53話 はじめてのおつかい(4/4)

「……それで、どうなったの?」

クリスが心配そうに尋ねる。

何せ、クリスの元に腕環を届けに来たのは、リル一人だったからだ。


あの過保護な久居が一緒じゃないというのが、クリスには最初から気になっていた。

レイがいないのは気にならなかったのだが、今の話を聞いて心配になった。


先日、久居とリルが眠りについて、目覚めるまで、クリスはこの家でほんの少しの間、あの天使と二人になった。

見惚れるほどに整った顔で、背も高く、均整の取れた体付きをした、いかにも天使然としたレイ。

けれど、彼は至って普通の人で、笑えば人懐こく、クリスが尋ねれば、可能な範囲で何でも話してくれた。

頭も良いようで、彼の説明は分かりやすかった。

この世には天使の住む国がある事。天使とはどういうものか。

四環はどういうもので、今どうなっているのか。

そのおかげで、クリスはこの環について正しく知る事ができた。

そんなレイは、久居が目を覚まして「少し落ち着ついてください」と言うまでずっと、眠ったままのリルと久居の側をうろうろうろうろ不安げにうろついていたけれど。

まあ、クリスがレイとの距離を近く感じられたのは、そのおかげかも知れない。


しかし、天使というのは、仲間割れをしたりするものなんだ。というのが、クリスには酷く衝撃的だった。

レイは天使であることを、天使の仲間達を、とても誇りに思っていたようだったのに。


「えーとねぇ、えーと…………なんだっけ。名前忘れちゃったけど、レイのお兄さんが、なんか書類を天使達に見せて、天啓を会議に通してきたって、レイは殺したらダメな人だって天界で決まったからって、レイとレイのお友達を天界に連れてっちゃったんだ」

「う、うん」

「あ。久居とボクの事も、殺したらダメって言ってくれたんだよー。まあ『今は』って事みたいなんだけどね」

「……それで?」

クリスが不安を抱えたまま尋ねると、リルは元気に答えた。

「それでおしまいっ」

「え……? レイさんはどうなったの?」

「うーん。まだわかんない」

「……そっか……」

クリスは胸に残った不安を、頭の奥に仕舞いながら呟く。

まだしばらく結果がわからないなら、あまり気にしすぎない方が良い。とクリスは自分に言い聞かせる。

「でも、あの時レイのお兄さんとお髭の人、ヒソヒソ話してたんだよね。レイとお友達の事を、よく分かんないけど、処理する許可をもらってるとか、二度目はないとか……」

リルが独り言のように呟いて、窓の外に広がる空を見上げて言う。

「レイ、無事だといいんだけど……」

遠い目をするリルが、見た目よりずっと大人びて見えて、クリスはその横顔から目を逸らせずにいた。


牛乳は、始めクリスの腕の中にいたが、リルの長い話に飽きたのか、途中から牛乳専用のベッドとやらで丸くなっている。

目は閉じているようだが、時折ピクピクと耳をこちらに向けたりしているあたり、ぐっすり眠っているわけでもなさそうだった。


「結局、今、久居さんはどうしてるの?」

クリスは、出てこなかった久居の現在について尋ねる。

「久居? 久居はお父さんに捕まってるー」

「え?」

「お父さん、聞いてない話が多いって、怒って久居に質問しまくってたよー。あと、ラスに闇の力の使い方とか教えてもらうんだって」

「ふーん……?」

クリスは内心よく分からないながらも相槌を打つ。

特に、途中で出てきた人名がわからなかったが、まさか、それが自分達の家族を殺した男だとは、思ってもいない。


クザンは、ここ数日の説明不足なお使いや戦闘の数々に、かなり憤っていた。

それを、八つ当たり気味に手近な久居にぶつけた。

表面上、久居は困った顔程度で耐えていたが、リルやレイでは泣いて逃げ出すか、気を失う程度の圧をかけられた瞬間もあったようだ。


「じゃあ、リルは一人でここまで来たの?」

「一人じゃないよ? くーちゃんと…………えーと。……くーちゃんと一緒だよ」

リルが一瞬クリスから目を逸らす。

……リルは嘘がうまくなかった。

(本当は、ヒバナがついてきてくれてる音、聞こえてるんだけど……。

 居るって、ボクが気付いたら、出てきちゃうかも、知れないから、き、気付かない、フリ……)

リルは身体の芯が冷たくなるような、ぞわりとした恐怖をなるべく思い出さないようにしながら、チラリと視界の端の牛乳を見る。

今はもふもふに癒されたかった。


そーっと牛乳に手を伸ばそうとするリルに、クリスが尋ねた。

「今日は泊まってくの?」

牛乳が目を開き、ギロリとリルを睨みつける。


「ううん。もう帰るよ」

「そうなんだ……」

「環を届けに来ただけだからね」

リルが少し淋しそうに笑うと、クリスは胸のあたりがギュッとなった。


「……ま、また会える?」

「うーん……どうかなぁ、カロッサが死んじゃったから、クリスが移動しちゃうと、もうボクには場所がわかんないんだよね」

しょんぼりと答えるリルに、クリスが表情を硬くする。

「…………環のせいで?」

「うん?」

しゃがみ込んで牛乳を撫でていたリルが振り返る。

牛乳は、リルに撫でられる気など微塵も無かった。

それどころか、今日は久居もいないようだしズタズタに引っ掻いてやろうと思っていた。

しかし、悪意を持って伸ばした腕の、爪先は焦げて消えた。

リルはまだ、自分から時折力が漏れつつある事に気付いていない。

……結果、牛乳は戦意喪失し、魂の抜けたような顔で、されるがままに撫でられていた。

「その人は、環のせいで死んだの?」

「うーん……。カロッサが何のために死んだのかは、ボクには分からないけど」

言いながらリルは立ち上がり、クリスを真っ直ぐ見る。

「クリスのせいではないよ」

ただ優しさと、誠実さだけで出来ているような、そんな淡い茶色の瞳。

「そ……そっか……」

クリスは、なぜかどんどん熱くなる頬を、両手で押さえながら答えた。


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「……っ、は……」

久居は苦しげに息を吐いて、目を覚ました。

見慣れた簡素な木組みの天井。時刻はまだ真夜中だ。

(ああ……戻って来たのでしたね)


激しい動悸に、仕掛けが作動したことを知る。

正直、ここまで自身に反動が返ってくるとは思わなかったが。

(うまく嵌まってくれれば良いのですが……)


どちらにせよ、自分にできる事はもう無い。

せいぜい、明日に備えてすぐ寝直す事くらいだろう。


明日もおそらく、厳しい特訓が待っている。

しかしそれは、自身の闇の力を制御したいと願う久居にとって、感謝するべき事だった。


何気なく寝返りをうつと、隣に菰野が眠っていた。


暖かい栗色をした髪が、そっと閉じられたまぶたにかかっている。

少し髪が伸びただろうか。そろそろ切った方が良いかも知れない。

そんな事を思いながら、緩やかに呼吸する菰野を見つめる。

安心しすぎてか、不意に涙腺が緩みそうになって、久居は息を詰めた。


前触れなく、菰野の目がゆるりと開かれる。

「ん……? ひさい……?」

眠そうにゆっくりと瞬きをしながら、菰野が口を開く。

久居が慌てて謝罪した。

「すみません、起こしてしまいましたか」

「どうした……こわいゆめでもみたのか……?」

まだ呂律の回らない喋りで、菰野が尋ねる。


「い、いえ。そういうわけでは……」

「おれの手、にぎってていいぞ」


菰野は布団から手を出すと、こちらへ伸ばしてくる。

二人の布団の間、木の床は、ひやりと冷たいだろうに。

まだ真冬には遠かったが、季節は秋の終わりに近付いていた。


久居は、その手を布団の中に戻そうと手を伸ばす。

菰野はもう目を閉じていたが、久居の手が菰野の手に触れると、それをギュッと握った。


「菰野様……」

困ったような、戸惑うような久居の声。


菰野は薄目を開けて、久居の困った顔を見てから、満足そうに笑って言った。

「俺の元に、帰ってきてくれて、ありがとう」

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