第36話

 「ねぇ、何処行くの?」


 灯乃が春明の背を追いかけついて行くと、浮き足立つ春明は進む先を指差す。


 「茶室よ。叔母様はだいたいあそこにいらっしゃるの」

 「もしかして、亜樹様に雄二のこと頼みに行くの? 無理なんじゃ……」

 「大丈夫よ、ちゃんと貢ぎ物はあるんだし」

 「貢ぎ物?」


 春明はある一室の前に止まると、二枚の障子が立つ貴人口から声をかけ中に入った。

 亜樹に贈る物とは何なのだろう?

 見る限り、手には何も持っていないようだが、ポケットにでも入れているのだろうか?

 そんなことを灯乃は考えながら、春明と共に入り中を覗くと、茶炉の前に座る亜樹がこちらを振り向いた。


 「春明ちゃん、いらっしゃい。それと灯乃ちゃん、だったわね? どうしたのかしら?」

 「叔母様、お願いがあるの。ちょっと聞いて貰えないかしら?」


 春明はそう言って正客に座り、話をすぐに切り出す。

 灯乃も続いて次客に座ると、亜樹は気軽に菓子鉢を差し出しながら姿勢良く綺麗な佇まいで聞いていたが、彼の話が終わると、困ったように眉をハの字に垂らした。


 「……うーん、大会にねぇ。それはちょっと無理があるわ」

 「そこを何とかならないかしら、叔母様の力で」

 「リスクが大きすぎるわよ。学校に通うだけならまだしも、大会に出るとなると、揉め事を起こした時点で出場停止は必至よ。火事の件も解決していないし、難しいわね」


 亜樹の最もな返答に、灯乃も春明もうなだれて落ち込む。

 しかしそんな時、二人の様子を見ていた亜樹が両手をパチンと合わせて弾んだ声を上げる。


 「――とまぁ、それが正論なんだろうけど」

 「え?」

 「可愛い春明ちゃんの頼みだもの、叔母様だって頑張っちゃうわ」

 「え……それじゃあ!」

 「えぇ、叔母様に任せなさい!」


 亜樹がドンと自信満々に胸をはり笑顔で答えた。

 きっと良い対策案に心当たりがあるのだろう。

 二人は大喜びでハイタッチすると、その時、亜樹の瞳が一瞬あやしくキラリと光った。


 「ところで春明ちゃん――分かってると思うけど」

 「もちろん。分かってるわ、叔母様」

 「え?」


 春明は亜樹に目配せし、灯乃が首を傾げていると、そんな彼女の両肩を唐突に春明がポンと押した。


 「わっ! なっ何!?」

 「お好きなだけどうぞっ」

 「え? え?」

 「ありがとう、春明ちゃん!」


 灯乃の身体を亜樹は受け止めると、満面の笑みでギューっと抱きしめた。

 その力といったら、背骨が砕けてしまうのではないかと思う程に強い。

 灯乃は何とかもがいて呼吸だけでも確保すると、企みを含んだ微笑みを浮かべる春明が一瞬垣間見えた。


 「叔母様はね。可愛い子に色んな服を着せて遊ぶのが趣味なの」

 「え゛」

 「タダという訳にもいかないでしょ? これも雄二君の為、私は涙を飲んであなたを送り出します。そういう訳で、後よろしく」

 「えぇぇっ!!」


 そう言って素早く部屋を出て行く春明に、灯乃はしてやられたと思った。

 貢ぎ物とは灯乃自身、春明に頼り過ぎていたのを今になって後悔する。


 「ちょっと待って! 春明さぁぁ――ん!!!!」


 しかし幾ら叫んでも彼が戻ってくることもなく、亜樹の嬉しそうな笑い声が耳を擽る。


 「うふふ、それじゃ早速着てもらうかしら♪」

 「えぇっと、何を……?」

 「色々揃ってるわよ。でも、それよりもやっぱりまずはお風呂かしら? その埃まみれの身体を綺麗にしましょ」


 亜樹はその怪力で灯乃の腕をぐいっと引っ張ると、ウキウキとした様子で茶室を後にした。

 一方、雄二のいる南部屋へ春明が向かっていると、それを使用人達が寄宿している離れから出てきた道薛が見かける。


 「おや、春明様はお元気になられたようだな。よかった、よかった」


 まるで子を見る親のような目で眺め、道薛は空へと背伸びした。

 ここに来るまでに溜め込んだ疲労感が彼にも色濃く表れているが、身分によって自身のことは二の次、彼は自然に溜息を漏らす。


 「風呂にも浸かりたいところだが、使用人如きの私が先に浸かる訳にはいかん。ここは我慢、我慢」


 仁内のせいで謹慎となった者達に代わり、暫く分家の使用人として留まることになった道薛達は、今まで寄宿舎の整理をしていたのだった。

 そしてその目処が立ち、道薛は休憩に出てきたのだが、くたびれた服や髪を見てふと悩み出す。


 「しかしながら、いつまでも見苦しい格好のままではなぁ。ここでの新しい着物も頂いたことだし、湯につかれずとも身形は整えておくべきかもしれん」


 道薛はそう独り言をぼやきつつも、手は髪を労わる。

 何だかんだと建前を並べても、彼が一番気にしているのはどうやら髪のようだ。

 するとその時、何処からか慌しい足音が聞こえて来て、道薛が振り向くと、目を見開き必死の形相で駆けてくる雄二を見つけた。


 「おや、雄二殿。そんなに慌てて、如何なされ……」


 かける言葉が言い終わる前に雄二の足が庭へと飛び込み、思いのほか勢いよく舞い散った土が道薛の全身に降りかかった。


 ――ぐちゃっ!


 「わりぃ! オッサン!」


 本当に悪いと思っているのか、いないのか。

 軽く謝って去っていく雄二に、返す言葉もなく、ただ茫然と立ち尽くす道薛。

 そこを素早く朱飛も通り抜けていくが、彼は気づいているだろうか。

 そんなところへ少し遅れて春明が現れ、入れ違ったのか、雄二のことを訊ねて来る。


 「ねぇ、道薛。雄二君見なかった?」


 キョロキョロしながら探す春明だが、彼に危機が迫っているのを感じ取ってか、若干そわそわしていた。

 しかし今の道薛には、そんなことに気づく筈もなく、自分自身の現状から来るショックで、ただ訊ねられた質問に答えることしか出来なかった。


 「……雄二殿なら、今し方あちらに……」


 普段とは違い、反応がおかしい彼に漸く春明も気づいて、その変わり果てた姿を見る。

 頭からつま先までまだら模様に土がぐちゃっとこびりついた、居た堪れないその姿。


 「大丈夫……?」

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