31話 火柱(中編)

「!!」

カエンの顔色が変わる。

五匹の蛇を総動員して、カエンは自身を包むように周囲に炎の壁を作る。

轟々と燃え上がる強力な炎の渦に、久居は数歩後退ったが、その表情は変わらなかった。

「がっ……あ゛……ぐぅっ!」

炎の渦の中から、酷く苦しげなカエンの呻きが漏れる。


程なくして、炎の渦が消えると、そこにはカエンが地に伏していた。


「な……にを……」

彼は両手両足を動かせないらしく、顔だけで久居を見上げる。が、その表情には驚愕だけでなく、恐怖がありありと映っている。


「環の力は、貴方もご存知でしょう?」

久居は残り二人の反撃を警戒しながら、カエンへとゆっくり歩を進める。

だが、あまりに急な主の敗北に、一人は吹き飛ばされた場所で、もう一人はその場で立ち尽くしたまま、動く気配はない。


「ゔ……ぁ……」


見ただけでは分からなかったが、久居がもう一度環を使ったらしく、カエンがさらに生気を失う。

久居としては、両手足を潰しても、鬼はリルのように体のどこからでも炎が出せるはず。と思ってのほんの少しの追加攻撃だったが、やはりこの環は力に溢れていて、調節が難しい。


「少しやり過ぎてしまったでしょうか。治癒をお願いできますか?」

久居が大男に視線を送る。


「お前は、一体……」

大男は、その浅黒い肌のせいで分かり辛かったが、どうやら青ざめているようだ。

負けるはずがないと思っていたのだろう。

あまりに信じられない光景に、まだ事実を受け入れられずにいた。


「貴方の主人が、亡くなりますよ」

もう一度言われ、大男が駆け寄り治癒を始める。

久居は内心ホッとした。

負けてしまった主人など、と切り捨てられてしまえば、自分が治す他なかった。


「久居……もう終わったの?」

背中から、おそるおそるかけられた声。

「もうしばらく、炎を維持してください」

「う、うん。わかった」


まだ動ける鬼が二人。

長身の男は動かないだけで、動けないわけではないはずだし、大男にいたっては無傷だ。


リル達は、しばらく額に汗を浮かべて治癒に励む大男を黙って見ていたが、カエンの状態は中々良くならない。

「……ダメだ。私の技術では延命がやっとだ」

絞り出すような大男の言葉。

久居にとってはちょうど良い塩梅だった。


「カエンさん、意識はありますね?」

仰向けに寝かされていた男が、視線だけで久居を見上げる。その瞳には先程までの溢れるような自信はなく、目前に迫る死への恐怖に染まっている。


「貴方が、もう私達に関わらないと約束するなら、命だけは助けましょう」


コクコクと、必死にカエンが動かせる精一杯で答える。


「貴方も、分かりますね?」

久居が大男を見据えて言う。

「分かった。誓おう」

大男が片手で見慣れない印を切る。誓いの仕草なのだろうか。


「リル、刀に炎をお願いします」

久居の手に、スラリと長い結晶が生まれる。

「何を!?」

大男が驚きと怒りの混ざった声を上げる。


リルが刀に炎を宿すと、久居が冷酷に告げる。

「手足は、完全に凍っているので落としますね。

 そうすれば、死ぬことはありません。

 手足は後ほどゆっくり治してください」


「……っ」

その言葉に、治癒をしていた男も実感から納得ができたのか。渋い顔をして後ろに下がる。


「リルは後ろの男を見ていてくださいね」

久居の小さく囁く声が驚くほど優しくて、リルは慌てて後ろを向いた。


両腕と脚は、凍りついていたせいか、炎を纏う刀で焼き切られたせいか、一滴の血を流す事もなく離れた。

おそらく痛みもほとんどなかったのだろうが、カエンの恐怖は相当だったのか、ひとつ、またひとつと切り離される度、声にならない声を上げていた。


続けて、久居がもう一つの環で凍えた臓器を温める。

「あとは治癒をお願いしますね」

さらりと振られて、大男が主人に駆け寄った。


久居は心の隅で、主人に駆け寄る事が許される大男を羨ましく思いながら、それに気づかないフリをして背を向ける。


「リル、少し離れましょう」

大男と入れ替わるかのように、久居がリルの手を引いて足早にその場を離れる。

「え、うん、え? なんで?」


スタスタと歩く久居に引っ張られるようにして、リルが長身の男の吹き飛ばされた方へ向かっていると、背中から断末魔とでも言えば良いのだろうか、魂に恐怖を刻み付けられた者の叫びが上がる。

ようやくカエンが声を発せる程度に回復したらしい。

狂ったように叫び続けるその声が止むまで、リルの両耳は久居の両手でガッチリ押さえられていた。


「怖い思いを、させてしまいましたね」

久居のしょんぼりした声。

「そんな事……」ないよ、と言いかけて、やっぱりやめる。

リルは今も酷く怯えていた。

「うん。怖かった……」

小さく呟いた声は、自分でも驚くくらい震えている。

怖かった。でも、怖かったのはカエンじゃなかった気がする。

みんなが怖がってたのは……。


久居をチラと見上げると、心配そうな顔でリルを見ている。

きっと、リルの震える声にも肩にも、気付いていて、それを申し訳なく思っているんだろう。

久居の手が、そっとリルの背を宥めるように撫でる。

「……でも、大丈夫だよ」

ぎこちなく笑顔を見せると、久居がホッとしたのが分かった。


(あんなに皆を怖がらせて、全然平気そうにしてるのに。久居はいつも、ボクを傷付ける事を凄く怖がってるんだよね……)


久居の黒い瞳を見る。真っ黒で、奥が少しだけ赤い、不思議な色。

「リル?」

久居がまたその瞳に不安の色の浮かべる。

それがなんだかおかしく思えて、リルは笑った。

「大丈夫!」

震えは、いつの間にかおさまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る