第32話



「あぁ、やっぱり顔色がすぐれないようですね…。こんな寒い所に居たら悪化してしまいます。」

「…あ…」



私の目に飛び込んできたのは、1人の少女だ。

艶のあるストロベリーブロンドの髪にピンクダイアモンドの瞳を持った少女は、この世のものとは思えないほど可愛らしい。それもそのはず、彼女こそ何百年に1度だけこの地に現れると言い伝えられてる神に愛された乙女、聖女なのだから。

その容姿を持っていることが、聖女であることの何よりもの証。


その聖女が私を心配そうに見下ろしていた。


心臓がどくりと嫌な音をたてたが、テオドール殿下に初めてお会いした時ほどの恐怖は感じていない。


戸惑い、疑問、衝撃、拒絶、嫌悪感。様々な感情が私の中を渦巻くが、最も私の心を占めていた感情は“諦めに似た絶望”だ。



―あぁ、また貴女は私の前に現れるのね…。




どんなに頑張ったとしても運命は変えられないのだと、神様に囁かれたような気がした。


思わず自虐的な笑みがこぼれる。


前世の記憶に悩んで苦しんで、必死に藻掻いてきた今までの自分は、全て無意味だったのだ。何故なら、積み上げてきたものは全て彼女に奪われる運命なのだから。これが笑わずにいられるか。



「あの…?」



返事を返さない私に戸惑った様子を見せる聖女に、人当たりの良い笑みを貼り付けた。



「心配してくださいまして、ありがとうございます。少し…物思いにふけていただけですので、大丈夫ですよ。聖女様。」

「なんで、私が聖女だってことが分かったんですか?まだ名乗っていないのに…」



ピンクダイアモンドの瞳を大きく見開いて驚く聖女に、こちらが驚く。この人は本気で言っているのだろうか、それともワザと?



「そのストロベリーブロンドの髪とピンクダイアモンドの瞳は聖女であることの何よりもの証でございます。」

「あぁ、なるほど…それで…。あ、すみませんっ。私、最近聖女に目覚めたばかりでして…そういうのに疎いんです…。」



申し訳なさそうにしゅんと目を伏せる聖女に、私は驚きを隠せない。まるで宇宙人でも見るかのように、不躾ながらも聖女をまじまじと見つめた。



―この人は、誰?




その髪色と瞳に気を取られていたが、よく見れば私の知る聖女マリーと彼女とでは容姿や醸し出す雰囲気がまるで違う事に気付いた。


どちらも可愛らしいことに変わりはないが、聖女マリーは丸顔で目がぱっちりとした、良くいえば裏表のない天真爛漫な少女。…悪く言えば、癇癪持ちの幼い子供のような少女だった。


一方 目の前に居る聖女は穏やかでおっとりした垂れ目に、小柄ながらも腕や足はすらりと長く、惚れ惚れするほど可憐だ。まるで、咲いたばかりの白百合の花のように楚々とした雰囲気のある少女だった。

さすがは神に愛された乙女。神が美しくこしらえた人形のように、その容姿は現実離れをしている。


目の前に居る聖女と、前世の聖女マリーが私中で繋がらない。


混乱していると、いきなり誰かが私と聖女の間に割って入ってきた。



「やっと見つけたぞ。聖女殿。」



いつもよりも低く、硬い声。テオドール殿下だ。

顔を見れば、見たこともないような、険しい顔を浮かべている。

彼らしくない表情にやや驚く。



「あ、貴方は…?」

「俺はノルデン帝国の皇太子、テオドール=ブランシュネージュ=ノルデン。」

「こ、皇太子殿下…」

「勝手に学校をうろちょろしやがって…コイツに何をしていた?」

「わ、私は何もしていません。ただ、具合が悪そうだったから声を…」

「嘘を言うなっ!」

「ひっ」



殿下からの威圧感に、聖女は恐怖のあまり顔を青くしカタカタと震えている。その姿はとても演技だとは思えない。


まるで蛇に睨まれた蛙のような聖女に対し、私は何故か庇護欲がかきたてられた。



「殿下!」



私は思わず立ち上がり、殿下の腕を掴む。

すると殿下は私をギロリと睨みつけてきた。その視線にみっともない悲鳴を上げそうになったが、ぐっと飲み込む。



「…下がってろ。」



冷たい視線と声に怯みそうになるも飛び出してきた手前、ここで折れるわけにもいかない。



「下がりません。」

「あ"?」

「彼女はとても怖がっています。おやめ下さい。」

「お前何言ってんの?コイツに何をされたのか、忘れたのか?」



殿下は完全に目の前に居る聖女をマリーだと思っているようだ。



「確かな確証がないのに無力な女性を責めるなんて、紳士のやることではありません。」

「はんっ。エリザのくせに俺様に説教か。お前、俺が誰だか分かってんの?」

「勿論でございます、テオドール皇太子殿下。その殿下とあろう方が公共の場でか弱き女性を一方的に責めるなんて…みっともないですわ。」

「みっともないだと…?もう1回言ってみろ。」

「何度だって言って差し上げますわ。みっともないと言ったのです。」

「てめぇ、人が大人しく聞いていれば…俺が何のために…!」



お互い、悪いクセが出ていた。

私は私で長年の社交界で染み付いた相手を蹴落とす言い方しか知らないし、殿下は殿下で私の安い挑発に簡単に乗ってしまい目的を見失っている。

お互い、この言い合いを終わらせる方法を知らないのだ。こんな言い合いは不毛だと分かっているのに。



「そもそも、殿下にはデリカシーというものが…」

「も、もうやめてくださいっ!!」



突然、私と殿下の間に割って入ってきたのは聖女だ。

一生懸命にその細い腕を使い、私と殿下の距離をあけようとしている。



「おい、てめぇ!邪魔すんな!」

「あ、危ないわよ!」



私と殿下が同時に声を上げると聖女は泣きそうな顔で私達を交互に見た。



「何が起こっているのか、全く、これっぽっちも分かりませんが喧嘩はもうやめてくださいっ!私が悪いのでしたら、ちゃんと謝りますから!」



先程の熱が一気に引いた私と殿下は、ぽかんとした顔で聖女を見下ろした。



―この人はマリーじゃないの?



彼女とマリーが繋がらない。



「聖女様ー!」



校舎の方から男性の声が聞こえてきた。

声がする方へ顔を向ければ、一人の男性がこちらに駆け寄ってきた。だいぶ長い時間、駆け回っていたのだろう。額から汗が滝の様に次から次へと流れていた。

近くで見れば、テオドール殿下のお付きの者だということに気付いた。



「フーゴ、てめぇ。来んのが遅いんだよっ!」

「す、すみませんっ!まさか中庭に居るとは…」

「言い訳なんて無用じゃっ!」

「いたたたた!殿下、お許しを…!」



殿下はフーゴに関節技をキメている。フーゴの顔は真っ赤からどんどん青色に染まってきた。



「で、殿下!そろそろ離して下さいませっ。死んでしまうわ!」



私の言葉にぱたりと攻撃の手が止まった。

殿下は舌打ちをし、深いため息をついてからフーゴを睨みつけた。



「早く聖女殿を連れて行け。手続きの続き、あんだろ?」

「はい、直ちに。…聖女様、参りましょう。今度は傍を離れないでくださいませ。」

「は、はい。すみません…。」



しゅんと、顔を伏せた聖女がふと私の顔を見上げた。聖女は小柄なため、聖女の頭は私の胸の位置にある。そのため、私を見上げるようになるような形となるのだ。



「あ、あの。助けてくれてありがとうございました。」

「えっ?」

「殿下から私を庇ってくれて…嬉しかったです。」



恥ずかしそうに目を伏せる聖女は何とも可愛らしい。少し、私の胸に温かいものが広がった。



「こちらこそ、私の体調を気にしてくれてありがとうございます。」



そう言うと聖女は嬉しそうに、その穏やかな垂れ目を細めた。



その顔が誰かと似ているような気がした。





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