三五.村の跡
黙々と森の中を進んでいくと不意に開けた広場のような場所に出る。空を見上げればすでに茜色に染まり始めている。どうやらもう夕暮れ時らしい。
「ここが目的地。……かつて獣人の集落があった場所」
「獣人の集落? どういうことだ?」
「マスターと僕はここで獣人たちと一緒に暮らしてた。研究所はこっち」
ラヴの後ろに続きながらあたりの光景をなんとなく眺める。確かに生い茂る雑草の中に石造りの廃墟のようなものや朽ちた小屋らしきものが散見される。そうなると気になるのはここで暮らしていた獣人たちはどうなったのかということだ。この世界の状況を考えるとあまり良い想像はできない。
「何か妙だね」
リタが小さな声でつぶやく。
「妙?」
「自然に風化していったにしては壊れすぎている」
言われてみれば確かにそうだ。雨や風だけでなく何らかの外的要因があったと見るのが妥当だろう。嫌な予感は少しずつ膨らみ続けている。
「……ここがマスターの研究所」
「ここ……って」
思わず返答に詰まる。目の前にあるのはただの瓦礫の山だ。他の廃墟に比べてもかなり損壊が激しい。ここが何者かによって破壊されたのだという事実を否応なく理解させられる。
「ラヴ……ここで何があったんだい?」
問いかけるリタの声にはわずかだがためらいが感じられる。俺も気持ちは同じだ。だがここで起こったこと、そしてラヴの過去について、俺たちは知らなければいけないのだと、そんな気がした。
「マスターはとても危険な研究をしていた。国を追われた後も、その命や技術を狙う者は大勢いた。だから人間社会を離れて、獣人たちと共にひっそりと暮らしていた。だけど隣国との国境紛争に巻き込まれて、ついにここにも軍隊がやってきた。集落は破壊され、マスターは死に、僕は人間に捕らわれた」
凄惨な過去を語りながらも、ラヴはずっと無表情のままだ。怒りも悲しみも、諦めすらその目からは感じられない。
「……相当激しい戦闘だったようだね」
「ここを失えば生きていけない。皆必死に抵抗した。でも相手は一国の軍隊、生き残ったのは僕だけだった」
夕陽に照らされたフェルの顔が苦々しく歪む。ここでかつて多くの命が散っていった。そんな事実などなかったかのように、森はただ静かに風にそよいでいる。ラヴが瓦礫の山を指さして言う。
「ここの地下で僕は創られた。そこならまだ何か残っているかもしれない」
「……探索は明日にしないかい? もうすぐ陽が落ちるし、今日は皆疲れている」
「そうだな。ちょうど腹も減ったところだし」
「リタが言うならそれでかまわない」
「俺も異存はないよ」
山菜を取ってくると言ってフェルはラヴを連れて森へ行った。その間にリタと薪を集め、廃墟の陰で火をおこし暖を取る。ここに来るまでで二日、帰りのことも考えるとここに居られるのは長くても三日だ。その間になんらかの手がかりを見つけて持ち帰らないといけない。皆俺のために危険を冒してまでついてきてくれたのだ。手ぶらで帰るわけにはいかない。
「……気負っているのかい?」
「……え?」
顔を上げると焚火の炎よりも深く紅い瞳と目が合った。
「なんだか硬い表情をしていたから」
「……確かにちょっと、そういうこと考えてた」
「最初に言っただろう? 私たちは仲間だ。それにクロには助けられた恩があるしね」
「恩だなんて……。俺の方こそ皆がいなかったらとっくに野垂れ死んでるよ」
「つまり持ちつ持たれつということさ。他の二人だって同じだと思うよ」
「……でも、ラヴは本当はここに来たくなかったのかもしれない。そんな気がするんだ」
「……ラヴは自分のことはほとんど話さないからね。それなりに長い付き合いだけど、私も今日初めて知ったことばかりだ。それでもここに来たということは、ラヴなりに何か思うところがあったんだろう。君が気に病む必要はないよ」
「そういうものかな……」
徐々に暗くなっていく空にはうっすらと星が浮かんでいる。フェルならあの星の名も知っているだろうか。覚えていたら食事の時にでも聞いてみよう。
薄暗い森の中、前を行くフェルが不意に振り返る。闇の中でその緑の瞳が微かに光る。
「ラヴ、一つ聞きたいことがある」
「なに?」
「集落が襲われた時、人間と戦ったんだよな?」
「うん」
「……何人殺した?」
ラヴの脳裏にあの日の記憶が蘇る。燃え盛る炎と叫び声、そして血の匂い。ただ敵を切り伏せ、焼き払い、気づけば一人になっていた。
「……少なくとも十八人、確実に殺した」
「はぁ……やっぱそうか」
そう言ってフェルは天を仰ぐ。フェルが何を考えているのか、何故そんなことを聞いたのか、ラヴにはわからない。
「……リタとクロには言うなよ。あいつらはきっと反発する」
「フェルは?」
「あたしは……ラヴの同類だよ」
同類というのは、同じように人間を殺したことがあるということだろう。だが何故そのような区別をするのか、ラヴにはわからない。生きるために殺す、それは生物としてごく自然なことだ。蜘蛛は良くて人間は駄目だなんて、そんな考え方は非合理的だ。けれど、きっとそれが感情というものなのだろう。
「僕とフェルは違う」
「違わないさ、あたしも二人殺した」
「違う。フェルは、本当は殺したくなかった」
「……なんでそう思う?」
「悲しそうだから」
悲しみ。ラヴがその感情を理解したのはこの場所だ。もう二度と動かなくなったマスターの体に触れた時に感じた、鋭い痛みに似た感覚。きっとフェルは人間を殺したときに、同じものを感じたのだろう。
「そう……見えるか」
小さく呟いてフェルはうつむいた。否定でも、肯定でもない。それが意味するものは迷い、だろうか。それ以上のことはラヴにはわからない。
「もう暗い。早く戻ろう」
「……そうだな」
暗闇は二人を追い立てるように深さを増していく。フェルの後に続いてラヴもまた歩き出した。
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