第34話



聖女が学校へやって来て、数週間が経った。


まるで、白百合のように可憐な聖女の名はべティ。修道院で育った彼女には家名が無いらしい。



初めは、おとぎ話の中の存在だと思っていた聖女が実際に目の前に現れてたことに、全生徒が戸惑いを見せていたが、聖女の誰に対しても気さくで心優しい性格とその愛らしい容姿に、あっという間に聖女の存在は学校に馴染んだ。


そんな中、私は殿下の忠告を受け入れ聖女ベティを警戒していた。

幸いなことに彼女は、一般校舎ではなく魔力保持者の校舎に在籍しているので、私が不用意に魔力保持者の校舎に行かなければ出会う機会はほぼ無いだろう。


聖女の発言力はとてつもなく強い。

前世の私は、聖女マリーのたった一言によって呆気なく処刑されたのだ。彼女が聖女マリーでなくとも、聖女というだけで接し方はとても慎重になる。

だから、なるべく近づかないよう距離をとっていたのだが……………



「エリザベータ様!おはようございます!今日もいい天気ですね!」


「エリザベータ様!お昼ご飯ご一緒してもいいですか?私、エリザベータ様のためにサンドウィッチを作ってきたんです!」


「エリザベータ様…少し、課題で聞きたいことがありまして…」


「エリザベータ様の瞳、とっても素敵です!同性の私でも神秘的なエメラルドの瞳にクラクラしちゃいます。」



来るわ来るわ。

聖女の方からグイグイ来るのだ。

彼女はそのおっとりとした可憐な容姿に似合わず、妙に積極的だ。

最初は何かの罠かと思い、聖女に対しやや素っ気ない態度をとっていたのだが「…私、何かエリザベータ様の気に触るようなことをしてしまいましたか?」と、まるで捨てられた子犬のような顔をするものだから、つい聖女からのお誘いに頷いてしまう。どうも私は聖女には弱いようだ。


聖女ベティはその可憐さから無性に周囲の者たちの庇護欲をかきたてる。例に漏れずに私もその周囲に入っている。信じられない事に。

何故、私は聖女に対してこうも庇護欲が掻き立てられるのだろうか。


少し、考える。

義弟がデューデン国へ行ってから、私には“癒し”というものが極端に不足していた。聖女はそれを狙ったかのように、するりと心の隙間に入ってきた。

なるほど。私は無意識に、可憐で穏やかな聖女を義弟に重ねてしまっていたのかもしれない。それなら自分の不可解な行動も納得できる。



健気に私を慕ってくれる聖女に、どんどん私は絆されていく。



******



「お前、弟クンには聖女のことを伝えたのか?」



放課後、私は魔力保持者の校舎にある殿下の部屋に来ていた。もはや、放課後の恒例行事となっている。

私と殿下の間で定番となった蜂蜜入りのカモミールティーと、メルシー&リリーのチョコレートを頂きながら雑談をしていた。


メルシー&リリーとは、街で人気のチョコレート専門店だ。その上品な甘さに私はすっかり虜なのだ。


殿下に“メルシー&リリーのチョコレートブラウニーを買ってきて”と言った次の日の放課後、私は久々に殿下に転移魔法をかけられ殿下の部屋へと強制的に呼ばれた。尻もちを着いた私の視界に入ったのは、得意げな表情を浮かべる殿下と、テーブルの上にご丁寧に積まれたメルシー&リリーのチョコレートブラウニーだった。しかも、光の速さで完売すると言われている、1日10個限定のブラウニーを10個もだ。

信じられない光景に驚き、殿下に訳を聞くと、フーゴさんに真夜中からお店の前に並ばしていた、とのこと。平然と言う殿下に言葉を失った。


横暴、暴君、最低。


新たに湧き上がる憤怒と同時に、この人の前では考え無しの不用意な発言は絶対にやめようと心に誓ったのだ。



その後も何度か殿下と衝突があったものの、今はこうして平和(?)にお茶を飲む仲に落ち着いている。



「いえ、伝えていません。要らぬ心配をかけたくありませんので。」



姉想いの義弟のことだ。聖女のことを伝えれば、間違いなく私を心配するだろう。そして心配のあまり、志半ばでノルデン帝国に帰国してしまう恐れだってある。これは大袈裟ではない。義弟にはそういう危うさがあるのだ。

義弟の学びを妨げることはしなくない。



「おっ。この間まで、弟クンに依存気味だったのに、やっと弟離れをしたのか。大人になったなァ。よーしよし、偉いぞ。」



ニコニコと笑う殿下はこの上なく胡散臭い。



「だが、今度は聖女に依存してどーすんだ!!!」

「いたっ」



急にカッとサファイアの瞳を見開いた殿下は、私の額に銀紙に包まれた小指サイズのチョコレートを躊躇なく思いっきりぶつけてきた。痛くはないのだが、反射で悲鳴を上げる。



「俺様の忠告を無視しやがって。聖女に近づくなって言っただろ?なのにお前はあちらこちらで聖女にベタベタと…。てめぇは反抗期かっ!」

「忠告を無視しているわけじゃないのですが…聖女の方から近づいてくるんです。」

「そんなの追い払え!」



まるで犬をあしらうかのように手でしっしとする殿下に私はため息をついた。



「そんなこの出来ませんよ。殿下と同様に私も立場上、聖女を無下に扱うことは出来ないのですから。」



殿下はノルデン帝国の皇太子殿下という立場から、帝国の宝である聖女を批判できない。もし彼が聖女を否定すれば、皇太子殿下といえど国民からの非難を受けるのは目に見えている。

帝国を代表する公爵家の娘である私も、聖女に対し批判的な態度をとるのはあまりよろしくない。その事が罪となり、家名を汚すことに繋がる恐れだってあるのだ。



「なら、そこは上手くあしらえ。そういうの得意だろ?」

「そうですが…」



確かに、やろうとすれば聖女の誘いぐらいいくらでもかわすことはできる。嘘と真実を織り交ぜつつ断れば案外簡単で、角が立たないのだ。


なのに、あの目を見ると断れない。



「聖女に何か変なまじないをかけられた訳じゃないよな?」

「え、どうなんでしょう。多分かけられてないと思いますが…自分ではよく分かりません。」

「ちょっとこっち来い。」



ソファに腰掛けたままの殿下は私を手招きをする。私は首を傾げつつも、ソファから立ち上がり、言われるがまま向かいのソファに座る殿下の元へ近寄った。当然立っている私の方が目線が上なので、殿下を見下ろすような形となる。

何をするのだろうと立ったまま戸惑っていると、殿下は頬杖をつきながら私を見上げた。その凶悪な流し目に若干たじろぐと、彼のサファイアの瞳が淡く煌めいた。



「…なんもかけられてないか。」



どうやら一瞬で、私が何らかのまじないをかけられていないか、調べてくれていたようだ。何事も無かったことにホッと安堵する。



「だからって今後もかけられないとは限らないからな。お前も覚えているだろ?300年前の聖女の周りの奴らのことを。皆洗脳されているみてーで、気味が悪かった。」



勿論、覚えている。あの奇妙さは忘れられない。私は殿下の言葉に頷いた。


彼らはまるで熱に浮かされたのように、聖女のどんな言葉にも喜んで従っていた。

そして不思議なことに、証拠も何も無い穴だらけの私の罪をおかしいと言うものは1人も居なかったのだ。

そのことが堪らなく不気味だ。


殿下の言う通り、聖女マリーは何かしらのまじないを皆にかけていたのだろうか。じゃあ、今回も…?


ふと、アルベルト様の瞳を思い出した。

彼のサファイアの瞳はとても濁っていた。もしかして彼も何かしらのまじないを聖女にかけられていたのだろうか…



「エリザ。」



名前を呼ばれ、殿下を見れば美しいサファイア瞳と目が合う。



「もう1回言うぞ。聖女には近づくな。」



殿下の言う通り、聖女には近づかないほうが身のためだろう。私は深く頷いた。






だが、私は早々に殿下からの忠告を背くこととなる。










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