SEP.夢の中のミヤコダさん
9月
時間の流れがおかしい。
カレンダーを見ていると日が過ぎるのが早くて早くて泣きたくなる。
なのに、
時計を見ていると、秒針すら遅く見えて焦れる。
それを知ったのは夏。
架乃に、「架乃もちゃんと自分のために先のことを決めて」なんて、カッコ付けたことを言ったのは私自身だ。架乃がどんな決断をするのか、それが自分にどんな影響を及ぼすのか、結果の推論が甘すぎた。
夏休みをどう過ごしたのか、うまく思い出せない。お盆に少しだけ実家に行って、でも、架乃と離れたくなくて、すぐに帰って来た。
気が付くと9月で、もう講義が始まっていて、ぼんやりしている頭とは別に、ノートやパソコンにはちゃんと授業や実験の記録が残っていて、表側の私は内側の私と違って、現実をちゃんと暮らしていて、表裏が乖離してるみたいだった。同時に、私って頭が固くって、こんなときでも、ちゃんと勉強しようとするのが嫌になる。
架乃は架乃で、留学に備えてやっておかなくちゃならないことが多すぎてバタバタ走り回っている。
私はそれを遠巻きに見ているしかない。
手伝えることは手伝っていたけれど、後は、ただ見てるだけ。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……
そんな呪文を唱えながら、ただ見ていた。
そして、夜は架乃にしがみついて眠る。
朝に目が覚めると、いつの間にか手も体も架乃から離れていて、それが寂しくて、またしがみつく。そうすると架乃は、半分目を覚まして、寝惚けながら私の頭を顎の下にしまってくれる。
そんな毎日だ。
はぁーっとため息を吐き出す。
今夜も架乃は教授のところで何かを打ち合わせていて、多分、帰りは遅いだろう。
「こういう時は現実逃避する!」
私は独り言を言って立ち上がり、ブルーレイの入っているボックスを漁った。私の現実逃避の手段はやっぱりホラー映画だ。
目に付いたのは、80年代のホラー。
茶色の中折れ帽子と赤と緑のボーダーセーター、カミソリ5本を取り付けた皮手袋がチャームポイントの、フレディ・クルーガーという怪人がアイコンになった映画だ。夢の中でフレディに残虐に殺されると現実でも本当に死んでしまう。登場人物たちは眠らないように努力するけれど、結局寝てしまって夢の中で襲われて、凄惨な死を迎えることになる。さあ、どうする?っていうお話。
CGじゃないチープな特撮や、今では有名俳優が当時はまだ無名の新人で下手な演技をしているところとかを笑って観ていたのだけれど、いつの間にか私も寝てしまい、夢の中にいた。
やばい、早く起きないとフレディに殺されちゃう!
「…ちゃん、おかーちゃん、おきて。じんくん、よおちえんいくよ」
え?
ぐぇ
お腹の上に何かがドンっと乗って目が覚める。
私の掛けている布団の上に乗っているのは、赤と緑の縞々セーターを着た殺人鬼
ではなく
水色の園服に黄色い帽子を首に引っ掛けた小さな男の子だった。
「おかーちゃん、おきた、ままー、おかーちゃん、おきたー」
小さな男の子のキンキン声が頭に響く。
え、何、この子、誰?
布団から上半身を起こすと、その子が手足を私の上半身に絡み付かせる見たいにぎゅっと抱き着いてきたので、小さな子供の匂いが鼻の中に飛び込んできた。
慣れない匂いとその子の意外な腕力の強さにたじろいでいる一方で、ぶわぁっと、お腹の底からこの子への愛しさが湧いてきて、これは自分の子なんだと瞬時に理解する。
だって、顔、顔が私に似てる。明らかに血縁だ。
「じんくん、お母さん、ちゃんと起きるから、ちょっと離して」
私の口から、私が、私の思考を全く通さない声を出した。
一人称がお母さんだ、ということに、やっぱりと思いながら動揺する。え?私、いつ子供を産んだっけ。
でも、じんくんが離れてくれない。
「ママぁ、じんくん、ちょっと剥がして」
「私」が大きな声を出す。ちょっと声、低くなってる気がする。
そして、「私」の視線は、じんくんから扉に向けられる。ここは知らない部屋だ。それに、ママって誰?私がお母さんだよね。
「じんくん、幼稚園、遅刻しちゃうよ」
声がして、ドアが開く。
声がした瞬間に、ママが誰なのかが分かった。
架乃だ!
ドアの向こうから架乃が顔を出した。
顔は私の知っている架乃だ。でも、私の知らない架乃でもある。
だって、お腹が大きい!!
え、どういうこと!?私は大混乱している。でも、じんくんに抱きつかれている「私」は少しも動揺していない。
「じんくん、ママ、先に一人で幼稚園行くよ。置いてくねー」
「ダメー」
じんくんが私から離れて、架乃のスカートを掴む。
架乃が私の方を見てくしゃっと笑う。
「サッカー、どうだった?勝った?」
え?何
「無事、一次リーグ突破。雅ちゃんも点入れてた」
と「私」が答えた瞬間、「私」が昨日の深夜、女子サッカーのワールドカップをテレビで見ていたことを思い出す。
「一次リーグはやっぱり余裕ね。夜更かしして大丈夫なの?」
「今日はテレワークだから。そっちこそ、今日は大学行く日だったけ?大丈夫なの?」
「産休まで残り2週間だからねー。生徒たちには課題みっちり出してやるんだー」
「私」と「架乃」の会話の意味が分からなくて、戸惑った瞬間に「私」の記憶が頭に浮かび上がってきて理解できる。
大学時代の家庭教師の教え子だった雅ちゃんがワールドカップに出場していること、私はある企業の研究職で働いていて、今日は自宅勤務なのをいいことに昨晩は深夜のワールドカップの中継を見ていたこと、そして、架乃は今、大学の講師として教鞭を取っていること。二人目の妊娠であること。
これは、未来なの?
「ママぁ、じんくん、ちこくいやよ。いくの、はやく」
じんくんが架乃を部屋の外に引っ張っている。幼稚園に行きたくて仕方がないようだ
「あ!きょう、じんくん、しましまもいっしょいく」
ところが、突然そう言ってじんくんはぱたぱたと足音を立てて「架乃」から離れた。
「早くねー。…しましまって何だっけ?」
「架乃」は、じんくんにそう言いながら、「私」に近付いて来た。
ああ、やっぱり「架乃」は架乃と違う。
妊娠してしてるというだけでなく、雰囲気が架乃より柔らかくて、少し大人だと何かが感じさせる。目をそばめると目尻に小皺ができてるけれど老けたとは感じない。それを含めても綺麗だ。オトナになった架乃だ。胸がふいに高鳴る。
「私」が「架乃」のお腹に手を伸ばした。
「おはよ」
「私」が架乃のお腹に声を掛けると、手の中で架乃のお腹がうごめく。これが、よくテレビとかで見る胎動というものか。人間のお腹の中に別の物がいるって凄い。私はとても驚いたのに、「私」は元気だなと喜ばしく感じていて、驚かない。
ただ、口には出さないけれど、宇宙生物がお腹を食い破って出て来るSFホラー映画を思い出しているところは、さすが「私」も私だ。
じんくんとこの子の父親は誰?
その疑問に対しても、「私」の記憶が答えてくれる。
うえええええ??
架乃!!あなたって……
父親の正体を知って唖然としていると、軽い音を立てて、「架乃」が「私」にキスをした。
ちょっと大人の「架乃」の顔が近付いただけでドキドキしたけれど、「私」にとって、それは日常だったらしく、当然のものとして受け止めている。でも、胸の中に幸せだという感覚が広がった。
「行って来ます。じんくんのお迎えはよろしくね」
「了解。夕飯もやっておくから、大丈夫」
「私」がそう言ってベッドから足を下ろすのと同時に架乃は部屋から出ていった。
私の知っている架乃は足が長くて大股で目標に向かってすいすいと歩いていく。だけど「架乃」は、いちいち重そうなお腹を持ち上げながら、ぺったんぺったん歩いてく。歩き方が全然違っていて、それが何だか微笑ましくて仕方なかった。
「ママ、じんくん、おくつはいたはいたはいたー」
「えー嘘でしょ。…それ、じんくんのお靴じゃないよ、お母さんのだよ」
玄関らしき方角から、「架乃」とじんくんが話している声がする。
一方、「私」は、ベッドサイドから眼鏡を取って掛けて、洗面所らしき方角に向かっていく。
どうやら、ここはマンションぽい。
洗面所の鏡に映る「私」も私よりオトナっぽい。顔が今ほど丸くなくなってる。痩せたような気もするけど、どうなんだろう。
今の私が子供っぽすぎるから、大人びる余地がたくさんあったということだろうか。
オトナになった「私」の顔をもっと見ていたかったけれど、眼鏡を外されてしまったので鏡の中の自分の顔もぼんやりしてしまった。残念だ。
洗面所を出て、「私」は、ふと玄関のドアを見た。何かに気がついたみたいだった。
玄関は頑丈そうな金属扉。今のボロ家の引き戸ではない。
靴箱の周りには、じんくんの乗り物とか砂遊びの道具とかが片付け切れないというように積まれて置かれている。
そして、玄関マットの横にそれが落ちていた。
しましま とじんくんが言っていたものだろうか。
幼稚園に連れて行かれる筈だった、赤と緑のしましま。
赤と緑?
それは、ぬいぐるみ。
茶色の帽子、赤と緑のしましまのセーター。
そして右手にはカミソリを取り付けた皮手袋。
フレディ!!
床に転がっていた人形が、見る見る大きくなって、成人男性の体に変わっていく。
私は動けない。
これは夢。
早く起きなければ、殺される。
フレディは玄関に転がったまま、余った足をドアに立てかけるように伸ばした。そして、首だけ回して、赤く焼け爛れた顔で私を見てニヤアと笑ってウィンクした。
右手を振って、手袋に付けられた5枚のカミソリをシャカシャカ鳴らす。
早く早く早く目を覚まさないと
夢の中でフレディに殺されたら、現実でも死んでしまう。
嫌だ、そんなの!
ぐにゃっと体をくねらせて、フレディが不自然に立ち上がると、楽しそうにゆっくりゆっくりと私に向かって歩いてきた。右手のカミソリをシャカシャカと音立たせながら。
カミソリが5本取り付けられた皮手袋がゆっくりと宙に持ち上げられて、カミソリが照明を反射してキラキラっと光る。
次の瞬間
振り下ろされた。
私の体が
!!
「…や、
「私、殺された!」
と叫びながら飛び起きた、ら、架乃の顎に私頭が当たった。
私は頭が痛くて、架乃は顎が痛くて、二人とも「いたああ」と半泣きの声を上げた。
「何、殺される夢でも見たの?痛いなあ…」
架乃が顎を撫でながら、私を見た。
「架乃」じゃない。お腹はぺったんこだし、やっぱり若い。
思わず、架乃のお腹に手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと」
何か、架乃が勘違いをしたような気がするけど、無視。
触って撫でてみても、いつもの私の架乃で安心した。
でも、少し寂しい。
じんくん、可愛かったなあ。
あれが夢だなんて惜しすぎる…。
「架乃、私、すごいとっても面白い夢を見たの」
「夢?面白いって、深弥ってば、脂汗を流しながら呻いてたんだけど」
「あはは、そうだった。最後には殺されたんだっけ」
「何それ、どういう夢を見てんの?」
「聞いてくれる?」
もちろん、と架乃は頷いた。
ーーーーー
「ええ、そんな夢、私も見たかった!」
「あはは、そうでしょそうでしょ。私ももう1回見たいもの。最後に殺されるのはナシで」
「じんくんかー。わたし、妊娠してたんだー。なんか、全然想像できない」
「で、父親は誰だったの?それとも、その夢の中では、女同士でも子供が作れるの?」
「違うの。父親は私と最も似た遺伝子を持つ男性」
「…それは、えっと、……深弥の、お兄さん!」
「そう、兄貴。兄貴のせ、……を体外受精したって「私」が記憶してた」
兄貴の、なんて想像するだけで、なんか気持ち悪い感じ。
でも、私と兄は確かに見た目は似ているのだ。だから、じんくんは兄に似ていて、私にも似ていた、らしい。
架乃が黙り込んだ。右手をぎゅっと握って、親指と人差し指を
口に当てる。
眼球が右、そして左へと動く。
「架乃?」
返事がない。
「いいね、それ!」
花が咲いたような、とてもいい笑顔で、突然、架乃が言った。
「わたしも、
さて、果たして。フレディが私に見せたのは、悪夢だったのか、
それとも予知夢だったのか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「エルム街の悪夢」(1984)
「エイリアン」(1979)
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