第53話 経験

 診療所には、在宅介護支援センターが併設されており、複数のケアマネージャーさんが働いていた。たくさんの方のケアを担当していたので、担当の患者さんの具合が悪い、といって患者さんの診察依頼がよくあった。


 ある冬の日、ケアマネージャーのTさんから、

 「担当の患者さんが、一晩中外で過ごしていたみたいで、ぐったりしてしんどそうなんです」

 といって、患者さんを連れて私の外来に相談に来られた。患者さんは処置室にいる、とのことで診察に向かった。患者さんは認知症を持つ一人暮らしの方で、おそらく何かの理由で外に出てしまい、家の中への入り方を忘れてしまったのだろう。Tさんが、定期の訪問に行くと、玄関先でぐったりとへたり込んでいたそうである。


 身体を触れると氷のように冷たい。この体温では体温計は役に立たない。九田記念病院では直腸温を測定でき、その機械では20度くらいまでの低温まで測定できたのだが、診療所にそのような機械はない。体温はわからないが、明らかに低体温症である。患者さんの意識レベルはJCS-Ⅰ-3くらいか?開眼しているがひどくぼんやりしていて、こちらの質問にはほとんど答えようとしない。


 低体温症の治療は、もちろん体温を上げるのが中心なのだが、単純に体温を上げて、それでおしまい!というわけではない(もちろん軽症の低体温症はそれだけでいいのだが)。


 低体温状態になると、一つは免疫系が働かなくなるので重症の感染症を起こしやすい(あるいは重症の感染症で低体温になっているのかもしれない)。

 もう一つは凝固系が破綻してDIC(播種性血管内凝固)という状態になる。DICとは、簡単に言うと、血液が固まってほしくないところで固まり血管を詰めて、臓器にダメージを与え、それと同時に、血液が固まってほしいところでは固まらず、出血を起こす、という状態であり、致死率の高い病態である。


 なので、低体温症の治療は、体温を上昇させ、感染をコントロールし、DICをコントロールする、ということを同時に行う必要があるのである。当然のことながら、重症の低体温症は重症の熱中症と同じように致死的である。


 ということで、診療所で管理できる状態ではないと判断し、湯煎でお風呂のお湯程度に温めた点滴と電気毛布で身体を加温し、院内の採血フルセットを行ない、高次病院への転送の用意をした。ちなみに、体温を上げる最も効率的な方法はPCPS(ECMO)を回すことである。


 さて、そんなわけで私はバタバタとしていたのだが、多くのスタッフは

 「なぜそんなに保谷先生はバタバタしているのだろう?」

 と不思議そうにしていた。ケアマネージャーさんたちもそうである。不思議そうに私を見ている時点で、みんな、本当の意味での低体温症の治療を理解していない、ということがよく分かった。

 病態の説明はとりあえず後回しにして、患者さんのことを中心に動いた。転院先が決まり、患者さんを転送。患者さんが診療所から出発するときに、ケアマネージャーさんたちが救急車を見送っていたので、その後すぐに、上記のように説明をした。


 「あぁ、そんなに状態が悪かったのですね。ただ身体が冷えていたから、あっためてあげればそれでいい、と思っていました。勉強になりました。ありがとうございました」

 とのこと。う~ん、感謝していただいて、こちらの話を理解していただいて大変ありがたいのだが、逆に言えば、診療所の医療レベルが…、ということでもある。


 内科は医学、医療の基本なので、よほどの苦手意識がなければ、医師は基本的な内科医のふるまいをすることは可能だと思っている。しかし、各診療科がそれぞれの深さを持っているように、内科も同じように深さを持っている。私は総合内科専門医であるが、それは、内科という分野の深さがどれだけのものか、ある程度推測できる程度には内科を理解しているということに過ぎない、ということが専門医を取得してわかった。患者さんの話を適切に聞くこと、身体所見を丁寧にとること、情報をまとめて、鑑別診断を上げ、診断のステップを進んでいくこと、そして、first touchの時点で、そこまでの道筋が見えている、ということが専門医だろうと思う。前項で、「私の予想通りになった」と書いたが、そこまで見えてようやく入り口なのだろうと思う。


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