ずっと カヌキさんとミヤコダさん

 7月



 湿気をはらんだ夏風が吹く。

 ごく薄く潮の匂いがするのは、この街が太平洋岸にあるからだ。

 梅雨が明けて、夏の暑さが本格的に街を襲う。クマゼミがシャンシャン鳴いて騒々しい道を、並んで歩く二人の影は濃い。

 強い日差しを避けるために、カヌキさんは帽子を被っていて、ミヤコダさんは日傘をさしている。

 行き先は二人の通う大学。


「じゃ、また後で」

 大学の校門から学食や生協の入っている建物を抜け、カヌキさんは理学部棟へ、ミヤコダさんは人文棟へとそれぞれ向かっていく。

 ミヤコダさんは、留学後、大学院に編入することになった。単位認定やら編入試験やら、帰国後にのんびりする暇はほとんどなかった。


「ミヤ」

「おはよ、アライ」

 ミヤコダさんをミヤと呼ぶアライさんは研究室こそ違うが、同じく人文学部の院生なので、よく顔を合わせる。マニッシュなアライさんと、フェミニンなミヤコダさんが二人で並んでいると絵になるので、人文学部の一部女子学生たちには尊ばれているらしい。が、

「アライ、あんた酒臭い。二日酔いでしょ」

「ミヤと違って、アルコール分解の特殊能力スペシャルスキルなんて持ってないもん」

「わたし、お酒は嗜む程度よ」

「一晩で一升瓶を飲み干すのは嗜むとは言わんわ」

 傍目には分からないが、この二人の会話は大抵は碌でもない。

「あ、カヌキさんがアライにそろそろ遊びに来いって。別に来なくていいのに」

「予定空けとく。ミヤがいない日にお土産持って行くって言っておいて」

「殺すわよ」

 ミヤコダさんは、美しい笑顔をアライさんに見せながら殺意を突き付ける。

 カヌキさんをネタに物騒な言葉が飛び交うのも日常茶飯事。


 カヌキさんはカヌキさんで、真面目に学生生活を続けている。

 お堅い『委員長』ことカヌキさんが目を光らせているおかげで、化学科のフロアでは、実験室で器具を雑に扱う学生や、講義室でうるさく騒いでいる学生は少ないとの評判だ。ただし、自分のあだ名が『委員長』だということを、当のカヌキさんは未だ気付いていない。

 また、男子学生の多い理学部では、カヌキさんは目立つ存在ではあるものの、『委員長』は実験馬鹿で恋愛に興味がなく、告白しても無慈悲なまでに無碍にされるというのが定説となっており、恋愛対象としては遠巻きにされている。

 なお、こうした『委員長』伝説は、カヌキさんと同じ学部だった親友の吉原さんが、卒業前に後輩たちに流した噂が発端になっているのだが、吉原さんに噂を流すようにお願いしたのが、ミヤコダさんだったことは秘密である。


 そんなこんなで、結局のところ、二人はおおむね仲良く大学生活を続けている。おおむねというのは、ミヤコダさんの酒量のことでカヌキさんがお小言を言ったり、カヌキさんのホラー映画愛にミヤコダさんが拗ねたりして、ちょいちょい揉めるためである。

 いずれにしろ、さしたる喧嘩にもならない瑣末なこと。


 きっと二人は、そのまま歩んでいく。



 今日は、ミヤコダさんが先に帰ってきて夕食の支度を済ませている。そこへカヌキさんが帰って来た。


「ただいま」

「お帰り。ご飯あるよ、スーパーのお惣菜だけどね」

「たまには何か作って下さいよ」

「あらー残念、今日はたまの日じゃないのよね」

まったくもー、とカヌキさんはブツブツ文句を言いながらも食卓に着く。

「あ、来月の14日の土曜日に都合が付いたって吉原から連絡があったから」

「良かった。これで久しぶりに人が揃う感じね。ニトウとモリにも伝えとく。」

「揃うのは架乃かのの喜寿のお祝い以来」

「喜寿じゃなくて、あれ20歳の誕生祝いだったんだけど」

「はははっ、あなたが20歳になったのは55年前でしょ。20世紀?昭和?私、生まれてないよ」

!あなたまでそれを言うかな!!」

 ミヤコダさん界隈では定番の老け顔いじりは、この家にもしっかり波及している。


「そんなことより、深弥!」

 ん?と食後のお茶を飲みながらカヌキさんが首を傾げる。

「明日は、あなたこそ誕生日よね」

「ん?」

 そこでカレンダーに目をやるカヌキさん。自分のことには無頓着なので、明日が自分の誕生日だということを忘れていた様子だ。

「あ、ホントだ。忘れてました」


「…遂に、遂によ!初めて、あなたの誕生日を一緒に過ごせるの」

「ふーん。盛大にお祝いしてくれなくても、いつもどおり普通の一日で構わないですよ」

 拳を握って力説するミヤコダさんとどうでも良さそうなカヌキさん。そういえば、誕生日当日に祝えないからって土下座してたことがあったな、とカヌキさんはいつかの誕生日を思い出す。どうにも、カヌキさんの誕生日に対する二人の温度が違いすぎるらしい。

「だって法律的に22歳が23歳になるだけだし」

「法律的には今日で23歳だから、ってそんなことはいいんだって。明日はお祝いするからね」

「はーい。そんなことより♪」

 カヌキさんは、ミヤコダさんとの会話を打ち切って、いそいそと視聴覚室兼居間へ移動する。

「もう、また映画ぁ?」

「はぁ、他に何があると思うんですか?」

 ないわね、とミヤコダさんは呟きながら、カヌキさんの後に続く。


「観るんですか?60年前の映画ですよ。今日の昼間にNKHのBSで放送されたんで録画しておいたんです」

「ほらぁ?」

「一応そうですね。厳密にはスリラーかサイコサスペンスかな。私的には、私の好きなホラー映画の原点かも」


 ミヤコダさんは、カヌキさんより先にどかっとソファーに座り、はしたなく足を広げて座り、腿と腿の間を指差して、カヌキさんをここに座れと誘う。リモコンを手にしたカヌキさんが、仕方ないという顔でそこに座ると、早速ミヤコダさんが後ろから抱き締め、カヌキさんはミヤコダさんに背中を預けた。


 大金を持ち逃げした女が、町外れの小さなモーテルに宿泊する。女がシャワーを浴びていると、何者かが侵入し、彼女を刃物で殺害した…


 モノクロのただの古い映画だと思って舐めてかかったミヤコダさんだったが、画面を漂う不穏な雰囲気に呑まれてしまう。

「何?これ…」

 ミヤコダさんの呟きにカヌキさんはニヤッと笑う。

「サスペンスの巨匠もしくはスリラーの神様の一級品の映画です」


 シャワー中に女が襲われるシーンで、ひっ…とか、ぅや…と怯える声を上げて震え、犯人や、その秘密が暴かれるシーンではひゃっと悲鳴混じりの声を上げた。そんなミヤコダさんが可愛くて、カヌキさんは笑ってしまう。


「1960年の映画です。CGなんてなくたって、演出だけでこれだけ人を怖がらせられるんです。凄いですよね」

 そう言いながらカヌキさんはデッキとテレビのスイッチを消した。

「原点回帰?」

「そうですね、古き良き映画は色褪せないんで」

「…本当にあなたは映画バカね」

「褒めていただいて嬉しいけど、まだまだです」

 褒めてないよ、とミヤコダさんが苦笑いする。


「もう12時になりますね、寝ようか」

「あ、ちょっと待ってて」

 ミヤコダさんは、カヌキさんを視聴覚室兼居間に残して、2階の自分の部屋にかけ上がっていく、なんだろ?と思いながらカヌキさんは、ぼんやりソファに座って待っていた。


 そして、テレビの下のハードデッキの表示が0:00に変わり、カヌキさんは、日が変わったな、と思う。

 そこに、ミヤコダさんが、小さな箱を持って戻ってきて、カヌキさんの隣に座った。


「誕生日、おめでとう、深弥」

「あ、そうか。…ありがとう」


「原点回帰」

 ミヤコダさんが呟いた。カヌキさんは、さっき見た映画のことかな、と首を少し傾げる。すると、ミヤコダさんは、カヌキさんの左手を取り、その親指を自分の親指で撫でる。カヌキさんの左手の親指には、小学生の時に図工の授業で切った傷が薄く残っている。ミヤコダさんは背中を曲げて、その親指に顔を近付けて、徐に唇を当てる。


「ここは、わたしが初めてあなたにキスしたところ、原点」


 それから、今度は右手を取って、細い指輪が嵌められている小指にキスをする。


「ここは、わたしがあなたの恋人になった記念。やっぱり原点よね」


 そして、さらに、右手の薬指の先にキスをして、小箱の中から、銀色の指輪を取り出して、それを右手の薬指に嵌める。


「左手の薬指の予約」


 ミヤコダさんは少しだけ顔を上げて、上目遣いでカヌキさんを見る。その角度で見詰められるとカヌキさんはもうお手上げだ。


「改めて言うわね」


「深弥」



「ずっと、わたしと、一緒にいて」



 カヌキさんは一瞬息を止める。

 ミヤコダさんが帰ってきた日、ミヤコダさんは、こともあろうに、当のカヌキさんをすっ飛ばして、自分の両親に向けてカヌキさんへのプロポーズの言葉を告げてしまった。

 カヌキさんは、きっと、そのうち、ちゃんと自分に言ってくれるだろうと思っているうちに時間が経ってしまい、もはや半分忘れて半分諦めていた。


「架乃、私の誕生日に言いたかったの?」

全く勿体ぶるな、なんてカヌキさんは思う。


「うん」

 ミヤコダさんは少しだけ照れ笑いする。

「…それで、返事は?」


 ミヤコダさんは、実際のところ、カヌキさんの気持ちを知っている。

 カヌキさんは自覚していないのだが、思考が散漫になると本音がダダ漏れになることを、ミヤコダさんだけが知っている。

 大好き、離れない、そばにいる、ずっとだよ、などなど。

 カヌキさんからの美味しい言葉を、ミヤコダさんはかなり引き出しているのだけれど、知らないふり。


 カヌキさんはじっとミヤコダさんを見ている。

 考える。

 考える。

 なんて答えたらいいのか。

 とっくに答えてるなんてことはカヌキさんは覚えていない。




 結果、耳まで真っ赤になって、ただ頷いた。

「ん」



 ミヤコダさんが、心の底から嬉しそうに、でも、はにかみながら、くしゃっと笑う。

 それは、カヌキさんの一番好きな笑顔だ。



「深弥…」


 ミヤコダさんがカヌキさんの両方の頬に手を当て、少し顔を傾けて唇を寄せていく。



 ところが、カヌキさんはそのミヤコダさんの両手に自分の両手を重ねて寸止めしてしまう。


「ちょ、ちょっと深弥さん、なぜ、止めるの?…焦らしプレイはいらないわよ」

「思うんですけど、架乃って、映画観た後にエッチなことをしたくなる条件反射になってない?」


 えぇ?

 言われてみれば、とミヤコダさんは考える。


 カヌキさんはホラー映画が好き。

 ミヤコダさんはホラー映画を見ているカヌキさんが好き。

 カヌキさんはホラー映画を泣いて怖がるミヤコダさんが好き。

 ミヤコダさんはホラー映画を見た後でカヌキさんを抱くのが好き。


「そうかもしれない…」


「はははっ、じゃあ、なおさら、一緒に怖い映画を観なきゃいけませんね」


 今度は、カヌキさんの方から、ミヤコダさんに顔を近付ける。

 もちろん、ミヤコダさんはカヌキさんの唇を避けたり止めたりなんてことはしない。




「愛してる」










 キスは、最も平凡で、ありふれた、だけど幸せな映画のエンディングシーンだ。









 怖い映画を観たら

 一緒に夜を過ごそう





 END



















◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ネタにした映画タイトル

「サイコ」(1960)


 一応、これにて、完結となります。

 ああ、やっとここまで来れた、という気分です。


 2〜3日後、読まなくてもいいようなオマケ?蛇足?を公開しようと思っています。よろしければ、お付き合い下さい。



 



 うびぞお

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