Day19 クリーニング屋

 小さなクリーニング屋だった。住居の一部を改装したのであろう店舗は、クリーニングの受付だけを担っていた。決められた曜日にトラックがやってきて服を積み込み、工場へと運んでいくのだ。店内にはビニールカバーをかけられた服が天井まで所狭しと掛けられ、カウンターの向こうにはいつも老人が座っていた。枯れ木のように痩せた老爺で、静かな声で必要なことだけをしゃべった。他人と話すのが得意でないぼくにとっては、使い勝手のいい店だった。

 誇張でなく、店主はいつ見てもカウンターの向こうにいた。ぼくが住んでいたアパートが近所だったので、当時はよくその店の前を通りかかったものだ。入口のガラス越しに店内を覗くと、いつだってそこには痩せた老人の姿があった。

 かねてから植物のような人だと思っていた。そんな店主の右耳から本当に葉っぱが生えているのに気づいたのは、夏のことだった。双葉のような形をした葉っぱは、思いがけず青々として若々しかった。ぼくが「それ本物ですか?」と尋ねようか迷っているうちに、店主は黙ってぼくが預けていたジャケットとスラックスを、鈎のついた棒を器用に使って取り寄せ、袋に詰めてしまった。それで聞きそびれた。

 クリーニング屋には、大体週に一回のペースで通っていた。葉っぱは行くたびに枚数を増やし、今や店主の右半身を覆い尽くそうとしていた。カウンターで見えない足元などはどうなっているのだろう、とぼくは思った。

 店主は一向に困った様子を見せなかった。相変わらず淡々と、静かに、着実に客をあしらっていた。ぼくがガラス戸を開けると、伝票を見せる前から青葉のついた枝をガサガサと伸ばし、天井近くのポールからぼくの服を下ろしにかかるのだった。

 秋がくると緑の葉は紅葉し、風が冷たくなるにつれてはらはらと落ちた。頑固な枯れ葉を何枚か枝に残したまま、寒い冬が終わった。

 引っ越すことになったのは翌春のことだ。最後に衣類を取りにいったとき、ぼくは店主に「引っ越すことになりました。お世話になりました」と挨拶をした。彼は木の葉がざわめくような声で「ご愛顧ありがとうございました」と言った。


 引っ越しから数年後、たまたまその街を訪れる機会があった。ぼくはかつて暮らしていた辺りを選んで歩いた。

 クリーニング屋はまだそこにあった。シャッターは閉じていなかったが、汚れたガラス戸越しに見る店内は緑の葉と網目のような枝に覆われ、営業しているのかどうかわからなかった。

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