36話 覚醒と失神(1/7)

頭痛に倒れたレイは、空の色がゆるゆると変わり始めた頃になんとか目覚めた。

まだ頭痛の感覚を忘れきれないままのレイは、覚束ない足取りながらも、やはり日暮れまでには天界に帰ると言った。


「レイ大丈夫ー?」

小屋の外で、壁にもたれて風に当たっているレイに、リルが尋ねる。

「ああ、まあ、何とかな……」

苦い口調ながらも、レイはリルに笑ってみせた。


そんな二人を見て、久居はカロッサをチラと振り返る。

カロッサは小さく頷いた。

闇の血を知ったレイが、誰かに操られていると知った今、彼を無策で返すわけにはいかない。

せめて、レイに術をかけた人物を探る必要がある。


久居は、レイと同じように壁に背を預けて腰掛けた。

それを見て、リルも並んで座りたくなったのか、久居とレイの間に座ろうか、その向こうに座ろうか悩む様子を見せる。

おそらく、レイがまだどのくらい具合が悪いのかを心配しているのだろう。

「リル、来ますか?」

久居がリルを膝に呼ぶと、リルは「うんっ」とそこへ収まった。

膝に来たリルの頭を久居が撫でる。

リルは満足そうに久居の胸に頬を寄せている。

レイが「……お前ら仲良いなぁ」と、目を細めて呟いた。


「えへへー、いいでしょー」

リルが自慢げに胸を張る。

「いや、別に羨ましいとは言ってな……」

「よければ、レイも撫でましょうか?」

「!?」


予想外の久居の言葉に、レイが固まる。

リルは、久居にその小さなツノごと頭を撫でられて、うっとりと目を細めていた。

その幸せそうな姿を見ていると、確かに、ちょっとだけ、羨ましい気がしなくもないレイが、返事に詰まる。

(いや、でも、俺より年下の、男に、撫でられたいかどうかと言うと……)


久居は、レイが少し赤面し、あせあせと返事に悩んでいる様子に、内心頭を抱える。

(ここは普通に断ってください……)

要は、最近レイの頭を撫でた……もしくは、頭に手をかざした相手の話に繋げられれば良いだけで、久居がレイの頭を撫でる必要は全く無い。

全く無いのだが。

レイはまだ言葉に詰まっている。

日暮れはもうすぐ先で、ここであまり時間を取られているわけにもいかないだろう。

……彼が断らないならば、仕方ない。と、久居は心で小さく息を吐いて、告げる。

「もう少し、こちらへ来ていただけますか?」

久居がふわりと微笑んで自分の隣を示すと、レイは座ったまま、器用に尾羽を持ち上げて、ずりずりとにじり寄った。


膝上でリルがちょっとムッとした顔をしているが、気付かないフリをして、久居はもう片方の手でレイを撫でてやる。

長い金の髪は、猫っ毛気味のリルよりハリがあったが、ごわごわとした感じはなく、指の間をサラサラと流れた。


「……なんか、恥ずかしいな」

レイが、俯いたままぽつりと零す。

(それなら断ってください!!)

と久居は内心で叫びつつ、予定していた台詞を言う。


「レイは、普段誰かに撫でられるような事はないのですか?」


少し離れて座るカロッサも、その返事に耳を傾けている。


「んー。そうだな、義兄には滅多に会えないんだが、会うと必ず撫でてくれるな。もう、こんなに大きくなったと言うのに」

苦笑しながら、それでもとても嬉しそうに、目を細めてレイが話す。


「そのお義兄さん以外に、レイを撫でる人は居ないのですか?」


レイがその義兄とやらを信頼している様子に、久居はじわりと感じる苛立ちを心の奥に沈めながら尋ねる。


「そうだな。天界では頭は体の中でも特に神聖なものという考え方をするから、他人がおいそれと触るような事はないな。手をかざすだけでも嫌がる人も居るくらいだ」


「そう、なんですか……」


レイを操る人物は、たったこれだけの会話で特定できた。特定は、出来たが……。


(それでどうして、レイは私に撫でられるのですか?)


この調子では、相手が誰であっても、向こうにその気があれば簡単に記憶を読み取られてしまうのではないだろうか。

久居はこの時そう思ったのだが、後ほどカロッサに、レイはプロテクトのおかげで術者以外の者から記憶を取られる心配はないと聞く。


「レイの髪サラサラー。フリーよりサラサラかもー」

いつの間にか、リルが久居の膝から身を乗り出して、レイの髪に指を入れていた。


「長いと手入れが面倒なんだけどな。義兄が切るなと言うので切りづらいんだ」

「ふーん」

朝晩のブラッシングやセット以外にも、意外と色々手をかけているらしいレイが、手間がかかるとぼやく話を、リルが興味なさげに聞き流している。

確かに、あの髪に櫛でも通しながらなら、ゆっくり術をかけるだけの時間が稼げるだろう。

レイが、レイを利用している相手のために、日々の時間まで取られているのかと思うと、久居もカロッサも不憫に思わざるをえない。


「お義兄さんとは、最近会われていないのですか?」

「ああ、忙しい人だから、もう随分会ってないな……。天空祭には会えると思うんだが……」

レイが寂しげに目を伏せる。

その横顔からは、義兄に会いたいらしいレイの感情が滲んでいた。

「てんくーさい? って何? おまつり?」


「天界で一番大きいお祭りだ。

 三日間続く祭典で、その前後と繋げて七日は休日になる。

 義兄は七日もは休まないだろうが、何日かは家に帰ってきてくれるはずだ」

と、レイは嬉しそうに笑う。

「へー、お祭りいいなー。いつあるの?」

「今から丁度、ふた月後だな」


リルには何も打ち合わせはしていなかったが、中々良い働きをしてくれた。

そう思った久居が、頭を撫でていた手を滑らせて、感謝を込めてリルの頬を軽く撫でる。

リルが、久居を振り返り「えへへ」と笑った。

理由はよく分からないながらも、可愛がられた事が嬉しかったらしい。


「リルのとこも、もうすぐあるよな、祭り。俺達は留守番でも、お前は行くだろ?」

グッとリルが体を強張らせたのが、久居には分かった。

「……村のお祭りは、妖精達のお祭りだから。ボクは行かないよ」

リルが静かに答える。残念だとか寂しいとか、そういった感情は窺えない。

「!」

レイが、間違いに気付いた顔で言葉に詰まる。

「すまない。俺の配慮が足りなかった。嫌な気分にさせてしまっただろうか……」

レイは、自分よりずっと幼いリルに真摯に謝った。

「ううん、大丈夫だよ」

リルがにこっと笑顔で答える。


「でも困ったわねぇ」

すぐ横からカロッサの声。

いつの間にか近くに来ていたようだ。


「ふた月後くらいに、また怪しい動きがありそうなのよね。まあ、まだハッキリは見えないんだけど……」

いかにも困った様子でカロッサは言う。

「怪しい動き、ですか」

レイが真剣な眼差しでカロッサを見上げた。

「レイ君が毎日上に帰っちゃうのが、不安よねぇ」

カロッサにチラと視線を送られて、久居が話を合わせる。

「そうですね……。夜も側にいていただければ、私達も安心なのですが」

しかし、久居が見る限りレイはすでに真っ赤だ。

果たして、援護射撃の必要は有ったのだろうか。


「えー。夜くらい、ボクと久居の二人きりでいいのに……」

リルが小さく文句を言っている。

おそらく、もうすぐ復活する菰野を意識してのことだろう。

菰野が戻れば、もう久居は菰野の傍を離れなくなる。

こうやって一緒に過ごせるのも残りわずかだと、リルは分かっていた。

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