第61話 肘内障

 肘内障は、約6歳くらいまでの子供に多い病気である。手は表向け、裏向けの両方ができるが、それは前腕(肘より先の部分)にある2本の骨、橈骨と尺骨の位置関係がねじれることで行なわれている。尺骨は近位側(身体に近い方)が大きく、肘関節の硬い骨は尺骨の肘頭と呼ばれている。尺骨は手関節に向かうにつれ細くなっていく。逆に橈骨は手関節部の方が太く、肘の方に向かって細くなる。橈骨の近位部は丸い円盤状になっていて、尺骨と靭帯で固定されており、橈骨頭が尺骨と作る橈尺関節で、円盤部分がくるくると回ることで手関節より先の部分が表裏と動かすことができる。


 小さいころは橈骨頭を固定する靭帯が緩く、手を引っ張るなどの、強い力がかかることで、橈骨頭を固定する靭帯がずれ、亜脱臼を起こすことがある。すると、亜脱臼を起こした方の腕は動かすと痛むので使いたがらなくなる。この状態を「肘内障」という。他動的に、くりくりっと手をつかんで表裏に動かすとずれが元に戻り、痛みが治まると普通に腕が使えるようになる(徒手整復)。


 九田記念病院時代も、ERで多くの子供さんの肘内障を診察し、徒手整復した。ただ、時々思わない外傷が紛れ込んでいることがあるとのことで、ER旧ボスの香田先生からは、

 「保谷、肘内障やと思った時も、必ず、鎖骨、肩関節、肩甲骨、上腕骨、肘関節、前腕、手関節は触診でいいから健側、患側とも同時に診察しとけ。時々思わぬ落とし穴があるぞ」

 と指導を受けた。香田先生の言うことはもっともなことなので、診療所に移ってからも、肘内障の患者さんが来たときは、受傷機転を聞いて(多くの場合は、こけそうになったので手を引っ張った、とか、駄々をこねているので手を引っ張って引きずった、などということが多い)、その後、必ず香田先生の言われたとおりに鎖骨~手関節まで触診を行ない、明らかな骨折を疑う所見がないことを確認し、そのうえで肘内障徒手整復を行なっていた。徒手整復後、10分間待合室で休憩してもらった後、再度診察室に入ってもらい、患児を私が抱っこし、ご両親に手を伸ばしてもらい、抱っこしようとしてもらう。患児が両手をスムーズに伸ばせば治療は終了、整復は成功、となる。


 とある平日の午前診、4歳くらいの子供さんが、

 「右手が外れたみたいだ」

 という主訴で受診された。ちなみに肘内障も、

 「手が抜けた」とか、

 「肩が外れた」

 などと言って来院されることが多い。受傷機転を聞くと、走っていて転倒したとのこと、それから右手を使わなくなったとのことであった。

 「受傷機転からは肘内障に合わないなぁ。気を付けないと」

 と思いながら、いつもの通り、鎖骨から手関節まで順番に触診で圧痛や腫脹、熱感を確認した。右肘を触診しても腫脹熱感なく、痛がる様子もなかった。触診では橈骨、尺骨の連続性にも問題はなさそうだった。肘頭も触診で痛がる様子はなかった。前腕、手関節にも問題はなかった。

 「触診では、明らかな骨折はなさそうだ」

 と判断し、右肘関節の肘内障を考え、徒手整復を行なった。整復がうまくいったときには橈骨頭にコリッとした感覚を感じるのだが、それは確かに感じたので、

 「やっぱり肘内障かなぁ」

 と思いながら、連れてこられたお父さんに説明、10分間の待機をお願いした。


 10分後、再度診察に入っていただき、いつものようにお子さんを抱っこして、お父さんに手を伸ばしてもらったが、お子さんは、健側は手を伸ばすが、やはり患側は手をあまり動かさない。受傷機転も非典型的だし、肘内障ではない可能性があると判断した。


 お父様には、

 「当初はお子さんで頻度の高い肘内障を考え、整復処置を行ない、整復した感触はありましたが、まだ肘を痛がっておられます。整形外科の診察を受けていただいた方がいいと思います」

 と説明し、近くの整形外科に紹介状を作成、その足で受診してもらった。



 数日後、整形外科から返信が届き、右肘頭骨折との診断だったとのこと。右の肘頭も触診し、腫脹圧痛なく、熱感もなかったのだが、やはりそんなことはあるのだろう。転倒した、という受傷機転からも、そちらの方が考えやすかったか、と思った。


 香田先生の指導の通りに診療を行なったが、初めて診断を外した症例であった。



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