第125話

 ――私、何やってるんだろ


 気づいたら、春明の手にひかれるまま歩いていた。

 灯乃はこの状況に困惑し、けれどその手を振り払うこともできずに、カチコチに固まった体を何とか動かしてついていく。


 ――何でこんなに緊張するんだろう? ドキドキして、恥ずかしい。相手は春明さんなのに


 いや、彼だからなのだろうか。

 灯乃はチラッと春明の横顔を覗くと、そのあまりに整った容姿にうっとりとし、頬を赤く染めた。

 すると、それに気づいた彼が灯乃に優しく微笑みかける。

 それだけで彼女の心臓は爆発しそうな程に大きく跳ね上がった。


 「灯乃ちゃん、こっち来て」

 「え……?」


 春明に言われるまま灯乃がそちらを見ると、いつの間にか南側の客間まで来ていて、目の前には斗真の使用する部屋が映った。


 「ここって……」

 「入りましょう」

 「え、でもこの部屋は斗真の……」


 本人の承諾なく勝手に入ることに灯乃は躊躇いを感じるも、春明に否応なく引っ張り込まれ、呆気なく襖が閉じられた。

 それだけ斗真と春明は気心知れた仲なのだろうか。

 勿論そこに斗真がいる筈もなく、辺りは静寂に包まれ、夜の闇に溶け込むような暗い室内が広がっていた。

 今朝まで使っていたからか、斗真の気配を感じるような気がする。

 そう思うと、彼がいないことを再び思い出して寂しさがこみ上げた。


 ――ところで、どうして春明さんは私をここへ?


 灯乃がそう思った瞬間、急に春明の手に力が籠り、油断していたところで壁に押し付けられた。

 灯乃が驚く間もなく両手を塞がれると、彼の息が耳元まで近づき、いつもとは違ったあの声がもれる。


 「ここならゆっくり話せる――ねぇ、教えて。斗真君に何を命令されたの?」


 ぞくぞくと全身に伝わるような低い声。

 灯乃は思わず震え、顔を真っ赤にさせたままきつく目蓋を閉じた。


 「春明さん……あの、近い……」

 「教えてよ。じゃなきゃ離さない」

 「えぇ……っ」


 無理矢理聞き出そうとする春明から、灯乃は動揺を抑えきれず何とか離れようとするが、押さえ付けられた手がびくともしない。

 容姿とは大きく違い、力強い男の手。

 そのギャップにもドキドキして、灯乃は彼を余計に男性であると意識する。


 「隠さなきゃならない命令でもないんでしょ?」

 「……そう、だけど……」


 灯乃は春明から背けるようにしてそっと目を開いた。

 どうしてこんなにも強引なのだろう?

 仲が良いなら、斗真に訊ねれば済む話なのに。

 灯乃はそう思いながらも、どこかでざわつく気持ちを感じた。

 相手が春明ならば、斗真は隠すこともしないだろう。


 ――そう、春明ならばきっと……彼は……


 「……知りたいなら、斗真に訊けばいいじゃない」

 

 自分で言っていて、胸にチクリと痛みが走った。

 苦しい。

 本当に斗真と春明の仲を嫉妬しているのだろうか?

 じわじわと醜い何かが溢れてきそうだ。


 ――どうして……?


 思わず泣き出してしまいそうな灯乃を見て、春明は冷えた視線を向けた。


 「……妬けるわね。あたしはあなたの口から聞きたいのに」

 「え……?」

 「だって彼から聞いたって意味がないでしょ?」


 春明は灯乃の顎を指で軽くクイッと持ち上げると、互いの目をかち合わせた。

 それだけで、彼のあの眼が灯乃の中に入り込んでくる。


 「あ……春、明さん……っ」

 「だって、他人から聞いたものなんてただの情報でしかないわ。あなたの秘密はあなたから聞いてこそ、秘密を共有できると思わない?」

 「私と、春明さんとの秘密?」

 「そう。あなたと斗真君しか知らない筈の命令を、あたしも知っているという、あたしとあなただけの秘密」


 春明はそう言うと、顔を近づけさせてきた。

 彼のその眼が迫ってくるにつれ、灯乃はそれから逃げられなくなっていく。


 ――春明さんと、二人だけの秘密が手に入る。欲しい? 私は、それが欲しいの?


 心の迷いとは裏腹に、灯乃の目はこのまま彼を受け入れるように静かに閉じる。


 ――私が欲しいのは……


 “そんなことさせない。絶対に”


 その時、突然斗真を思い出して、次の瞬間、灯乃は思わず本気で春明の体を押しのけていた。

 その光景に春明は勿論、灯乃でさえ驚く。


 「あっ……私……」

 「……どういうつもり?」

 

 だんだん不機嫌な表情に変わっていく春明に気づき、灯乃はしまったと一瞬思った。

 いったい何をしているのだろう、と思うが、体が完全に彼を拒絶している。

 違う、何かがそう告げている。

 欲しいのは――


 “必ず助けてやる。護ってやるから”


 「ごめんなさい、春明さん。やっぱり斗真に訊いて」


 互いの体が離れたのを良いことに、灯乃は逃げるように襖に手をかけた。

 だが、その手を春明が再び掴み戻す。


 「あたしが、逃がすと思う?」


 怒りが入り交じったその力に灯乃はドキッとするが、その瞬間、何故か意識がぐらついた。

 大きな眩暈のようなものが彼女を襲い、頭の中で何かが切り替わる。

 そして――


 「――惜しいな。貴様が娘であるなら喰えたものを」

 「……っ!!」


 向けてきた彼女の視線の色が翡翠に光り、春明は目を見開いた。


 「――紅蓮の三日鷺……!?」

 「少し、我と話をしようではないか」

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