第7話 チョロいと思いつつも
リルリーシャは一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと祐治に近づき、黙ったまま地面に視線を下ろしている。言葉に迷っているようだったが、それは祐治も同じことだった。出るときに心無い言葉を散々ぶつけておいて、殺されそうなところを助けられて、何と言えばいいのだろう。
目を合わせることすらも気恥ずかしく、彼女の足元に視線を向けていたがあることに気付いた。足が震えている。祐治は思わず視線を上げると、先程までの絶対的な強者の風格はどこにいったのか、どこか不安げなリルリーシャと目があった。
「脚、震えてるぞ」
「……魔力の使い過ぎかのう。この程度たやすいと思ったのじゃが……」
魔力云々言われても祐治には分からなかったが、そもそも無から剣を作り出したり銃弾を弾いたりするのは人間技ではないのだ。その負担はきっと大きいのだろう。そう納得しかけて、非現実的なことが起こりすぎて感覚がおかしくなってしまっているのかもしれないと祐治は思った。
「とりあえず座ったらどうだ? その、立ったままも疲れるだろ」
「そ、そうだな。お言葉に甘えるとするかのう……」
リルリーシャはどこか頼りない足取りで祐治の横まで来て、腰を下ろすと、小さく丸まるように脚を抱えた。
「どうして真横に座るんだよ」
「いっ、嫌だったか!?」
そうは思っていないが、余計に気まずさは大きくなる。いや、そもそも自分が目覚めたときからリルリーシャはこんな距離感であった。彼女にとっては普通の距離なのだろう。意識する方が無駄だ。祐治はそう自分に言い聞かせる。そんなことよりもまず謝罪と感謝の言葉である。余計なことをグダグダ考える前に、人としてその2つが必要であった。
「いや、いいよ。それより……」
「す、すまなかったのう。私が、あんなことをしたばっかりに」
祐治の言葉はリルリーシャに奪われた。
「あれは無意識だったのじゃ。襲われることが多くてのう……」
彼女の言葉が嘘ではないことは今さっき目にして体験もした。疑う余地は無かった。
「そう簡単に許してくれるとは思わぬ。だが、その……館に戻らぬか? 外は危険じゃぞ」
「それは……俺が魔女と間違えられるからか?」
「そうじゃ。お主の瞳は、私の、魔女の血色の瞳だからな。お主を受け入れられるのは私だけじゃ」
そう言いながらもリルリーシャの瞳は捨てられた子犬のような、受け入れられる側の瞳をしていた。
だが、リルリーシャが言っていたことが真実なら自分にこの目を植え付けたのは彼女自身なのだ。よく自分でこんなセリフを吐けたものだろう。そう思いながらも祐治は不思議と恨む気にはならなかった。危ないところ助けられたせいだろうか。目の前の少女を誰が受け入れるのかが頭によぎったせいだろうか。単に考えるのが面倒になったせいなのか。祐治はすんなりと彼女の提案を受け入れた。
「わかったよ。館に戻る。それから……ありがとう。助けに来てくれて」
ここ一番のタイミングを逃さずに、祐治は礼を挟んだ。花が開いたかのようにリルリーシャは明るく笑った。
「ほっ、本当か? 戻ってくれるのか!?」
「あっ、ああ。行くあてがあるわけじゃないし、野たれ死ぬのは嫌だしな」
「ふふふっ、心配するな。お主は普通の人間じゃないからな。ちょっとやそっとじゃ死なんわ」
さっきまでの不安げな表情はどこに行ったのか、リルリーシャは誇らしげに言った。
「あー……そうだな」
普通の人間じゃないのは一晩で完全に理解してた。それについて問いただしたくもなったが、祐治は踏みとどまる。眼の前で完全に現実離れした光景を見せられたのだ。今更、自分の身体は人間とかけ離れているからといって何になろうか。少なくとも無から剣を作ったり、魂を降ろしたりするよりは現実的なことである。
「さて、お主が戻ってくれると言うならそろそろ出発するか。あの男が仲間を引き連れて戻らないとも限らんしな。体はもう大丈夫かのう?」
そう言ってリルリーシャは祐治に向かって手を伸ばした。
「ああ、大丈夫」
正直なところリルリーシャに言われるまで忘れていたほどであった。銃で撃たれたというのにこの程度で済むとは、自分で自分の体が恐ろしくなる。
そんな体調だから立ち上がるのに誰かに手を貸して貰う必要もない。祐治は差し出された手は握らず、自分で立ち上がった。
「ほらな?」
「……そうみたいじゃな」
リルリーシャは不満げに呟くと祐治に背を向けて歩き始めた。だが、そこから何歩も歩かない内に何か思いついたかのように足を止めて振り返った。
「……まだ足がおぼつかないようじゃ。おぶってくれないか? 体はもう完全に平気なのじゃろう?」
どこか不機嫌そうにリルリーシャが言って、わざとらしくよろめいて木に手を突く。
「そりゃあ確かにそうだけど……」
いくら痛みは引いたと言っても人をおぶってこの森の中を歩くなんてあまり考えたくない。そもそも、そんな状態なら手を差し伸べるはずがないだろう。下手くそな嘘だということは祐治にも簡単にわかった。
「嫌ならお主一人で戻るのじゃな。私はここでもう少し休んでおくからのう」
「いや、道がわからないし俺も残るよ」
「……それはダメじゃ。私をおぶるか一人で戻るかどっちかにせい」
口を尖らしてリルリーシャは木の根本に座り込む。
だだをこねる子供のようだなと祐治は思った。銃を持った大人相手にあれだけの立ち回りをして、自分を助けた少女と同じ人物とは思えない。でも、だからこそ、そのわがままくらいは聞いてやってもいいのかもしれない。
祐治はリルリーシャに近づくと、しゃがみこんで腰を下ろす。
「わかったよ。ほら」
「ふふっ、わかればよい」
満足気にそう言うと、リルリーシャは祐治の背中に体を預けてきた。祐治はリ彼女がしっかりと腕を回したのを確認するとローブの下に手を入れ、そのまま脚に腕を引っ掛けて立ち上がる。
真っ先に感じたのは背徳感だった。いくら構造上仕方がないとは言え、女の子の服の下から手を入れ、素肌に触れているのだ。だが、それ以上に問題なのはそのリルリーシャの肌だった。自然の寵愛を飽くるほど受けた果実のように瑞々しく、滑らかなそれは触っていることが罪であるかのようだった。それを両腕に抱えているのだ。
しかし、その手を離すことなんてもう許されはしない。リルリーシャの細い腕はイバラのように祐治の体に巻き付き、縋るように小さな体を括り付けている。手を離すということはこのいじらしい花を地に落とそうとするも同然。そんなことが許されるはずがない。
「さあ、出発としようかのう。方向はあっちじゃ」
祐治の心情など露も知らず、リルリーシャはご機嫌そうに前を指差して言った。祐治は木人形と見間違えるかのような固い動きで歩を進める。できるだけ心を無にして、何も感じないように努めなくてはならないから。
でなくてはどうにかなってしまいそうであった。誰かとこうして肌を触れさせ合うのはいつぶりだろうか。空っぽで孤独な毎日を過ごしていた祐治にとって彼女の体は炎のように暖かかった。近づき過ぎればきっと火傷では済まない程に。
彼女を疑ったり、憎んだりするような気持ちは既に無くなっていた。むしろ、祐治にとってリルリーシャは恩人である。妙に年寄りくさい口調も、それとは裏腹に時折見せる幼子のような表情も、妖精のように非現実的な可愛らしさも今では全て好意的に思えていた。
だが、そうは言っても出会ってまだ1日も経っていない。ここで気を許し、ましてや惚れでもしようものなら彼女の近い距離感と容姿に陥落したようなものだ。それだけは避けなければならない。
祐治はそんなちっぽけなプライドを胸に彼女の館に向かった。
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