17.失態

 ずっと頭から離れない。

 ナンシーさんと一緒にいる、ジルの姿が。ジルを恋い慕うナンシーさんの声が。


 ドレスの袖にたっぷりとレースを縫い付けながら、わたしは先日の二人の姿を思い返していた。


 ジルに好意を向けて、それを隠さないナンシーさん。ジルは応えていなかったけれど、あんな真っ直ぐな好意を向けられて、嫌な気持ちになる事なんてないだろう。


 分かっていたし、願っていたのに。

 彼には彼の未来があって、幸せになるのだと。


 針で刺されたように胸が痛い。

 寂しさに心を塗り替えられてしまったように、気持ちが暗く沈んでいく。


 幼い頃から一緒だった彼が離れていく寂しさ。本当ならそれをお祝いするつもりだったのに。

 前にジルが言ってくれた『傍にずっと居る』という言葉に、わたしは縋りついていたみたいだ。

 何度目になるかも分からない溜息をついた。


「フィーネ、いい加減にしなさい」


 思いに沈むわたしを呼んだのは、母だった。鋭い声に顔を上げると、冷たい瞳がわたしの事を見下ろしている。


「レースの場所が一段ずれているわ。これで何回目だと思っているの」

「……ごめんなさい」


 母に言われて手元を確認すると、確かに指示されている場所と縫い付けたレースは段がずれてしまっている。

 慌ててピンクッションに針を刺し、目ほどき用の小さなはさみを手に取った。縫い付けた分を解いて、また綺麗に縫っていかなければならない。


「ちょっと来なさい」


 険しい声に道具を置いて立ち上がると、お針子さんがやっておくからと声を掛けてくれる。首を横に振って返事として、わたしは工房から出ていく母の後を追いかけた。



 裏口の扉前で、母が腕を組んで立っている。

 見るからに怒っているのは明らかで、自分の情けなさに唇を噛んだ。


「一体どうしたっていうの。いつものあなたならしないような、簡単なミスばかり続いてる。簡単なミスって事は、気を付けていればしないはずよ。集中できていないのね」

「ごめんなさい。少し考え事をしていて……」

「あなたのミスでどれだけ作業が押してしまっているか分かるでしょう。あなたは私の娘だけど、工房で働く以上は従業員に変わりないわ。ちゃんと仕事に取り組めないのなら、もう来なくてもいい」


 それは【アムネシア】のデザイナーとしての言葉だった。

 ちゃんと仕事に取り組む事が出来ないお針子は、必要ない。たとえそれが娘でも、刺繍に腕に秀でていても。


 母の言う事はもっともだった。

 言い訳なんて何もない。集中できていなかったわたしが悪い。


 考え事も何もかも、お仕事には関係ないんだもの。持ち込むべきじゃなかった。


「申し訳ございませんでした。今後は気を付けますので、作業に戻らせて下さい」


 娘としてではなく、従業員として心から謝罪をした。

 気持ちを切り替えてお仕事をしよう。【アムネシア】のドレスを楽しみにしている人がいる。そんな人達に対して、こんな上の空で仕事をしていいわけがない。


「……今日はもういいわ。それから、明日も。お休みにしなさい」

「でも……!」


 先程よりも幾分か声音を和らげた母が、溜息交じりに言葉を紡ぐ。わたしの頭を撫でる手はひどく優しくて、泣きたくなるのを堪えようとしても震える息が漏れるばかりで。


「少し休みなさい。その代わり、明後日以降はばりばり働いて貰うわよ」

「……母さん」

「刺繍花の事でも頑張らせちゃったしね。少しだけ休憩。でも明後日以降にこんな失態を繰り返したら、引っ叩くから覚悟しなさいよ」

「ごめんなさい。……ありがとう」

「片付けは私がしといてあげる。あのレースも他の人にお願いするから大丈夫。明後日出勤したら謝っておきなさい」

「はい」


 わたしの肩をぽんぽんと叩いた母は、手をひらりと振ってから工房へと戻っていった。


 ここに立っていても邪魔になるし、まだ仕事をしている皆に気を遣わせてしまうだろう。

 そう思ったわたしは裏口から外に出て、隣にある自宅へ戻る事にした。


 

 冷たい風が頬を撫でる。

 色付いた木の葉が、その風に揺られて舞い落ちていく。


 もうすぐ夕方が近いからだろうか。買い物かごを手にした女性や、学院帰りの子ども達が道を歩いている。

 いつも通りの穏やかな日常を見ていたら、そこから離れる事が出来なかった。


 少しだけ、外の空気を吸って。それから家に入ろう。

 そう思って玄関前の段差に腰を下ろす。揺れる木々や風に遊ばれる落ち葉、賑やかで明るい子どもの声。家の前に植わっている花は終わりを迎えて色褪せてしまっている。


 そんな日常を眺めていたら、涙が零れた。

 自分が情けなくて、悔しくて、深い息を吐いた。


「フィーネさん?」


 掛けられた声に顔を上げると、驚いた様子のドミニクさんが居た。店の裏口からわたしの事が見えたのだろうか、そちらから歩いてきている。


「ドミニクさん。すみません、お見苦しいところを……」


 頬を伝った涙を拭って立ち上がると、ドミニクさんがハンカチを差し出してくれた。断ろうとするも、手を取られてそこに載せてくれたら受け取る以外になくて。

 ありがたくお借りして、涙を拭いた。


「洗ってお返しします。ごめんなさい」

「いえ、お気になさらず。……どうしたんですか?」


 わたしはハンカチを両手で握りながら、笑って見せた。こんな姿を見られるとは思ってなかった。


「……仕事で少し失敗をしてしまって。反省をしていたところです」

「失敗は誰にでもありますよ。……あの、良かったら気分転換にお茶でもいかがですか。今日はちょっと私もまだ仕事なんですが、次のフィーネさんのお休みにでも」


 予想外のお誘いに瞬きをしたら、また涙が零れた。ドミニクさんは人の好さそうな笑みを浮かべながら、オレンジ色の頭を手でかいている。


「下心があるわけじゃなくて、いや、まったくないわけじゃないんですけど。美味しいケーキのお店が出来たと聞いたので、良かったらどうかなと……」


 少し慌てたような言い方がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまっていた。ドミニクさんもつられたように笑って、先程までよりもわたし達の間に流れる空気は軽くなったようだった。

 前に誘われたような食事は少し気後れしてしまうけれど、お茶を楽しむくらいならいいかもしれない。


「明日は休むように言われているんです。なのでお休みは明日と──」

「じゃあ、明日。行きましょう」


 かぶせるような言葉に目を丸くしていると、ドミニクさんの頬が赤くなっていく。


「……すみません、落ち込んでいるフィーネさんにつけこむような誘いをしてしまって。でも明日は本当にそういうのは一切なく、友人としてケーキを楽しんで、気分転換が出来たらと。そういう思いが強いです」


 言わなければ分からないのに、そんな言葉を口にするこの人は誠実で優しい人なんだろう。

 わたしは頷いて、借りたハンカチを両手に握り直した。


「ありがとうございます、ドミニクさん。美味しいケーキを楽しみにしています」

「良かった! お店で二時に待ち合わせでいいですか? 場所は……」


 ジャケットの胸ポケットから手帳とペンを取り出したドミニクさんは、さらさらと何かを書きつけている。きっとお店の場所だろう。


 ページを破って渡してくれたそれを確認すると、お店の名前と簡単な地図が描いてあった。字も読みやすく、地図も上手だ。


「では明日の二時に」

「はい、楽しみにしています。では私はお店の方に用事がありますので……」


 にこやかに手を振って去っていくドミニクさんを見送って、わたしも家へ入る事にした。



 自分の狡さを見ないふりをして。

 これは気分転換だと、自分の心に言い訳をして。


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