学びの時間
「では、ごゆっくり」
若い衆は深々と頭を下げると、部屋の戸を閉めた。
二人が案内されたのは二階の角部屋。畳敷きの八畳一間で、床の間に掛け軸が飾ってある以外、部屋の中には何もない。
「なんにもないけど、直に畳で寝るわけじゃないよね」
布団の存在を確認できなかった辰巳は、少し不安げにつぶやいた。
「大丈夫ですよ。寝る頃になったらさっきの人が、布団部屋から布団を持って来てくれるはずですから。それより、あたしと一緒に寝ることについて、何か思うことはないんですか?」
ユノウはちょっとからかうような口調で言った。
「思うこと?」
「綺麗な女性と相部屋なんですよ。こうドキドキするとか、そういう感情の高まりはないんですか」
“綺麗な女性”というのはユノウの自惚れではなく、辰巳もそのことは認めていた。
「そういうこと自分で言う。……うーん、なんていうかな、どこかでこの人はすげぇ年上なんだっていう意識が働くのか、全然そういう感情が湧いてこないんだよね」
辰巳がためらいなく本音を吐露すると、ユノウは大声で笑った。
「地球じゃありえない歳の差ですからね。ちなみに、あたしは歳の差なんて気にしませんよ」
ユノウはわざとらしい上目遣いで辰巳のことを見た。
「その話はもういいから。ほら、買った本を出してよ」
辰巳は不覚にも一瞬ドキッとしたが、それを誤魔化すように話題を変えた。
「はいはい」
ユノウはレッグポーチから、草花について記した「
「日本史の資料集にありそうだな、こんな感じのやつ」
辰巳が読んでいた「諸国採草記」には、説明文とともに様々な植物の絵が描かれていたが、いずれも江戸時代の日本画を思わせるタッチであった。
「へぇ、昔は“よろず者”って呼んでたんだ」
ユノウは「冒険者事始」に書かれていた、冒険者依頼処の歴史に興味を持った。
その昔、倭国では冒険者のようになんでもこなす人のことを“よろず者”と呼んでいた。
呼び名が変わるようになったのは二〇〇年ほど前のことで、そのきっかけは冒険者依頼処の設立である。
設立したのは公家の
時は日本の戦国時代を思わせる戦乱の世。
戦火の手は京の都をも飲み込み、斉光は命からがら都を脱出。恋仲の女官とともに大陸へと落ち延び、そこで冒険者となった。
二〇年近く活動した後、倭国で冒険者ギルドを開くことを夢見て帰国。紆余曲折の末、倭国版冒険者ギルドともいえる冒険者依頼処を堺に設立した。
斉光は、一流ギルドの証ともいえる冒険者ギルド連盟への加入を目指していたが、果たせぬままに、五七歳でこの世を去った。
その遺志は子供たちへと引き継がれ、徐々にではあるが、着実に冒険者文化が倭国に根付いていった。
そして転機が訪れたのは、斉光の死から一〇〇年ほどの時が経った頃のこと。
依頼処の運営方針を巡って、創業者一族である水小路家を中心とするグループと、それに反発する職員を中心としたグループとで、対立が生じていたのだ。
この対立に目をつけたのが、当時天下を掌握しつつあった羽柴秀吉・
彼らは主に戦場で金を稼いでいるので、戦乱が収まれば稼ぎ場を失うことになり、金銭を得るために犯罪に走る恐れがあった。
そこで着目したのが、畿内を中心に数を増やしていた冒険者依頼処であり、彼らを冒険者にすることで、問題の解決を図ろうとしたのだ。
この時、熱心に動いたのが弟の秀長で、優秀な冒険者を積極的に家臣にスカウトするなど、冒険者に対する理解が深かった。
秀長は反水小路派の筆頭である
その後、依頼処は幕府の後押しを受けてその数が急速に増加。さらに昇級や罰則といった諸制度の再整備に尽力した結果、斉光の悲願であった冒険者ギルド連盟への加入を果たし、今日へと至っている。
「へぇ、そういう経緯なんだぁ……」
二人はしばらく本を読んでいたが、途中で少し飽きたのか、辰巳はユノウに質問を投げかけた。
「そういえばさ、森の中で攻撃してた時、ユノウなんにも言ってなかったけど、詠唱無詠唱ってやっぱり違いがあるの?」
魔法を使う際における呪文の詠唱無詠唱は、異世界ものの作品ではよく扱われる事柄であり、辰巳としては気になるところであった。
「いえ、特に違いはないですよ」
「あ、そうなんだ」
「そもそも呪文っていうのは、あれをこうしたらこういう魔法が出せるっていう、魔法のやり方をわかりやすく文字化したもので、簡単に言えば計算式みたいなものですよ。例えば一+二という式は、紙に書いてやろうが暗算でやろうが、答えは三ですよね。それと一緒ですよ」
「なるほど。つまり無詠唱は暗算ってことなのね」
「そういうことです。だから難しい呪文は詠唱したりしますが、簡単なものは基本無詠唱です。それこそ計算式と一緒で、難しいものを無詠唱でやったら、周りが『おぉ!』ってなりますよ。ちなみに、様式美みたいなもので、無詠唱でも技名だけは言ったりしますけどね」
「ふーん。……あれ、ということは、あのでかい鳥に撃った魔法は簡単なやつだったってこと?」
「ええ。あれは初歩的なウォーターボールです」
「あの威力で、嘘だよ」
辰巳は一撃でバクロチョウが倒されるのを見ていただけに、信じられないのも無理はなかった。
「本当ですよ。自分でもびっくりしてるんですけど、どうもあたし、地球での生活で魔力がものすごく上がったみたいなんです」
「どういうこと?」
「これは仮説なんですけど、高地トレーニングみたいな感じだったのかなって」
「高地トレーニングって、マラソンランナーとかが時々やってるあれ? あの、高地だと酸素が薄いから、そこへ適応するために酸素を取り込みやすいように体が変化するんで、酸素が十分にある平地だとパフォーマンスが上がるっていう」
以前テレビのスポーツニュースで高地トレーニングの特集を見たことがあったので、辰巳はなんとなくではあるがトレーニングについて知っていた。
「それです。辰巳さんは知らないと思いますけど、空気中には魔法の素になる
「あぁ、つまり、魔素がすごく薄いところで長期間生活していたら、いつの間にか高地トレーニングみたいに魔力が鍛えられたってこと?」
「そういうことです。だから、その環境で生まれ育った辰巳さんも、すごい魔力を持っている可能性が高いですよ」
仮説とはいえ、そう言われれば辰巳の期待は自然と高まる。
「マジで。あ、ステータスとか見れないの?」
「残念ですが、ゲームとかじゃないんで、ポンっとステータスが見れたりはしません。血圧なんかと一緒で、そういうのはちゃんと調べないとわかりません」
「やっぱそうだよねぇ」
辰巳は少しがっかりした。
「……暗くなってきましたし、そろそろ夕飯を食べに行きませんか?」
外を見ると、だいぶ日が傾いていた。
「そうしよっか。……あぁ~」
辰巳は体をほぐすように腕を思いっきり上へ伸ばした。
「夏さんのお店でいいですよね?」
「いいんじゃないの、おいしかったし。それに、あそこの森で食材を集めてたから、もしかしたら、この薬草が生えてる場所を知ってるかもしれないしね」
二人は情報収集も兼ねて、夏の店で夕飯を食べることにした。
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