第113話 男の本能~Second year~
目の前に見える小さな穴。だけど、俺にとってそれは何よりも大きく、そして何よりも輝いて見える。その先には極楽浄土が、秘密の花園が、男のロマンが広がっている。ゆっくりとしゃがみ込み、目線を合わせていく中で、何度も生唾を飲み込む。
去年も衝撃的だった。
だが、満足に見られたかと言えば……声を大にして言おう、全然足りなかったっ! あのクソイケメン委員長が騒ぎ立てなければ、俺のハッピータイムはもっとあったはずだったのにさ? でもまぁ今日は隣に知将がおられる。しかも2人同時の拝見が可能となれば……
ゴクリ
穴の位置的にもしかすれば、口辺りまでは温泉に浸からなければならない。けどそんな事はお安い御用だ。期待に胸が躍り、血が滾る。もはや俺達の準備は万全を喫していた。
さぁ、行きましょう。桐生院先輩っ!
お互いがお互いを見つめ合い。1つ頷く。そしてそれが合図となり、俺達はゆっくりと幸福の入り口を覗き込んでいった。
いくぞ? よいしょっと……こっ、これはっ!
ゆっくり覗き込んだ瞬間、俺の期待は一気に削がれてしまう。
嘘だろ? 夕方だぞ? 気温と温泉の温度の差は夜に比べて少ないはずだぞ? なのになぜ……
なぜこんなにも湯気で溢れているんだっ!
それはまさしく去年と同じ光景。異常に多い湯気が立ち上り、辛うじて人の輪郭等は確認できるもののハッキリとは見えない。
待て待て? これ去年と一緒じゃねぇか。湯気ありすぎなんですけど? でも、夜じゃないから去年よりは見やすい気はするぞ? よっし、声と髪型身長……それらを頭の中でフル回転させて照合させるしかないっ! 集中しろ……耳を澄ませろ……そして目的の人物を目に焼き付けるんだっ!
まずは、各配置状況の確認か。ここから見える限りだと3人固まってるな? おそらく景色を見に来たんだろう。
「凄い景色だね?」
「本当だねぇ」
「落ち着くってこういう事だよね?」
手前の2人は温泉に入ってて、1人は立って景色を見てる? そして声的に……海璃、六月ちゃん。あとは……嬉しい声ではあるけど、残念ながら2分の1を外してしまったらしい。
話し方的に後の1人は凜だろう。てか最近、声聞いてガッカリってパターン多くね? 俺の期待を吹き飛ばさないで欲しいんですよね? 凜さんよ。
それにしてもこの3人かぁ。てことは、恋達は入り口近くとかに居るのかな? とりあえず、俺の位置からはそっち側見えないし、桐生院先輩は見えてるの……
「どう? 景色良いでしょ?」
「やっぱりいいですよねぇ」
ん!? この声はヨーマに早瀬さん? って、来たっ!
横から姿を現したヨーマと早瀬さんが、端の方にまでやって来る。相変わらずの湯気だけど、2人の素晴らしい体のラインははっきりと見える。しかし……
おぉ、相変わらずどっちもいいなぁ。ん? でもなんか去年より小さい?
そんな俺の疑問は湯気が薄くなった瞬間、瞬く間に解決してしまう。そう、彼女らはきちんと着用していたのだ……鎧を。
なっ! バスタオルだとっ! その聖なる白い鎧はまるで俺達を嘲笑うかのように、彼女らの体へぴったりと張り付いていた。
くそっ、おそらくヨーマの入れ知恵か? てか湯舟の中にはタオル入れるんじゃないよ! マナー違反だろ? 待てよ? て事は……六月ちゃんもバスタオルを? なんてこった。
そんな落胆する俺を尻目に、その2人も露天風呂に入り景色を眺める。そうなれば今の俺に見るべきポイントはなくなる。ただ露天風呂を楽しむ女性陣の様子を眺める他は……。
はぁ、いや? まだ恋が居るぞ? この際バスタオルに隠れてたって良い。その体のラインだけでも拝んでやる。てか、それに期待するしかないんですよ。
端の方には、5人の女性陣が仲良くガールズトークを繰り広げ、俺はただひたすら恋が来るのを待っていた。けど、なかなかその姿は見えない。
ん? どうしたんだ? まさか上がったのか?
少しだけ入口の方へ視線を向けたけど、見える範囲には誰も居ない。
桐生院先輩は……じっと見てるし、俺もとりあえず静観かな?
そんな感じでとりあえず、焦る気持ちをひと段落させた時だった。目の前に気になる姿を感じる。それはおそらくさっきからそこに居たであろう人物。その変わらない様子に疑問が浮かばない訳はなかった。
ん? そういえば、全員温泉に浸かってるのに奥の人さっきから立ちっぱなしじゃね? 奥の人って確か……
その時だった、風に吹かれ湯気が一瞬薄くなる。そして、そこに現れたのはやはり……凜だった。
バスタオルを身にまとい、楽しそうにガールズトークを繰り広げる凜。ただ、丁度こっちを見てるからバスタオルが体に張り付き、その体のラインは……悔しいけど抜群。過去の自分だったら狂喜乱舞してるだろう。
やっぱり、スタイルは良いよな。でも、恋の方が大きく……
それは一瞬だった。その時、俺は完全に油断していたかもしれない。まさかこんな小さい場所から見てるなんて気付かないだろうと。けど、それは勘違いなんだ。ただ、俺達の見ている場所が分かり辛いってだけで。俺が見えているという事はあっちからも見えている。そう……その瞬間、
俺と凜は目が合った。
なんでかは分からない。けど、突然の出来事に俺は身動きが取れなくって……ただ凜の顔を眺めているだけだった。
なんで気付いた?
それは凜も同じだったんだろう。俺と目が合った瞬間、驚いた表情を見せる。
なんで目が合った?
そんな表情を見せた後、凜の表情は瞬く間に変わっていく。それに俺は……恐怖を覚える。
なんで……なんで……? まさか俺だって分かった?
そう、凜は笑みを浮かべたんだ。騒ぐのでもなく、誰かに教える訳でもなく、静かに俺の目を見つめて……
ヤバい……ヤバい……!
直感でそう感じた瞬間、俺は勢い良く覗き穴から顔を外していた。
その反射的な行動に、桐生院先輩が声を掛けてくれたけど、
「月城君、どうしたの?」
「あっ、いえ……」
それを1番理解出来ていなかったのは……俺自身だった。
「うん、美味しっ」
「滅茶苦茶美味いっす!」
「やっぱりサイコーよねっ」
「味わって食べなさい?」
楽しいはずの夕食なのに、俺の心は楽しくない。
なんで目が合ったんだ?
美味しいはずの夕食なのに、全く味がしない。
しかも、意味深な微笑み……
凜の様子はいつもと変わらない。皆と楽しそうに話をして、皆と一緒にご飯を食べてて、だけどそのいつもの姿が余計におかしく感じてしまう。
あいつは絶対俺だって気付いた。だから笑ったんだ。でも誰にも言った素振りはない……。お前は何を考えてる、何をしようとしてるんだ? 凜。
月夜に照らされた露天風呂。夕方のそれとはまた違った雰囲気を味わえる。枕投げやトランプ大会、透也さんの座敷わらし遭遇体験談とか、そりゃ大いに盛り上がったし楽しい時間だった。
でもやっぱり心のどこかで突っかかる部分があるのは否めない。現にこうして眠れずに、露天風呂に逃げている時点で、残念ながら凜の事を気にしてる証拠でもある。
はぁ、絶対バレたよな? 目が合った瞬間笑ったし……けどその後の様子じゃヨーマとか誰にも言ってないみたいだし? 考えられるのは、やっぱりこれを餌に脅されるって事なんだよなぁ。
「ツッキー?」
そんな不安に駆られていた俺の耳に入る、聞き覚えのある声。それは一瞬俺の心を癒してくれたに違いない。
はっ? ……恋? でもなんで俺が居るって?
そんな疑問もあったけど、もはや問題じゃない。俺をそう呼ぶのは恋しか居ないし、それを聞けただけで……
「ん? 恋?」
「そうだよ。それにしてもこんな時間にお風呂?」
不安なんて消えていく。
「まぁね、そういう恋こそ」
「なんとなくね?」
なんとなくねぇ、そいえば2人でゆっくり話せる時間も去年に競べたら全然減っちゃったよなぁ。
「やっぱここのお風呂良いよなぁ。透也さん達も相変わらずだしさっ」
「うん。とても楽しいよね?」
「今年の座敷わらしの話も凄かったなぁ。しかもあれ体験談だぜ?」
「えっ、あれって本当の話なの?」
ん? 恋って去年、透也さんの体験談聞いて感動してなかったっけ? まぁ確かに今年の話も十分有り得ない感じはするけど……
「まぁ、去年のも凄かったからなぁ。それに比べれば現実味ない? でも去年の話は真白さんも一緒に体験してるし」
「……そうなんだよね」
気のせいかな、なんか様子変じゃないか 真白さんにも会いたがってたし、さっきまで一緒に騒いでたのに……具合でも悪いのか?
「恋、なんか変じゃないか?」
「そっ、そんな事ないよ? 平気」
……平気かぁ、なら良いんだけどさ? じゃあここは一丁、恋の元気が出そうな話題でもするかな?
「そっか。そいえば恋。ストレス発散アニマルなんだけどさ? 新製品でるらしいぞ?」
「…………ストレス発散アニマルねっ!」
あれ、反応遅くない? でも声は張ってるし。 ……ん? なんか……いつもの恋じゃない?
「俺があげたアニマル、大事にしてるか?」
まさかだとは思う。けど、そのまさかがあるかもしれない。確証はないよ。でも、壁の向こう側の恋は……さっきまでとは様子が違いすぎる。
「当たり前だよ。ちゃんと部屋に飾ってるよ?」
その一言が、何を意味してるのか……瞬間的に頭の中を駆け回る。
部屋に飾ってる? ストレス発散アニマルを?
……その言葉で全部ハッキリしたよ。恋……いや、違う。教えてやる、俺があげたストレス発散アニマルキツネ。恋はショルダーバッグにいつもに付けてるんだ。しかも今日もそのアニマルは、恋のバックにピッタリ付いてるんだ。だとしたら……
「なぁ、ちょっといいか?」
恋と同じ声、けど違う。だったら当てはまるのは、
「何かな?」
1人しか居ないんだよ。
「どうしたんだ? ……凜」
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