32話 変態登場(中編)

翌朝、朝日と共にやってきた天使は、それを見て真っ青になった。


空竜が翼で日陰を作っていたその下には、血溜まりがあった。

むせ返りそうな血の臭いの中で、血まみれになったリルとカロッサが目を閉じているのを見て、レイは叫んだ。


「カロッサさん! リル!」


間近で叫ばれて、ごそり、とカロッサが眉を顰めてみじろぎをする。

その瞬間、レイは彼女が生きていてくれたことを神へ感謝した。

ゆっくり瞼を開けたカロッサが、レイを見上げる。

「あ……レイ君、おはよう……ごめん、寝ちゃってたわ」

「カロッサさん! お怪我は!?」

カロッサは一瞬キョトンとした顔をして、血だらけの自分の手足を見てから、

「ああ、うん。怪我は無いわ、大丈夫よ。この血は……」

と、膜の中へ視線を移す。


「久居……」


そこには、身体中の血を流し尽くしたような、血の海に沈む久居の姿があった。


昨夜、リルと久居の二人は帰ろうとするレイを引き留めた。

それはやはり、不安だったからだろう。

こうなる事を恐れていた二人を、俺は非情にも振り切った、その結果が……。


唇が震える。

レイには、自分が久居を見殺しにしてしまったのだと、そう思えた。

リルは……、リルは怪我をしていないのだろうか。

そうだ。それに……。


「……カロッサさん、環は――」

「リル君が持ってないかしら?」


空竜の尻尾にしがみつくように、うつ伏せで寝ているリル。

すやすやと幸せそうな寝息を立てているが、怪我はないのだろうか。

背面には傷はない。

尻尾から引き剥がすようにして、くるりとひっくり返すと、リルはその全身にべったりと血飛沫を浴びていた。

が、服には一つも焦げや穴はない。

その左腕に腕輪が二つあるのを確認して、レイは胸を撫で下ろした。


余程近くで久居がやられたのか、いや、違うな。

久居は多分、リルを庇って傷を受けたのだろう。


しかし、こんな状態になっても、あの鬼から環を守り抜くなんて、二人は一体どういう戦い方をしたのか。

レイにはさっぱり見当がつかない。


「二つとも、無事です」


「そう、良かったわ。腕輪も、リル君も、私と空竜の事も、全部、久居君が守ってくれたのね……」

そう言って、カロッサは膜の中で目を閉じたままの久居を見た。


レイの目にも、久居の失血は激しい。治癒には高位の治癒術者が必要だろう。

昨日、移動中に久居から、久居の主人の治癒協力の相談を受けたときにも、もう一人治癒術者が居れば助かると言われたが、残念な事にレイには紹介できそうなツテがなかった。


久居の驚異的な治癒術は、その主人を治癒するために身に付けたのだと言っていた。


ほんの三年であれだけの技術を身に付けるには、おそらく血の滲むような……いや、比喩じゃないな。

治癒実技の為なら、久居は自分の体など容易く切り刻んだのだろう。


昨日、久居が印を落とした時の、あの落ち着きぶりが、ようやく今になって当然の事だったのだと気付く。


……なのに……。お前が倒れてどうするんだよ――。


知らず力が入って、レイの奥歯が小さく軋んだ。


「……っ、久居、すまない。俺が昨日残っていれば……――」

レイが不意に言葉を失う。

残っていれば、何か出来ただろうか。

夜の闇に囚われて、動けずにいるだけでは無かっただろうか。

リルの力を借りれば、本当に天使でも夜闇を動けると言うのか?


少なくとも、今までレイは、そんな話は噂程度にも聞いたことがなかった。


「後悔しても仕方ないわ、相手も分かった上で夜に来たんでしょうから。

 それより、これからのことを考えましょう」

カロッサが立ち上がり、服を払う。が、べったりついた血は、泥や埃とともに固まっている。

「私達、昨夜は夕食も食べてなくてね。お腹も空いてるんだけど――。

 ……まずは、水浴びがしたいわ……」

と、カロッサが力なく笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る