第71話 泡沫の夢

 熱に魘されていたスタンフォードは朦朧とする意識の中、メイドであるリオネスを呼んでいた。


「……リオ、ネス……いない、のか……」


 しかし、いくら呼んでも傍にいるはずのリオネスは返事をしない。

 転生してから風邪などかかったことのないスタンフォードは、久方ぶりの熱に魘される感覚に苦しめられ続ける。


「……くそっ」


 意識は朦朧としていて、段々と視界がぼやけていく。

 身体が熱い、息苦しい、何も考えられない、楽になりたい。

 無限にも感じられる時間の中、ついにスタンフォードは意識を失った。


「ここは、どこだ……?」


 目を覚ますと、そこは薄暗く散らかった部屋だった。

 床には食べ終わった菓子の袋やペットボトルなどが転がっており、液晶モニターは付けっぱなしになっていた。

 画面内では、広大なフィールドの中でプレイヤー不在のキャラクターが今か今かと再始動の時を待っている。


「僕の、部屋……だよな?」


 その光景には見覚えがあった。

 前世で過ごしていた実家にある才上進の部屋。

 会社を辞めてからはほとんどの時間をこの部屋で過ごしていたのだ。見間違うはずもない。


「そっか、風邪引いたんだっけか……」


 長年の不摂生のツケが回ってきたのだと、進はため息をつくと再び眠ろうとベッドに戻ろうとした。

 そのとき、部屋のドアが控えめにノックされる。


「進、大丈夫?」


 部屋に入ってきたのは、進の姉だった。


「ねえ、さん?」


 昨日も見たはずなのに、姉の顔を見た途端に進は何故か懐かしさを感じていた。


「風邪引いたみたいだけど、まだ熱あるでしょ。あの人達は面倒なんて見てくれないから辛かったんじゃない?」


 進の姉はコンビニで買ってきたスポーツドリンクやゼリー飲料をテーブルの上に置きながらため息をつく。


「ったく、成人してるとはいえ、熱出して寝込んでる息子置いて友達と優雅にランチとか、雀荘に行ったりとか、ホントしょうもない連中よね。出かけるならおかゆの一つでも作ってけっての」

「しょうがないよ。あの人達にとって僕は恥でしかないんだから」


 自分は社会に馴染めなかった不良品だ。両親にとっては恥ずべき存在でしかない。

 誇れるものなんて何もない。

 自分は無価値なゴミだ。

 身体が弱っていることもあり、現在の進は思考も沈みがちだった。


「そんなことないわよ。前にも言ったでしょ、進はまだやりたいことが見つかってないだけだって」

「……気休めはやめてくれよ」


 進の姉はいつだって優しい。

 優しいからこそ、進はその言葉に甘えてしまっていた。


「ニートの弟なんて恥ずかしくて当然だ。養ってもらってる身で偉そうなこと言えないよ。やりたいことなんて見つかる気もしない。今の僕はただ逃げてるだけだ」

「別に逃げたって――」

「よくないよ。逃げ続けてるだけじゃダメなんだ」


 不思議な気持ちだった。

 何かを成し遂げたわけでもないのに、自然とそんな言葉が出てきたのだ。


「僕はもう逃げたくないんだ。立ち向かいたい」

「そっか」


 そんな進の言葉を聞いた進の姉は、自分の言葉を否定されたというのに嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「あっ、BESTIA BRAVEもうこんなに進めたんだ」

「えっ、BESTIA BRAVE?」

「うん、前に貸したハート終わったからブレイブの移植版自分で買ってたじゃない」


 進の姉がつけっぱなしになっている画面を指さす。

 そこには、スタンフォードが操作キャラになっており、パーティには主人公であるブレイブ、ポンデローザ、コメリナがいた。


「スタン先生にポンちゃんパーティで使えるようにするの難易度高いのにすごいね。高難度クエスト必須のコメリナの育成までしっかりしてるし、ガチガチのパーティじゃない」


 進のプレイ画面を見た進の姉は感心したように頷いていた。


「ホント、進ってゲームセンスあるよね。普通、攻略情報もなしにこんなガチパにならないでしょ」


 呆れつつも進の姉はどこか嬉しそうな表情を浮かべる。


「無我夢中だっただけだよ。ゲームを進めていくときに必要だと思ったから頑張ったってだけで、難易度が高いなんて思ってないって」

「自然にそういうことができるのをセンスあるって言うのよ。本当にすごいことだから、もっと誇りなさい」


 進は不思議な気持ちになっていた。

 ただゲームを効率よくプレイしていただけのはずだ。

 それなのに、姉の誉め言葉には違う意味が含まれている気がしたのだ。


「レベリングもすごいしてるし、学園祭イベントも楽勝ね」

「学園祭イベント?」

「忘れたの? ハートの方にもあったでしょ。スタン先生の負けイベント」


 進の姉のいう通り、BESTIA HEARTはクリア済みのはずだ。

 だというのに、一向に記憶からはプレイしたときの記憶が蘇ってこなかった。


「負けイベント?」

「うん、だって主人公が勝たなきゃストーリー進まないんだから、視点を逆にしたら負けイベントになるでしょ」


 進の姉はさも当然のように告げる。進も姉の言葉は当たり前のことのように思えた。

 それでも、どこかでスタンフォードが絶対に負けることに納得できない自分がいた。


「……スタンフォードが主人公に勝つ方法ってないのかな」

「ハートの方はそもそもシナリオゲーだし、ブレイブの方にもスタン先生が勝てる設定はされてないみたいだよ。バグ技でキャラクター切り替えたままイベント戦行く方法は出てたけど」


 進の言葉に悩まし気に答えると、進の姉は思い出したかのように告げる。


「てか、熱下がるまではゲームはほどほどにしなよ。それとお粥作っておいたから後で食べておきなさい」


 それだけ告げると、進の姉は部屋を出ようとする。

 それを進は慌てて呼び止める。どうして言わなければいけないことがあったからだ。


「姉さん!」

「何?」



「ありがとう」



 どうしても伝えたかった言葉。それを伝えるのと同時に薄暗かった部屋が眩い光に包まれ始める。

 進の言葉に笑顔を浮かべた進の姉は、光に包まれながらも進へ告げる。


「進、あんたならきっと大丈夫。だって今のあんたには心強い仲間が付いてるもの」


 視界の全てが光で溢れ何も見えなくなる。

 再び目を覚ますと、そこは日本の実家ではなくルドエ領で寝泊まりしている部屋だった。

 不思議と体が軽い。

 先ほどまで高熱に魘されていたはずだったというのに、どういうことなのか。

 唐突に体調が回復したことで、怪訝な表情を浮かべていると部屋に誰かいるのを感じた。


「姉、さん?」

「ん、スタンフォード君。起きたんだ」

「あ、ああ、ラクーナ先輩か……いや、何で先輩がここに?」


 一瞬、前世の姉がいるように見えたが、目を擦ってよくよく見てみればそこにいたのはマーガレットだった。


「何かリオネスさんに面会謝絶って言われちゃったから、ポンちゃんが引き付けてる間に看病しに来たんだ」

「あいつは何やってるんだ……」


 スタンフォードはランダムイベントが発生する可能性については、ポンデローザから聞かされていた。

 休暇中のみ発生する看病イベントについても、存在こそ知っていたがまさかルドエ領にいる間に発生するとは思っていなかったのだ。

 ポンデローザがわざわざリオネスを引き剝がしてまでマーガレットを向かわせたのは、イベント絡みだからだろう。

 現にあんな高熱が一瞬で治ることなど、原作の修正力絡みでなければあり得ない。


「でも、治癒魔法が効いたみたいで良かったよ」

「治癒魔法って風邪の類には効かないはずじゃないんですか?」

「私もそう思ったんだけど、ポンちゃんが大丈夫だって言うから試してみたの」


 マーガレットは心底不思議そうに首を傾げていた。

 その様子を見て、またポンデローザが特に説明もせずに一人で動いているのだとスタンフォードは呆れたようにため息をついた。


「とにかく、ラクーナ先輩のおかげですっかり元気になりました。ありがとうございます」

「熱が下がっただけだから、まだ無茶はダメだよ。忘れてるかもしれないけど昨日は死にかけたんだから」

「あはは……そうでした」

「それじゃ、私はそろそろ行くね」


 ルーファスの一撃を受けて致命傷を負ったときも治癒魔法で助けられたのだ。

 その後、高熱を出したのだから安静にした方が良いに決まっていた。


「あっ、一応お粥作っておいたから後で食べてね」


 部屋から出るとき、最後にそれだけ告げるとマーガレットは去っていった。


「ん、何か忘れているような……?」


 マーガレットの言葉で何かが引っかかった気がしたスタンフォードだったが、何が引っかかっているのかはついぞ思い出すことはできなかった。

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