第19話

 その喫茶店は珈琲の香りが全くせず、代わりに鉄のような匂いが充満していた。


「ここは吸血鬼御用達の店。今はル・マン・ゲーロが経営してるの」


「ゲーロさんが?」


「かつて星の数ほどいた吸血鬼とその眷属は今や貴方たち姉弟だけなの。もはや需要がなくなった吸血鬼用の店たちはどんどん打ち捨てられていったのだけど、この店だけはあの爺が買い取ったの」


「どうして?」


「さあ?あたいは知らないの。今度会った時にでも聞けば?」


「いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと」


 蜘蛛足の店員がカップを置く。一つはただの水、もう一つは血液が入っていた。


「ここにメニューはないの。あるのは水か血か。吸血鬼には血を出して、それ以外には水。そりゃ、吸血鬼以外は寄り付かない訳なの」


 フェミナは豪快に水を飲んで


「おかわり!」


 とカウンターの方へと叫んだ。


「だから、ガルマと話すにはうってつけの場所ってわけなの」


「でも、どうしてあの蜘蛛さんは僕が吸血鬼だなんて分かったんだろう?」


 ガルマが首を傾げると、フェミナは"何を今更"という表情をしながら鼻で笑った。


「虫は血に敏感なの。開血してたら嫌でも相手が吸血鬼だってわかるの。それに、大方オーナーの方から貴方のことを聞いてるんじゃない?」


 そんなことより、とフェミナはテーブルに肘を着く。


「さっきの鎧集団は今の洋焉を実質的に取り纏めてる集団の一味なの。その集団のトップがディアナ。蛇の癖して尻尾がコンプレックスの小心者。だから、魔法で見せかけの足なんか生やして、ああやって街中を練り歩いているの。あー、みっともない」


「お待たせしました」


 店員が水のお代わりをそっとテーブルに置いた。


「ねぇ、あんたもそー思わない?」


「ノーコメントで」


 彼は一礼だけすると、いそいそと奥の方へ入って行ってしまった。


「ま、皆も少なからずそう思ってるってことなの」


「へ、へぇ〜」


「膨大な洋焉を一纏めに出来ていたのはユーロンが持つ尋常ではない力のおかげ。そのユーロンが消えたとき、熾烈な後継者争いが始まったの。一目散に玉座を狙う者、争いに辟易して洋焉を去る者、まったく興味を示さない者、選り取りみどりだったの。


 フェミナは頬杖をついて、溜息を吐いた。


「え?それじゃあ、集落が立て込んでるっていうのは......」


「そういうことなの。あー、めんどくさい。あたいは誰が王になろうがどうだっていいのに」


 水をグイッと飲んだ後、「話がそれたの」と彼女は姿勢を正す。


「とにかく、ディアナはその争いに勝利したの。でも、彼女が手にした洋焉は以前より遥かに勢力を失った絞りカスみたいなものだったというわけ」


「じゃあ、此処でユーロンの名前を口にしたらダメっていうのは?」


「んー、それはディアナとはあまり関係ないの。ユーロンが恨まれてるのはと思われてるから。ま、誇りだの何だの言いながら勝手に弱って引き篭ってちゃあ、そう思われても仕方ないの」


「そっか......」


「そんな悲しそうな顔しないの。ほら、早く飲まないと酸化して不味くなるの」


 フェミナが促すと、ガルマは一口だけ含んだ。


「ん?これ何の血なんだろう?」


「人間の血でございます」


 店の奥からくぐもった声が返ってくる。


「これが?人間の血?今まで僕が飲んできた血と全然違う!」


 ガルマは驚愕した。そのに!


「あー、あの姉妹。ガルマにもあたいが送ってる残飯を食わせてるの。可哀想すぎるの〜!もういっそ、あたいがガルマを養ってあげるの〜!」


 そう言いながら、フェミナはガルマに抱きついた。ガルマは困惑しつつも、彼女を振り払おうかどうか迷い、結局振り払えずにいた。


「そ、そう言えば、前にも言ってたけど、あの血ってフェミナさんが送ってくれてるんだね」


「ま、そうなの。送ろうと思えばもっと良質な物を送れるけど、あの姉妹の希望で行き倒れの死体とか誰も手をつけない悪質な素材をわざわざ処理して送ってやってるの。あたいの立場上、表立ってできないから、超メンドーなの!」


 フェミナはわざとらしく怒り、しかも「プンプン」と声に出した。


「ま、それももう終わった話なの。あの時のフランシスを見た限り、ユーロンは再び洋焉に返り咲く」


 彼女はうっとりとした顔付きで、虚空を見つめる。おそらく、フランシスの姿を想像しているのだろう。


「それって......?」


「あんたのお姉様方はってことなの。もちろん、その弟であるあんたもね!」


 ガルマの頬がプニプニとつつかれる。


「さ、そろそろ帰るの。勝手にガルマを連れ出してるってオルレアーヌにバレたら面倒臭いの」


 フェミナはガルマの腕を引く。


「代金はル・マン・ゲーロに付けといてなのー!」


「かしこまりました」


「じゃ、帰るの」


「いいの?勝手にゲーロさんの名前使って、後で怒られない?」


「ガルマが来たって言えばあの爺なら喜んで払うの。それどころか、追加でお小遣いまで貰えそうなの」


 ベェ、と嫌そうな顔をして舌を出すフェミナ。

 ガルマはなんでそんな顔をするんだろうと不思議に思い、フェミナと彼は仲が悪いのだろうか。もしそうならちょっと悲しいな、とまで考えた。


「帰りは超特急なの。しっかり掴まってなさいなの!」


 ガルマがフェミナの腕を掴むと、彼女は風よりも迅く、飛び上がった。


「またご来店、お待ちしております」


 扉のベルは久々の客を名残惜しむように、寂しげにチリンと鳴いた。





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unraveling of blood 〜血脈の在処〜 肉巻きありそーす @jtnetrpvmxj

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