悩ましくも贅沢な悩みに頭を悩ませていたのだが…………
「大公様! 大変です!」
血相を変えて執務室に飛び込んできた軍事大臣が、ウエンタス女大公の穏やかな時間の終焉を告げた。
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