26話 縛るもの(後編)

それは一体どういう状態なのだろうかと思案顔の久居に、リルが補足する。

「なんかええと、拐われちゃって、しっぱいしたーって。やっちゃったーーって。床……じゃないや、ベッドかな。で、ごろんごろんしてる……」

ごろんごろんの方は置き換えられなかったものの、久居にも状況が理解はできた。

「近くに見張りはいないんですね」

「うん居ないみたい」

カロッサは、誰にも見られていない前提で、自分の失態にのたうちまわっているようだ。

それを、偶然とはいえ耳にしてしまい、久居は胸中でそっとカロッサに謝った。

「結界の中の音って、ちょっと聞こえにくいね。空からの方がまだ聞こえたなぁ」

リルの言葉に、それだけ聞こえれば十分だと思いながら、久居が尋ねる。

「カロッサ様はどのくらい聞こえるのでしょうか」

「フリー達と同じくらいなら、ここから呼べば聞こえるかなぁ?」

すぅ。と息を吸いかけたリルの口を久居が慌てて手で塞ぐ。

「明日、やってみましょう」

久居の言葉に、リルが口を塞がれたままコクコクと頷く。

カロッサは無事な様だし、天使が朝にしか来られない以上、今夜できるのはここまでだろう。

久居は手をそっと離すと、リルに告げる。

「今夜はこの辺りで、朝まで待機することにしましょう」

久居が城に背を向け、後に続くようにリルも城へ背を向けた時だった。


「誰か来る!」

リルが壁の方へ振り返ろうとするのを久居が引き寄せ、城から跳び離れた。空竜が着いて来ているのを確認しつつ、茂みに突っ込む。と同時に気配隠しの術を発動させる。

少しして、五メーターほどもある壁の上に立ったのは、昨日の長身の鬼だった。

「あれ? もう来たのかと思ったのになぁ」

橙色の髪をなびかせて、男がキョロキョロと辺りを見回すと、左側で橙色の細い三つ編みが揺れた。反対側には薄黄色のツノも二本、城の中では出しっぱなしなのだろう。

男は、誰も居ないことにがっかりした様子で、壁の外へストンと身軽に着地する。が、顔をしかめ、左肩を押さえた。

「いちち、まだ治ってねぇなこれ」

「居ないのか? まあ、まだ流石に来るには早いだろう」

その後ろから、褐色肌の大男もヒョイと壁を乗り越えてくる。少なくとも壁の厚みは大男の体重を優に支えられるだけはあるらしい。

「お前、まだ治せてないのか」

肩を押さえて蹲み込んだ同僚を見下ろして、大男がため息をつく。

「俺は治癒とかそーゆーみみっちーのはやんねーんだよ!」

口を尖らせて言う長身の男。

「やらない、ではなく、やれないのだろうが」

と大男がため息を挟んで続ける。

「お前が頭を下げて頼むなら、治してやってもいいぞ?」

「けっ、だーれが頼むか! ってかカエン様はなんで俺ばっか刺すわけ? お前も同罪だろ?」

「俺も十五は刺されたが。まあ、お前は痛い痛いと騒ぐからな。主もつい面白くなるんだろう」


久居は、息を潜めて二人の会話に耳を澄ませていたが、あの男の左肩に傷を負わせたのが自分で無いと知って納得する。覚えている限り、昨夜の時点で左肩に負傷はなかった。

それと同時に、カエンという鬼がウィルから聞いた通りの男だと確信する。

「あーもーやってらんねぇわ。帰って寝よ。自然治癒だ、自然治癒!」

長身の男が半ばヤケクソに叫んで壁の向こうへ姿を消す。

「そんな状態で戦えるのか?」

同じく壁を飛び越えた大男の言葉に

「うっせー。あ。あの黒髪のやつは俺がやるからな。お前は手ぇ出すなよ」

と釘を刺す長身の男の声が聞こえる。

「俺はかまわんが、アレは人間だろう。潰したところで主はさほど評価せんと思うがな」

「いーんだよ! あのムカつくヤローは俺がギタギタに刻んでからぶっ殺す!」

「……好きにしろ」

もう久居の耳には大男のため息までは聞こえなかったが、リルは二人の会話が完全に聞こえなくなるまで耳で追ってから「もう大丈夫だよ」と告げた。


あの二人だけでも十分手強いというのに、今回はさらにもっと強い鬼が一人か二人増えるというのだから、たまらない。と久居は思う。

(やはりここは、あの天使さんのお力をお借りする方が良いですね)


久居もリルも、今夜はなるべくしっかり休むよう心がけつつ、カロッサの声がギリギリ聞こえる範囲に野営の支度をした。


----------


一方こちらは、カロッサの捕えられた部屋。

落ち着いた調度品に囲まれた客間の壁際に、大きな天蓋付きのベッドが設えてあった。

カロッサは、人が一人で寝るには大き過ぎるベッドの上で、これまた大き過ぎる枕を抱きしめていた。

のたうちまわっては、しばらく落ち込み、また自分の不甲斐なさにのたうちまわるという生産性のない行為を、カロッサは延々繰り返している。


(あーーーー!! いつまでも家にリル君達が戻ってくるビジョンが見えなかったのは、こーーゆーーわけねぇぇぇぇぇ!!

 私が……私が誘拐されるとは……。しかも、家燃やされちゃうなんて!!

 なーーーーーんで見えなかったかなぁ!!

 私のバカ! アホ!! マヌケ!!!)


どんなに修行しても、私じゃ御師匠様(せんせい)のようにできない。地力が違うことは、カロッサにも痛いほどに分かっていても、努力する他の選択肢などは無かった。

こんなに毎日毎日、一日だって休まず修練を重ねてるのに。

それなのに、まだまだ全然足りない。

カロッサは、途方に暮れる。

「どうしたらいいの……」

あの二人に、危険を伝えられなかった。

それどころか、私を助けになんて来たら、もっと危険な目に遭ってしまう……。

「もう……こんなミス絶対しないはず、だったのに……」

震える声。

枕に顔を押し付けて、弱音は全部、涙も全部、枕の中に。

カロッサは、今までもずっとそうしてきた。

あれから、御師匠様に拾われてから、もう何年経ったのだろうか。

カロッサの心は過去へと飛ぶ。

ヨロリに拾われてきた頃のカロッサは、言葉も知らず、愛情も知らず、人らしい生活をまるで知らなかった。

ヨロリは、そんなカロッサに辛抱強く、食べ物の食べ方や服の着方、言葉も愛情も全てを教えてくれた。


不意に連れ出された見知らぬ場所で、怯え戸惑い、呻ったり引っ掻いたりすることしかできなかったカロッサを。

ヨロリは一度も縛り付けなかったし、叩く事もなかった。

それがカロッサには、とても信じられなかった。


当時、犬食いしか出来なかったカロッサと、ヨロリは食卓を共にしてくれた。

そのうち、スプーンを手に握らせてくれて、手を添えて口元まで運んでくれた。

お湯を怖がるカロッサは、お風呂に入れるようになるまでも、ずいぶんかかった。

ヨロリは当時既にお爺さんのような姿をしていたが、意外と力は有って、ヨロリとそう大きさの変わらないカロッサを、抱き抱えて一緒に湯船に入ってくれた。


石にひとつずつ字を書いて、まだペンをうまく握れなかったカロッサが並べ替えて言葉を並べられる様にしてくれた。

カロッサに、可愛い服を作ってくれた。

甘いおやつも作ってくれた。

寝る前に絵本を読んでくれた。

歌を歌ってくれた。

カロッサに名前を付けて、優しく呼んでくれた。


カロッサは、そんなたくさんの数え切れない思い出に支えられて、生きていた。

いつだって、カロッサは御師匠様に、感謝してもしきれないと思っている。


(御師匠様は、そんなこと気にしなくていいって笑ってくれるけど。それでも私は、私を拾ってよかったって、これは良い物を拾ったって、御師匠様が思ってくれるような自分になりたいのに……)


「ーーっ……」

カロッサはこれから起こりえる事への恐怖に息を詰める。

(どうしよう……。私が不甲斐ないばっかりに、もし、クザンとリリーの大事な子が、死んでしまったら……。あの人間の子だって、とっても良い子なのに……)

カロッサの胸に、無邪気なリルの笑顔と、真面目そうな久居の姿が過ぎる。

二人とも、制御の練習を頑張っていた。

そこへ、二人に制御をろくに教えなかったずさんな師匠(クザン)の姿が過ぎる。

(だいたい、クザンもクザンよねっ!? なんで本当に助けに来ないわけ!?

 いや、御師匠様もクザンじゃダメだって言ってたけど、でもあの二人じゃ本気の鬼には勝てないでしょ!?)

カロッサは怒りのままに枕を両手でボスンボスンと殴りつける。

そのうち「あーーーっっ! もーーーーっっ!!」と叫んで枕に頭から突っ込んだ。

(……とりあえず落ち着いてもう一回先見しよう)

カロッサが、やおら起き上がる。

呼吸を整えて、細く長く息を吐き、背筋をピンと伸ばすと目を閉じ、意識を集中してーー………………力尽きた。


「ダメぇぇぇぇ何にも見えないぃぃぃぃぃ」

そして枕をまたガバッと抱き込むと、ベッドにダイブする。

(あー! もー!! どうしてこういう肝心なときにビシっと見えないのよぅぅぅぅぅぅ!!)


カロッサは、まだこの後も長い間、ごろんごろんしていた。

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