第49話 違う世界でまたよろしく。
帰宅してから四十分後、
不可解な顔をしている砂河さんを、リビングに通す。
「急にどうしたんですか? 屍蝋が出来るのは一月後なんですよね?」
不思議そうな砂河さんの目の前――テーブルの上に軽く汚れを落とした白い小さな箱を置く。
砂河さんは箱に視線を向けたまま訊ねる。
「……なんですか、これ?」
「それは柏木翔太さんがあなたに渡そうとしていたものです」
砂河さんが俺の顔を見る。疑問しかない顔に、優しく見える努力をして微笑んだ。
「開けてみてください」
不審そうな様子を見せながらも、砂河さんは箱を開けてくれる。
「その指輪は翔太さんの事故現場で見つけたものなんです」
「……どうしてこれが翔太の物だってわかるんですか?」
「付近のジュエリーショップで話を伺ったところ、その指輪は、前日に喧嘩した彼女へのプレゼントとして購入されたもののようです」
砂河さんは黙って俺の話を聞いている。
「ただのプレゼントではありません。それは婚約指輪です」
「え……?」
砂河さんが信じられない、というように再び指輪を見つめる。
「翔太さんは進学ではなく、就職を選んだんですよね」
「そうです。それで私達、喧嘩を……」
「それは、翔太さんがあなたとの結婚を考えていたからではありませんか?」
「でも……そんなこと、一言も……それに! 翔太は自殺したんですよ?! 自殺しようとしている人間が、婚約指輪なんて買いますか?」
戸惑いのあまり、立ち上がりかけた砂河さんが深呼吸をして座り直す。
「翔太さんは自殺ではありません。事故にあったんです」
「だって、翔太、車道に飛び出したって……」
「翔太さんは、手を滑らせたかなにかして、その指輪を車道に落としてしまったんです。それを拾おうとして飛び出した。その様子が、自殺に見えてしまったんです」
「……そんなことって……でも、遺書……遺書は、どうしてあるんですか?」
砂河さんが持ってきた遺書を前に突き出す。それを受け取り、綺麗に折りたたまれた紙を開く。
『
こんな僕と付き合ってくれてありがとう。僕は幸せ者だ。
違う世界でまたよろしく。
柏木翔太』
決して綺麗ではないが、丁寧に一文字一文字書かれた直筆の手紙だ。
「遺書があるのに、どうして自殺じゃないなんて言い切れるんですか?」
困惑しきった顔の砂河さんに、遺書だという手紙を裏表させて見せる。
「どこにも『遺書』だとは書かれていませんね」
「でも、どう見ても遺書ですよね?」
首を緩く横に振って、砂河さんの言葉を否定する。
「プロポーズの手紙ですよ、それ」
「どうやったらそう見えるの?! どう見ても別れの手紙じゃない! 適当なことばっかり言わないで!」
まったく思ってもみなかった答えを提示された砂河さんが怒鳴る。
こんなに取り乱されるとは思っていなかった。砂河さんが落ち着くのを少し待ってから言葉を紡ぐ。
「その通りです。そこに書かれているのは確かに、別れの言葉です」
一度否定されたことを肯定され、砂河さんが言葉を失う。
まったくわけのわかっていない砂河さんに、微笑む。
「ただし、恋人としての二人への別れです。結婚は新しい人生のスタートと言うじゃないですか。新しいスタートがあるなら、ただの恋人としてのゴールもあるはずです」
砂河さんが俺の手から手紙を取り上げて、読み直す。
「別れの手紙とは言いましたが、そこには完全な別れなど書かれていません。違う世界――恋人ではなく今度は夫婦としての世界で、これからも共に歩みたい、そういう意味だと、俺は解釈します」
伝えたいことを全て伝え終え、砂河さんからの反応を待つ。
これは、あくまでも俺の仮説だ。あるのはいくつかの状況証拠だけだから。
指輪の購入者は、たまたま翔太と似た境遇にいた別人かもしれない。見つけた指輪自体も、ショップの店員が覚えていたものと似た別物かもしれない。
遺書も、本当に遺書なのかもしれない。違う世界という言葉が指しているのは、あの世とか来世のことなのかもしれない。
俺が話した仮説は、ただの可能性の一つにすぎない。間違っているかもしれない。けれど、真実かもしれない。
“かもしれない”は、いくつも考えられる。でも、たった一つしかない真実は、もうこの世にはいない翔太本人しか知らない。だから、どの可能性を選ぶかは、生きている俺達が決めるしかない。
だったら俺は、自殺した不幸な話より、結婚を願う幸せな話を選びたい。
手紙を読んでいる姿勢の砂河さんから、呆然とした声が漏れる。
「……自殺じゃ、なかったんだ……」
砂河さんは、俺の仮説を支持してくれた。
砂河さんの手が、抱くように手紙を胸に押し付ける。
「翔太、自殺じゃなかったんだっ……」
俯いて口を押さえた砂河さんの肩が震えている。
この数日、どれだけ我慢していたのだろう。
「ごめんね、翔太っ……、勝手に自殺だと思って……ごめんねっ……!」
砂河さんの言葉が嗚咽で途切れる。
翔太が亡くなってから、ずっと苦しかったのだろう。恋人が自分のせいで自殺した、という思いは苦しかっただろう。罪悪感に押しつぶされそうだっただろう。最愛の恋人からの愛情を信じきれなかったことが、悲しかっただろう。
砂河さんは声を押し殺して泣いている。時々、鼻をすする音やしゃっくりのような息を吸い込む音が聞こえる。
俺と恋は黙って、砂河さんが落ち着くのを待った。
三十分後、服の袖や手の甲、二の腕など様々な部分で涙を拭った砂河さんが、真っ赤な目で俺を見る。
「……古賀、先生……ありがとう、ございました……」
砂河さんの声は喉につっかえたみたいに、上手く出ていない。
「古賀先生が、事故だって証明してくれなかったら……翔太の死を、ずっと悔いて、ずっと悩んで、背負い続けることになってたと、思います……」
乃亜と同じ顔を、二度と泣かせたくないと思っていたのに、結局また泣かせてしまった。
「事故だって、見つけてくれて、本当に、ありがとうございました」
目の中と周りを真っ赤に染めて、砂河さんが笑う。
よかった。乃亜の顔が俺に笑ってくれた。
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