15話 力(前編)

久居は内心激しく焦っていた。

リルは間違いなく、怒りに心を囚われている。

これでは、あの時の二の舞になりかねない。

焦る気持ちを必死に押さえ付け、縄を切ることに注力する。

それでも、早く、早く、と思う気持ちは、消しきれなかった。


「お前……縄はどうした……」

ゆっくりと近付いてくる少年に、金髪の青年はどこか怯えるように尋ねた。


「……」

しかし、少年から返事はない。

まだ幼く見える少年は、まるで光を映していないような虚な瞳で、じっと金髪の男を見た。


少年が一歩進むと、青年は思わず一歩後退った。


青年は、そんな自分を誤魔化すように、コートの男へ指示を飛ばす。

「お、おい! あいつらをもう一度拘束しろ!!」

言われ、猫を踏んだ男が動き出す。

それは、あの日久居に捕まっていた男だった。

「解けないよう、しっかり縛れよ!」

リルに駆け寄った男へ、金髪の青年が言う。

「ああ、刃物を持ってないかもう一度調べ……」

「うあっっ!!」

リルに手を伸ばした瞬間、男の手元でジュッと音がした。

火のついたものを水に突っ込んだ瞬間のような、そんな音と共に、男の指は失われた。

「と……、融けて……る……、っっぁ……っ手が……っっ」

男が眼前に引き寄せた、自身の手は、もうとても手と呼べるようなものではなかった。

「ああああああああああああ!!」

男から、まるで断末魔のような叫びが上がる。

恐怖に染まった絶叫に、何が起きたのか把握できず、金髪の男達は戦慄した。


尋常でない叫びに、力なくうなだれていたクリスが顔を上げる。

そこには、捕らえられていたはずのリルが、コートの男に向かい合うようにして立っていた。

コートの男は、なぜかリルを前にして、その場にへたり込んでしまう。

(リル……?)


「……クリスは……、牛乳の事、すごく大事にしてたんだ……」

リルは、クリスとの会話を思い起こす。


『牛乳は、いつもクリスにべったりだねー』

クリスの頭の上に乗る牛乳を見上げて、リルが声をかける。

牛乳はクリスの肩におりて、クリスの頬におでこを擦り付けた。

『小さい頃からずっとこうなのよ。私にとっては家族みたいなものね』

クリスは嬉しそうに目を細めて、そう答えた。


「それを……」

リルは、へたり込んだ男にもう一歩近付く。

「あ……。ああ……」

コートの男はガタガタと音を立てて全身を震わせている。

「それを……」

暗い怒りの篭ったリルの声に、耳元で揺れる赤い石が震える。

石から、ピシッと小さく亀裂が走る音がした。


「リル!! 相手は既に戦意喪失していますっ!!」

やっと縄を抜け、久居が叫ぶ。

しかし、リルには届いていないのか、リルはもう一歩、男へ近付いた。

「ーーっ!!」

久居の脳裏に、葛原の最後の姿が過ぎる。

(リルにこれ以上、無自覚な殺生をさせるわけには……)

久居は焦りを滲ませながらも、心を決めて両手を構えた。

それと同時に、リルの怒りが炎となって溢れ出す。

ゴオッと炎に煽られ、二つの赤い石に大きく亀裂が入る。

瞬間、久居は揃えた両手から力を放った。

コートの男は、引き攣るような悲鳴を短くあげて、両腕で顔を覆う。


パキン。と、リルの傍で悲しい音がした。


(あ……れ……?)

その音に呼び戻されるように、リルの瞳にじわりと光が戻る。

リルの足元へ久居の放った力が届くと、地面が崩れ、リルが足を取られる。


(耳元で何か、割れた音……)

リルの体はガクンと傾き、リルが全身から放った炎は、男をわずかに掠めて過ぎた。


(何が、壊れた……?)

リルは音の元へと視線を移す。

そこには、砕けた赤い石のカケラが、サラサラと粉になって舞い散っていた。

(お母さんの、赤い石……ーー)

リルの目から、涙が溢れる。


ドサッと地に倒れたリルへ、久居が駆け寄る。

「リル!!」


それ以外の全員が、湯気を上げて煮えたぎる地面だったはずの場所を見ていた。


(何……これ……。……融けたって言うの……?)

クリスは、驚愕と同時に底知れぬ恐怖を感じる。

(地面が!?)


コートの男は、自身のすぐ隣の地面がボコボコと音を立てて煮え、弾ける様に、全身を粟立たせた。

「う……うああああぁぁあああぁぁ!!!」

腰が抜けているのか、へたり込んだままに、男は必死で後退った。


「リル!」

久居はリルを助け起こそうと手を伸ばしたが、体を包む炎に炙られ、阻まれる。

(力の放出が途絶えていない。まだ意識が残っているのですね?)


「う……ん……」

リルは、久居の推測に応えるように、自力で体を起こした。


久居は、クリスの様子をうかがおうと顔を上げる。

リルもそれにつられて顔を上げかけて、やめた。


男達は、リルと目が合いそうになると、クリスを掴んだまま、後退った。


((あの陽炎は……))

と、クリスと、金髪の青年が同時に気付く。

二人は、あのフードとローブの少年がその陽炎を纏って炎を操る姿を見た事があった。


「お前……まさか」

金髪の青年が、ゴクリと言葉を切って、続ける。

「……鬼とか言う、悪魔の仲間か」

その言葉に、男達の間に緊張が走る。


「あいつと……同じ……?」

クリスが震える声で零した小さな呟きは、リルの耳にだけ届いた。

「クリス……」

リルの表情が悲しみに染まる。

そんなリルを庇うように、久居はリルの前に立ち、大きく息を吸い込むと男達へ向けて叫んだ。

「命が惜しくば、今すぐ去りなさい!!」

凛とした声を響かせて、久居は大きく腕を振り、退路を示す。

男達は、それに導かれるように、一斉に逃げ出した。


「お、お前達!!」

クリスを捕まえていた男までもが逃げ出し、慌てる金髪の青年。

その肩を、久居がしっかり掴む。

「あなたには、腕輪を置いていっていただかないと……」

ぐい、と手首を腕輪ごと掴まれて、青年が声をあげる。

「何をする!!」

久居は、抗う青年の瞳を覗き込んで、低く囁いた。

「それとも、命ごと置いて行かれますか?」

死を眼前に突きつけられ、顔色を変えた青年の震える手首から、久居は腕輪を取り上げる。

掌からもうひとつ腕輪を取り上げた久居が、その手を離してやると、青年は脱兎の如く逃げ出した。

「覚えておけ!!」

青年の月並みな捨て台詞を聞きながら、駆け去る後ろ姿を久居が見送る。



「リル……」


クリスの呟いた小さな声に、リルはおそるおそる振り返る。

少女は、酷く青ざめた顔をしていた。

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