第24話 戦い
「……今のは……」
夢を見ていたような気分だった。誰かの一生を追体験するような長い夢を。
「これわかったじゃろう。剣の使い方に、人との殺し合いの仕方。ま、他のも混じったかもしれんがな」
祐治には何をされたかが分かった。一時的に記憶を混入させられたのだ。魔法が人の意志による力ならば、記憶をもとに少し知識や経験を伝えるくらいのこともできる。そのための必要な方法として、『思いが伝わるような行動』を取っただけだ。方法としての口づけ、人工呼吸と何ら変わりはない。
自分にあるはずのない魔法への知識からそう判断し、そして驚く。
「……何だよこれ」
「そろそろ始めてもよいですかな? 待つのももう限界でして」
祐治の混乱をよそに鎧が言った。名前はハインリッヒ・フォン・シュッツバール。アーゼルフの真の城壁とも呼ばれる最強の騎士。ほんの少し、こっそりと街に出るだけでもその噂は聞いたことはあった。もちろん自分ではなく、リルリーシャがだが。
祐治は振り向きハインリッヒを見据えて構える。右手には長剣を構え、左手に短剣を生成する。
手の震えは止まっていた。何度も同じように戦ったことがあるような気がして怖がる理由もなくなっていた。
「……ああ。始めよう。約束、違えるなよ」
「はっはっは、面白い冗談ですなぁああ!!」
痺れを切らしたようにハインリッヒが突進し、斧槍を叩きつけてくる。その武器は並の人間が片手で扱えるようなものではないが、まるで木の棒でも振っているかのような速さだ。だが、祐治には確かにそれを見切ることができた。紙一重で避け、祐治は剣の間合いに持ち込む。
長剣での兜の目穴へ刺突、それはハインリッヒの長盾により防がれるが、これで視界が塞がった。本命は右腕の脇の下。祐治は更に懐に飛び込み、左手の短剣をハインリッヒの脇の下からねじ込もうと狙う。
だが、ハインリッヒの反応はそれよりも早かった。自分の盾で視界を塞がれながらも、そのまま祐治に向けて突進したのだ。不意を付かれた祐治はそれに踏ん張ることもできなかった。魔力による身体強化はされても体重が変わるわけではない。超重量のタックルを受けた祐治はそのままふっとばされ、城壁に頭を打つ。
「くっそ……」
今のは漠然と突っ込んだわけではない。感覚的だが確信を持って臨んだ戦法だった。リルリーシャなら間違いなくこの手を取り、仕留めていたはずだ。自分の動きに鈍さがあるのは当然にしてもそれを正面から破ったハインリッヒの実力は並大抵のものではないだろう。
祐治は立ち上がって剣を構えた。右腕を顔の横まで上げ、下で構えた短剣と共に挟み込むように長剣をハインリッヒへ向ける。相手もまた長盾の上に斧槍の先端を載せ、それは引き絞られた矢をつがえるような構えを取っている。隙を見せた瞬間に放たれるその巨大な矢は一瞬で祐治の体を貫くだろう。祐治は臆さずにゆっくりとハインリッヒの周囲を回る。
不用意に大きな動きをするべきではない。大きく踏み出したところを狙われれば攻撃を避けることはできないだろう。そのタイミングを付くなど卓越した反応速度とそれに見合うだけの俊敏な動きが必要だが、このハインリッヒはそれができる男である。祐治は確信していた。
二人は互いに手を出さずに間合いをはかり合う。リーチで劣る分、祐治が攻め込むには先に相手の攻撃を受ける必要がある。とはいえ、自ら相手の間合いの中に飛び込むのは避けたい。生半可なスピードでは相手の防御を突破できないだろうが、それでは自分が相手の反撃を受け流すのも当然難しくなる。できることなら相手の一手を先に誘いたかった。
だが、ハインリッヒはその考えを見抜いているようで、うかつに手を出してくるようなことはない。兜の奥から向けられていた祐治を嘲るような視線は消え失せ、先の一撃で祐治は全力で決闘を行うに値すると判断したようだ。その斧槍から放たれるのは勝負を決めるような致命的な一撃だけだろう。
早くも膠着が訪れ、そして痺れを切らせたのは祐治だった。近づけないのなら遠くから攻撃すればいい。
「これでも、喰らえ!」
祐治が断ち切るように剣を振り下ろしてハインリッヒに向けると、空中に数本の剣が現れ、降り注ぐ。剣の魔法は慣れたものだ。あの日全てを陵辱した盗賊に放ったように、思い、憎み、恨めばいい。
その憎しみはハインリッヒの空を裂くような一振りで簡単に払われた。剣の破片が空へと舞う。しかし、威圧するように向けられていた斧槍の穂先は空に向き、道は開けた。後は壁を超えるだけである。
祐治は斜めに突っ込み、ハインリッヒの盾を避けるように外側から首元に刺突を繰り出す。それをハインリッヒは首をすくめるように頭を前に倒して、円筒形の兜を使って刃を滑らせながら受けた。引くこともできず祐治はそのまま刃を兜に押し付ける。
「はっははは、面白い術を使いますな。それから剣も中々の腕で」
剣を押し当てられながらもハインリッヒが笑った。祐治にはそれに答える余裕はない。相手の頭に刃を当ててはいるものの祐治の体には盾が押し付けられ、有利な体勢とは言えない。互いに硬直した、鍔迫り合いのようなものだ。振り上げたままの斧槍をどう動かしてくるかもわからない。
刃を引いて目穴に突きでも入れるか、それともこのまま力勝負を挑むのか、左手のダガーの使いどきなのか。リルリーシャなら経験から簡単にどうするかの判断は付けられたのだろう。
だが、偽りの記憶しか持たない祐治にそうはいかない。一瞬の攻防ならばその記憶と魔力で強化された身体能力による反射で対応できても、膠着状態から次の最善手を繰り出すような、思考が必要になる状況においては時間をかけざるを得ない。経験による勘に頼れない分、頭の中の教科書を開きながら戦うようなものである。戦闘中にその思考は、致命的な隙となる。
先に動いたのはハインリッヒだった。右手に持っていた斧槍の石突で祐治の頭を狙ってくる。祐治は左手のダガーでそれを受けるが予想外にその手応えは軽かった。つまりは本命の一撃ではない。
危機を感じた祐治は考えるよりも早く反射的に後ろに下がった。それが悪手だった。持ち替えでもしない限り、密着するような距離の相手に長物を叩きつけられるはずはない。祐治は自分から相手の最適な間合いに引いた形になり、ハインリッヒの斧槍が頭上から叩きつけられる。祐治は自分の判断を呪い、頭上で剣を交差させ、防御の体勢を取る。
しかし、ハインリッヒの斧槍は祐治の横を切り、その瞬間祐治の体が浮いた。
「うぉああっ!!?」
斧槍の背に付いている鉤爪で祐治の足を後ろからすくい上げたのだった。そして、今度は正面から祐治を串刺しにしようと狙っていた。
「終わりですなぁあ!!」
止めの槍が放たれる。祐治はそれに思い切り剣を叩きつけ、軌道を逸らす。だが、ハインリッヒはただ防がれるだけではなかった。衝撃の瞬間斧槍をねじり、その複雑な形に剣を引っ掛けると、祐治の手からもぎ取り、放り投げた。祐治はなんとかその隙起き上がると距離を取る。
武器を奪われても祐治は落ち着いていた。武器が奪われたときの対処も知っているのだ。
「もう一度……俺の剣よ」
祐治の言葉とともに魔力の剣が生成される。
「……なるほど。私の失策でしたな」
だが、事態が好転したわけではない。あの魔角虎と戦ったときと同じだ。相手は明らかに自分より強い。
記憶の中ではハインリッヒよりも強い者を打倒したこともある。だが、その再現を他人である祐治ができるかは別の話だ。本人でなくては彼女と同じように剣を振るうことはできない。
「分かってるんだよ。このままじゃ勝てない。もっとリルリーシャみたいに……」
彼女はそのためにこの剣技を磨いたのだ。父と母を守れなかった戒めとして。魔法なんてものに頼らなくても、いつかその剣一本で大切なものを守る騎士になるように。
「違う、そうじゃないんだ。俺は……」
魔法による上乗せがされない限り女子供の腕力では単純な力勝負に勝つのは難しい。そのためにリルリーシャが磨いた技の根底は技の正確さと見切りだった。相手の攻撃を受け流しつつ、正確な一撃を急所へ繰り出す。だが、それは彼女自身の経験や判断力と巧みな剣さばきがあるからこそ為せる技だ。
「結局頼ってばかりじゃないか……」
自分にそれは無い。彼女のような技術に重きを置いた戦いをすれば自分が負けるのは目に見えている。もっと早く気付くべきだった。彼女の真似をしたところで彼女以上に上手く戦えるはずはないと。そして、その行為自体が自分の決意と相反する恥ずべき行いであるということに。自分はいつまで彼女におぶさるつもりでいたのか。
祐治はハインリッヒに突っ込んだ。リルリーシャのマネをしようとも、自分には不可能だ。それならばいっそ思い切って捨ててしまったほうがいい。無我夢中の一撃は小手先の技よりも効果的な場合もあるのだから。皮肉にも彼女の経験もそう言っている。
ハインリッヒは迎撃の突きを繰り出す。長物の使い手が距離を詰められるのをよしとするはずがない。だが、それは牽制ではなく、本命の一撃であった。
例え避けられ、懐が空いたとしてもハインリッヒの手には長盾がある。それを越えたとしても全身を覆う鎧もある。防御が整っているからこそ、強気で攻められるのだ。そして反撃を受けた相手が満足に攻められるはずもない。彼の斧槍も盾も鎧も、全て攻撃のためであり、防御のためのものであった。
だからこそ、守りを打ち破るためにはこの一撃を避けてはならないのである。祐治は勢いを殺さずに踏み込む。左肩が切り裂かれる。
「うぅおおおおおおおお!!」
痛みは消せるとは言え、やはり怖いものは怖い。祐治は自分を鼓舞するように獣のような咆哮を上げて距離を詰めた。それと同時に短剣を投げ捨て、手斧を生成してそのままハインリッヒの盾に叩きつけた。
今まで曲がりなりにも見せていたリルリーシャから継いだ戦闘技術を全て否定するような力任せの一撃。鈍い金属音が響き、盾のがひしゃげる。その衝撃はかなりのもので、ハインリッヒは体勢を崩し、後ろによろめく。祐治はそして一歩踏み込み、勢いを載せて盾を蹴り抜いた。
「何イィい!?」
勢いと力に任せた不格好な前蹴りであったが、最初の一撃で握力を奪っていたのか盾はハインリッヒの手を離れた。
「まだまだぁああ!!」
盾を奪ったからと言って安心はできない。そもそも斧槍は両手で扱うものなのだ。片手でこうも自在に操っているハインリッヒが両手で扱えばどうなってしまうのか。攻めに関してはより強くなってしまう可能性だってある。
それに対して出した祐治の作戦は突進だった。重量差は2倍どころではないがそんなことは露ほども祐治の頭に浮かばなかった。何も考えずによろめいたハインリッヒに対して猪のように全力でぶつかり、地に押し倒す。
そして、馬乗りになると両手で剣を持ち柄頭を思い切り兜に叩きつける。何度も、何度も何度も。そこには技術もなにもない。喧嘩で我を忘れた子供のようにただひたすら殴りつける。
「おらぁ!! これで、これでぇええ!!」
金属を打ち付けるような音に祐治の絶叫が交じる。ここで仕留められなければ次にこんなチャンスがあるとは限らない。不意にしてはならないのだ。早く倒れてくれ。祐治は祈るように殴打を続ける。
兜が凹み、手が痺れてくる。つまりはそれくらいのダメージは相手にもあるということだ。抵抗が少なくなり余裕ができたところで、祐治は目穴を狙った。その時だった。
「終わりじゃ!」
後ろから飛んできた声で祐治は手を止めた。そのまましばらく見下ろし、鎧が動く気配はないのを確認して祐治は振り向いた。
「もう十分じゃろう?」
リルリーシャが諭すように言った。祐治は兜に視線を戻す。
「……私の……負けだ……」
ひしゃげた兜の奥から無理やり絞り出したような声が祐治に届いた。
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