第十八章 白色の緑

 青のマントの一部が、どす黒く固まっている。戦えば戦うほどに装備が重くなるのは俺が悪いのか、この戦争が悪いのか。それともあるいは。


 世界。お前のせいか?


 銀の輝きは今は見えない。それでも、輝きを追いかけたくなるのは逃れることのできない人のさがであり、それは驚くことに俺にも適用されるようだ。

「ふっ……」

 思わず苦笑が漏れる。大剣使いをコアブレイクした俺は、身柄を拘束する道具がないことに気付き、助けた兵士の持っていた信号弾を撃ってからその場を後にした。


 俺はそこで、兵士たちが守っていた女の子の正体を知った。


 レナだった。



 両肩と胸の部分にアルヴァーンの国旗があしらわれた白いローブを着込んだ彼女は、俺の記憶にあるレナとは違う印象がある。おとなしくて、でもふざけ合う時には思い切りふざけ合う。暗いわけではなく、ずっと笑顔を振りまいていた印象のあるその顔が今では全く別の感情をそこに映していた。


 絶望。恐怖。嫌悪。不信。そのような感情の数々が渦巻いているのが見て取れるその顔を見て。俺は、なぜか安心してしまったんだ。その時は、自分でもなんでなのかわからなかった。だが、今ならわかる。


 レナにはまだ感情があったから。だと思う。俺はずっと何も考えないようにしていた。一瞬でも気を抜くと、ひざから崩れ落ちる自信があった。少しでも下を向くと、涙をこぼすという確信があった。


 確かに、根本には感情は根付いていたはずだ。そう考えている時点で、感情は生きている。だが、俺は自分から感情を消そうと躍起になっていた。だから、身近な人物が感情を大きく出している事に対して、ひどく安心したのだろう。


 しゃがみこんでいるレナの前へと行くが、レナは完全に俯いていてこちらには顔が向かない。ゆっくりと俺も同じようにその場にしゃがむ。

「レナ…?」

 細い体がびくりと震えて、ワンテンポ遅れてから顔がこちらに向く。その真っ黒な虹彩が目いっぱい開かれて俺を見つめる。震えるような、ギリギリの声量でつぶやいた声はおそらく俺の名前だろう。もう一度、今度は聞こえる声量で口を開く。

「…ゼクル…? ゼクルだよね?」

「あぁ、そうだよ」

「わたし……魔法使いになって…頑張って、ゼクルの事、追いかけて……なのに…」

 彼女は喋る度に声を震わせて、ついには嗚咽も混じり、うっすらと涙を流し始めた。

「わたし…ずっと……ずっと…」


 そこで、恐らくレナの中での限界を迎えた。俺の両腕をつかみながらレナが叫ぶ。



「ずっと……!! 人に向かって! まほうを……!!」



 レナは、俺の事を追いかけて魔法を勉強したらしい。だが、レナが思い描いていたのはモンスターや遺跡のボスと戦いながらいろんな人たちと生活すること。だがこの光景はどうだ。人と人が殺し合い、その場に駆り出され、名前も知らない人間へとただひたすらに魔法を撃ち続ける。攻撃をやめればこちらが殺されるだけ。そんな残酷な事があっていいのだろうか。彼女はただ、人よりもずっと現実的な夢を見ていただけなのに。


 その要領を得ない叫びだけで彼女がこの戦争でどれだけ苦しんだかがひしひしと伝わってきた。

 咽び泣きながら俺の胸に顔をうずめて泣き始めたレナは、それから十分ほどそのままの状態だった。涙はとっくに枯れているとは思うが、それでもレナは顔を離そうとしない。さすがの長時間なので、俺は完全に座り込んでいて、レナがこちらにもたれかかるような体勢になっている。

 もうしばらくこうしたままの方がいいか。レナが受けた心の傷の大きさは、俺なんかでは到底はかり切れない。もとよりこんな短時間で解決するとも思っていない。

 とそう思っていると、レナがゆっくりと顔をあげた。


「ごめん…もう大丈夫」

「…そうか」


 そう言いながら俺から身体を離すレナ。その目は赤く腫れている。こんな長時間泣いたのなら当然の結果ではある。だが…。



 こんな再会があるか……!

 世界とは理不尽なものだ。俺が望むものは何一つ手にはいらないんだろうと、俺はこの事件をきっかけにそう思った。


 やはりというべきか、レナは俺に行動を共にしてほしいと言ってきた。が、俺はその申し出を断ろうと思った。あの兵士たちがレナを守りながら安全に行動できるかと言えば不安が残っていた。が、兵士の一人に話を聞く限り、先ほど戦った大剣使いは反政府軍の幹部レベルなのだそうだ。人の顔を覚えるのは得意だったはずだが、忘れていたのか、それとも俺が目を通した資料が古かったのか。いずれにしても、そんな相手なら仕方のないことだ。そもそもそのレベルの相手と何度も戦うことになるなど考えられない。

 そして、もう一つ理由がある。


 俺は今から敵軍拠点に行く。奴らの拠点に乗り込んで、その場にいる敵を全員切り伏せる。俺は気付いた。戦っている時、俺は無心になれる。今の俺の精神状態なら、それが一番あっている。戦い続ける事で、俺は正常になれる。その拠点をつぶせば次の拠点に行けばいい。

 それに、恐らく俺は、死にたいのだろうと思った。ただ、自殺ではなくて、戦場で死ぬことが重要だ。俺にはもう、それ以外に戦う理由がない。

「レナ」

「何?」

「俺は、一緒に行動できない」

「……理由、聞いてもいい?」

「俺は……」




「弔い合戦にいかなくちゃならない」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「う……うう…」

 頭がズキズキする。どうやらトロンの背中で寝ていたようだ。後ろに乗っていたレナにもたれかかる形になっている。夢で見た光景とはまったくもって逆だな…とおもながら、軽く頭を振って身体を前へと離す。

「お、起きた」

「悪い、完全に寝てた。もたれてたし」

「まぁ、あれだけ戦うとねぇ。珍しいけど、理解はできるよ」

 オブジェクトコントロールはかなりの精神力を要する。それに加えて、今回操った武器は七本。その分必要になる精神力も多くなるというわけだ。レナはこの原理までは知らないはずだが、それでも今回の戦闘が異常だというのは理解できるよう

だ。


「もうちょっと寝てていいよ。トロン君にはゆっくり飛んでもらってるし、何なら旋回でもしておけばもたれてるところ見られないし」

「睡眠用の旋回は勘弁してくれ」

「まだまだ戦ってもらわなきゃなんないのでね、今のうち寝てなさい」

「そんな切羽詰まってないだろ。ったく」


 俺の頭を無理やりもたれさせようとする手に従って目をつぶる。だが、意識はそんなに簡単には落ちてくれない。目をつぶったまま、レナに話しかける。

「なぁ、レナ」

「なに?」

「……レナは、今は大丈夫なのか?」

「ん?なんのこと?」

「人に向かって魔法を撃つ事、ためらってただろ。あの時」

「あぁ……あの時か……」


 レナは暖かい声で続けた。


「大丈夫だよ。もっと怖いことを知ったから」

「……そうか」


 俺は本当の意味で、誰かを守るために戦うことが出来ているのか。以前自分に対して持った疑問を思い浮かべる。あれを思ったのはいつだったか。ライズと初めて会ったのは、剣術大会の舞台だった。



 あれはまだ俺が属性使いとして生きるようになってすぐの頃だった。



 俺は10歳の時に剣士になった。始まりは剣術大会を見たことだった。俺はその光景に目を奪われた。あの場に立ちたいと、強く思った。あの舞台に立って、自分も注目をされたい。強くなりたいと思った。必死の思いで剣術を磨きながら、剣術大会にエントリーした。初めての剣術大会はひどく緊張した記憶がある。ずっと待ち望んでいた舞台で、勝ち得た順位は、十三位。今にして思えば初めての剣術大会でこれだけの順位に上がれたのはとてつもなく喜ぶべきことだったのだろう。だが、当時の俺はそうではなかった。



――――悔しい。もっと行けたはずだ。どこが駄目だったんだ、あの判断は間違っていたのか。


――それだけ悔しがることができるのも才能だ。ほとんどの人間は初めてだからと諦める。


 後者は俺の師匠、剣豪ヴァ―リアス・レンブラントの言葉だ。

 今もよくわかっていないことがある。ただ近くに住んでいただけの少年を、なぜあそこまで鍛えてくれたのか。それはいまだにわからないが、師匠が俺を鍛えたからこそ、今の俺があることは確かだ。良くも悪くも、であるが。

 初めての剣術大会の時、気になった剣士が数人いた。彼らはほとんどが剣術大会の常連で、国内外問わずに名が知られているような剣士たちばかりだった。俺は彼らに対抗心を燃やすと同時に、憧れもした。大会の後の景品授与の時、彼らに声をかけまくった。この世界にあこがれていたこと、悔しかったこと、そして剣を教えてほしいこと。俺が声をかけた人たちの中で、2人が俺の頼みを快諾してくれた。セブラス・アフィーとラズレクスの2人は得意武器がそれぞれ細剣と大剣だった。俺は自分の持ち武器は片手剣であることを伝えたうえで、彼らの得意武器のことも教えてほしいと伝えた。今の俺が複数武器を扱えるのはこのためである。さらに言えばラズレクスは両手剣も扱える剣士だった。似ているようにも思われる大剣と両手剣にも、動きに大きな違いがあることを知り、両手剣も教えてほしいと頼み込んだ。彼らの練習の時間を奪っているのではないかと不安になったこともあったが、本気で俺に指導してくれたし、彼らも笑いながら一緒にその時間を過ごしてくれた。そのおかげでなのか、次の試合では全員が最高順位をたたき出すことになる。


 そう、その2回目の剣術大会の前だった。あそこで俺はライズと出会った。ライズの名前と顔はすでに知っていた。ライズは前回大会で上位入賞していた剣士のうちの一人だった。歳も俺とそんなに変わりないように見えたし、大会が終わったときに声をかけようと思っていた。が、景品授与のときには彼の姿を見かけることはなかった。


 剣術大会が始まる少し前。大会の舞台である特殊戦闘エリアは、一週間前から参加予定者に開放される。この一週間で選手たちはこの舞台に慣れるための練習を開始する。俺もその中の一人であったわけであるが。何はともあれ、俺はその日、移動の練習をしていた。剣を持った状態でこのエリアを走り続ける。その練習をしているときに、突然声をかけられたのだった。


「はぁ……はぁ……」

「ねぇ、君」

「え?……ちょ、ちょっとだけ待って…」

「あ、うん」

 俺は走り終えたばかりで乱れている息を整えながら、声をかけてきた男の方へと向き直る。そこにいたのがライズだった。

「えっと、君ライズくんだよな。俺になんか用事?」

「あ、俺の事知ってるんだ。…呼び捨てでいいよ」

 そこでライズは少しの間を開けてから言った。

「僕に君の剣術を教えてほしいんだ」

 ライズの順位は確か九位。俺よりも上であるはずだ。

「いやいや、ライズの方が順位は上だっただろ」

「順位は、ね。君が相手した人たちはかなりの期待株ばかりだったし、最後の戦闘だって不意打ちじゃないかまともに戦ったら僕より君の方が強い」

「……だといいなぁ」

「なぁんで他人事なんだよ」

「そりゃ実感ないし。いや嬉しいけどさ」

「まぁ、そうだよね~」

 肩をすくめた俺に同じような表情でライズが答える。自分よりも強いと思っていた相手に、『俺より強い』と言われて、現実感なんてすぐには出てこない。

 それから俺たちは一緒に練習を始めた。ライズの動きは俺よりも剣の才能があるように思えた。足元の把握は俺よりも数倍早いし、身のこなしには迷いがない。この2つの要素は戦うには絶対に必要不可欠な能力だ。戦闘中には足元に目を向けている暇などほとんどない。その中で、足そのものによる感触や視界の端を利用して足元を把握することで、相手よりも優位に立つことが出来る。また、戦闘中に暇がないことから、自身の判断に疑問を持つ事も出来ない。そのため、自分の直感をどれだけ信用できるかが問題になってくる。

 ライズにはこの両方があった。彼は確実に俺より強くなる。そう思うと、先ほど思った感情よりも遥かに強い悔しさを感じた。



 それでも、その悔しさは不思議と気持ちのいいものだった。初めての剣術大会の結果を見たときよりも、レナの家の立てこもりに敵わなかったときよりも、遥かに強いはずなのに。


 この気持ちの理由はなんだろう。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 第九回剣術大会の予選を軽々と突破した俺とライズは、そのまま本戦へと進出した。俺はフィールドの南端に飛ばされたらしい。序盤の行動は大事だ。初期に周囲の地形を観戦に把握したり、その場に足を鳴らしたり。はたまた、自分の得意な場に移動するなど、いろいろとやることは多い。まず初めに俺はフィールドの外周に沿うようにして西を目指した。西側には廃墟エリアがある。俺はあの場所でも戦闘が得意だから移動する方を選んだのである。

 ただの一度も他の参加者と会わずに廃墟エリアに到達した俺は、すでに大会が始まってから20分ほどたっている事を示す腕時計に目を落としながら小さくため息をこぼす。最近習得に成功したばかりの索敵スキルは、廃墟エリアに十人ほどの剣士が固まっている事を教えてくれる。廃墟の入口近くにある茂みの中で腰を落としながらもう一度ため息を吐く。まさにその時、後ろから声が聞こえた。

「行かないの?」

「ッ⁉」

 素早く剣を構えながら振り返ると、そこにいたのはライズだった。それもきょとんとした顔で。

「うわ! ……あ、そうか。それが普通の反応だね」

「…今は敵対してないってことか?」

「ああ、剣に誓うよ!」

 そう言いながら右手を左胸に当てる。それはそれはキザなポーズであるが、なんだか不思議と信用できるように思えた。実際、彼の剣は腰に差さったままで、鞘からは抜かれていない。

「大声出すなばか」

 そう言いながら、剣を納める。『あ』といった感じの表情になりながら、一緒に茂みの中で息をひそめ始めるライズ。彼はただ、俺の事を信用して、隣に来て楽しそうにしゃべる。





 真剣な場においても、全力で楽しむ。それは俺に足りなかったもの。


 それを持っていた少年。ただ、それは簡単なこと。




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