ChapterFinal:終焉

 月の裏側に浮かぶ、モントレー家のスペースコロニー。

 巨大な電球を思わせる全容の内、球状の部分が居住モジュールとなっていて、それら全てがモントレー家本邸の敷地となっている。

 内訳は主にモントレー親子が寝起きする屋敷やそれに付随する庭園、そしてそれらの管理人や父ドレイクと息子ジョナサンの部下のための居住区。当然、住人は全員モントレー家のを知る者達である。

 今、居住モジュール内側にある建造物群の一角が、外側からの力で爆裂した。球体の中心点に向けて火柱が上がり、巨大な穴を残して収縮する。

 その轟音は屋敷の地下層部にいるドレイク達にもはっきり伝わってきた。

「侵入されたか……」

 パイロットスーツの着心地を確かめながら、ドレイクは呟いた。着るのは十数年ぶりだ。少し腹がきついように感じる。

 ここはモントレー邸直下のウォーレッグ格納庫。"エキドナの子"を迎撃すべく、モントレー親子も出撃準備に入っていた。

「ちくしょう。なんでどいつもこいつも、あんなガキ一人にられるんだよ。おかげで俺達まで出なきゃならなくなっちまった」

 パイロットスーツを腕にぶら下げたジョナサンが毒づく。

 その傍らには既にスーツを着たモハメドと、縛り上げられたままのサイモンがいる。

「これでお前が怒らせた相手がどんな存在だか、分かっただろう。おまけに逃げる場所もなければ、頼れる味方ももういない。戦うしかないだろう」

 ドレイクはうんざりしたように応えた。

 彼は息子が"エキドナの子"に目を付けられたと知った時点から、雇った殺し屋の最後の一人を送り出すまで、裏社会にSOSを発し続けた。

 だが結局今まで色良い返事はとうとう返ってこなかった。殺し屋ギルドからあの3人のウォーレッグ乗りを雇うのが限界だったのである。

 そして頼みの綱の殺し屋達も全滅した。こうなった以上は、己の身を己で守る以外に方法はない。そう判断したドレイクの言葉だった。

「……! ……!」

 サイモンが何かを喚いているが、猿轡を噛まされているせいで、何を言っているのかまでは分からない。

「ジョン、ところでそいつはどうするつもりだ」

 ドレイクはサイモンを顎で示しながら尋ねた。

「コックピットにでも放り込んでおくさ。囮くらいにはなる」

 ジョナサンがそれを蹴飛ばすと、嘘のように静かになった。

 空戦用タスクが背負ったフライトパックの、悲鳴めいた推進音が地下格納庫まで聞こえてきた。


 空いた穴からコロニー内に突入して早々、ハイドラはタスク空戦仕様の手荒い歓迎を受けた。

 建造物の間や森として植え込まれた木々の中から、次々と迎撃に上がってくる。

 ガス管が通っている部分を狙って、ブラスターライフルを撃ち込んだのだが、少し目立ちすぎたようだ。

 数は7機。ハーキュリーズはあっさり追い抜いて上昇できるだけ上昇し、空気が抜ける突風の中を必死に追ってくるタスクに、ホバリングしながらライフルを向ける。

 3連射。全弾命中。コックピットに正確に穴をあけられた3機のタスクが、ゆっくりと落ちていく。

 ライフルをクリップに戻し、プラズマバトンを引き抜く。

 スラスターを停め、人口重力に任せて自由落下をかけながらすれ違いざまに3機。

 1機は胴体を横一文字に斬られて爆散。1機はコックピットを串刺しにされてそのまま投げられる。

 最後の1機は斬り付ける直前にパイロットが脱出した。狙いがずれて両脚を切り落とす。

 だがハイドラは慌てず射出されたコックピットブロックをロックオン。腕部バルカンを浴びせた。

 ハーキュリーズのスクリーンモニターに表示されたカーソルから、"生命反応消失"のメッセージが付いたタグが伸びる。

 7機目は不利を承知で足を止め、こちらにサブマシンガンを向けてくる。

 発射される前に左足で弾き、右足で頭部を軽く蹴ってやる。

 そのままバランスを崩したタスクの胴体を両足で踏みつけ、スケートボードのように乗りこなしながらへ。

 宿舎らしい建物を破壊しながら着地。そのまま右踵のリニアパイルでコックピットを確実に貫く。

 第2波が来る気配はない。レーダーに映るのは、先程ハイドラが開けた穴の方に向かっていく無人ワークレッグ位だ。

 これはコロニーの空気がなくなるのが先か、無人ワークレッグが応急処置を終えるのが先か。

 ハイドラはスラスターを吹かし、ハーキュリーズを再び飛び立たせた。住居らしい建物が集まる区画を離れ、一見リゾート地のような整備された緑の区画へ。

 その周囲を森で囲まれた湖の畔に、生垣が幾何学文様を描く庭園を伴う本邸があった。

 立地条件は別邸と似通っているが、横幅が広く、全体的に重厚さを感じるそれはハイドラ達の住んでいた家に通じるものを持っていた。当然、別邸にあった悪趣味さは微塵も感じられない。

 その屋敷の前に4機のタスクが陣取っている。

 うち3機はフライトパックとコンテナこそ外されているが、ジョナサン一味が乗っていた緑・赤・青の3機だ。

 残りの初めて目にする1機は、つやのある黒に塗られている。

 おそらく父ドレイク・モントレーのタスクだろう。

 ハイドラは統合大戦中、彼が黒をパーソナルカラーとしていたというエピソードを思い出していた。


 屋敷前の庭園で敵を待つドレイク達の前に、遂に白いウォーレッグが現れた。

 カメラモニターには"該当なし"のメッセージが表示されている。ナンバープレートが付いていないことからも、個人所有ではなく純粋な軍用のウォーレッグとして造られた機体であることが分かる。

 直接目にしたその姿に、ドレイクが抱いたのは「美しい」という感想であった。

 地球統合政府純正のウォーレッグは、基本的に生産性を重視しており、現行の最新鋭機L4タスクを始め、直線を基本とする工業製品じみた容姿をしている機体が多い。

 それに対しウィングを開きバックパックと脚部のスラスターで飛ぶ敵ウォーレッグの、精密機械で金属塊から削り出されたような姿は、白鳥を思わせる気品がある。

 この機体が、ドレイクの所有するウォーレッグや、殺し屋ギルドからの3人の刺客を屠ってきた"エキドナの子"の駆るウォーレッグだとは、俄かには信じ難かった。

 身構える3の前に、白いウォーレッグがゆっくりと降りてきた。

 シールドとライフルは両肩のウェポンクリップにマウントされ、手は完全に徒手の状態だ。

 よほど自信があるのか、それともこちらを舐めているのか。どちらにせよ戦うだけだ。

 ドレイクは兵装セレクタから近接武装を選択した。乗機の黒いタスクが腰後部のホルダーからハイバイブダガーを引き抜く。

 隣のモハメドが乗る赤いタスクも同じくハイバイブダガーを構える。

「やらせはしない。行くぞ!」

 ドレイクとモハメドは、白いウォーレッグへ向けて同時に突進した。


 先手は相手が取った。

 ハイバイブダガーを体の前に構え、黒いタスクと赤いタスクが向かってくる。

 計算通りだ。

 ハイドラも両操縦桿前のタッチパネルに兵装セレクタを呼び出し、プラズマバトンを選択して応える。

 ハーキュリーズは両大腿部から目にも止まらぬ速さでプラズマバトンを引き抜き、片方に一本ずつ握った両手を無造作に突き出した。

 その先には赤と黒のタスク。

 突如現れた緑の死の光に自らの勢いのままコックピットブロックを貫かせ、パイロットを消滅させた2機はハイバイブダガーを振り上げた格好で動きを止めた。

 ハーキュリーズはプラズマバトンに刺さった機体を横に乱暴に投げ捨てながら歩き出す。

 その先に居た身構えもしない青いタスクは右腕部バルカンを胸に押し当てて弾を撃ち込み、左腕のシールドで払い除ける。

 青いタスクは糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 これで後はジョナサンの緑色のタスクだけだ。

 ハーキュリーズが一歩前へ踏み出すと、タスクは一歩後ろへ下がる。

 どうもパイロットは――ジョナサン・モントレーは、怯えているようだった。

 ハーキュリーズが一歩前へ踏み出すと、タスクは一歩後ろへ下がる。

 実を言うとハイドラは、タスクの造形は嫌いではなかった。

 ハーキュリーズが一歩前へ踏み出すと、タスクは一歩後ろへ下がる。

 機構を共通化された各関節部や、装甲と一体成型されたウェポンホルダーを始め、量産性向上のための工夫が各所に施された武骨な姿は、四輪駆動4 W D車を思わせる独特な機能美がある。

 ハーキュリーズが一歩前へ踏み出すと、タスクは一歩後ろへ下がる。

 だが、ジョナサンのタスクは、その美しさを完全に殺していた。おそらく見栄え以外に意味のないデコレーションだろう。

 ハーキュリーズが一歩前へ踏み出すと、タスクは一歩後ろへ下がる。

 そのままタスクは玄関のひさしに足を取られ、本邸を破壊しながら背中から無様に倒れ込んだ。

 改めて機体を観察する。絶望的にセンスがない。

 まず頭部のランプセンサーは左右から上に向かって水牛の角のように張り出し、釣り目の形にスリットが入った、逆三角形のマスクが取り付けられている。見た限り可動機構はない。竜のつもりなのだろうが、射撃の時どうする気なのだろうか。

 肩から腕にかけては、炎のような模様が浮き彫りにされ、腕外側のフィン状のパーツと繋がっている。フィンは近接戦闘に使えそうに見えるが、軟質素材なのか建物に当たってひん曲がってしまっているのが情けない。

 箱をいくつも組み合わせたような胴体は、その凹凸おうとつ部をほとんど埋められてしまい、起伏の乏しい形になってしまっている。まるで緑色の巨大な冷蔵庫だ。

 腰部分も装甲が下に向かってスカートのように長く伸び、どこまでが胴体でどこからが腰なのか分からない。可動性は大丈夫なのかといらぬ心配をしたくなる。

 そのせいでまるで胴体から直接生えているようにも見える足は、細長い菓子の箱を二つ縦につなげたような投げ遣りな大腿部と脛部分の下に、まるでサイズの大きすぎる靴を履いているような偏平足の足首が付いている。その爪先には申し訳程度の爪。

 その手足と頭のついた冷蔵庫が開き、コックピットからジョナサンが這い出してきた。

 何か言っている。その声をハーキュリーズの外部集音マイクが拾う。

『おーい! 待ってくれー!』

 ふらつきながらタスクを降り、その上をなんとか渡り歩きながらハーキュリーズの足元までやってくる。

『分かった! 分かったから! 悪かった! 俺が悪かったから!』

 どうやら命乞いらしい。

『望みは何だ? 金か? 金ならある。お前らが一生遊んで暮らしても無くならないくらいだ。いくらでも出す。言い値で出す。それとは別に俺達が壊した物も全額弁償する。何なら伝手つてで腕の立つ職人を紹介してやってもいい。そうだ、オークションで売り捌いたものも全部買い戻す。お前の家に返すまでにかかった金も全部うちが負担だ。それだけじゃ不満なら、組織の連中に、上は親父から下は鉄砲玉まで全員に、もうお前らには手を出さないと約束させる。口約束が信用できないならサイン入りの誓約書も書かせる。俺の謝罪を望んでいるなら謝るお前が望む場所で望む時間の望む状況で望む格好で謝罪してやるだか』

 ハーキュリーズの足が、ジョナサンを踏み潰した。

 人の身体が潰れる生々しい音と共に、鮮血が飛び散る。

 ハイドラには命乞いを聞き入れるつもりはなかったし、最後まで言わせるつもりもなかった。

 278文字。足を上げてから下ろすまでの数秒の間に、よくもこんなに台詞を吐けたものだ。内容はよく分からなかったが。

 ふと気が付くと、コンソールモニターの平面レーダーに生身の人間の反応が映っていた。方位は真右。こちらに近づいてくる。

 ハーキュリーズにその方向を向かせると、スクリーンモニターの中央にハイドラが再会を待ち望んでいた女性の姿を捉えた。

 片膝を突かせ、シャッターとコックピットハッチを開く。察したようにハーキュリーズの巨大な手が胸の前にやってくる。

 ハイドラはその掌に乗り、スーツ左腕のターミナルを操作する。手は地面に向かってゆっくりと降りていく。

「母さん……」

 ヘルメットを脱ぎ捨て、両手を伸ばしながら近寄るハイドラに、ディシェナは平手打ちを浴びせた。

 痛みと安堵と哀切が入り交じり、目から涙となって溢れ出しかける。

 理由はよくわかっていた。

 日常を壊された報復のためだけに、自分は数多くの命を奪った。

 そして理解した。

 復讐を果たしたところで、失われたあの日々は二度と戻ってこないのだということを。

 だが、この戦いが無意味だったとは思わなかった。

 力なく頭を垂れたハイドラを、暖かい物が包み込んだ。

「…………」

 ディシェナが何か言った気がしたが、よく聞こえなかった。

 終わってしまったなら、また始めればいい。

 少なくとも、かけがえのない母親代わりの、いや母親そのものと言ってもいい女性ひとが、今こうして生きている。

 ハイドラは、ハイドは、しばらくの間ディシェナの胸の中で泣いた。


 スペースコロニーの外壁を突き破り、ハーキュリーズが脱出した。

 コックピットのパイロットシートにはハイドが、サブシートには本邸からくすねてきたアストロスーツを着た――ハーキュリーズは私服で搭乗することを推奨していない――ディシェナが座っている。

 今、スクリーンモニターに表示されたウィンドウに、後部カメラの映像が映し出されている。

 映っているのは見る間に遠ざかり小さくなっていくモントレー家のコロニーだ。

 その映像の中で突如、コロニーの一角から赤い炎が噴き上がった。

 この巨大な宇宙建造物の動力を担う、ワイズマン・リアクターをオーバーロードさせたのだ。

 一つ、また一つと炎が増えていき、コロニーが徐々にその形を失っていく。

 最後に宇宙を白く照らすように全体が光り輝いたかと思うと、中心部から膨張してきた青白い火球に包み込まれ、モントレー家のコロニーは宇宙から消滅した。

 帰ろう。これで全て終わりだ。

 ハイドはウィンドウを閉じると、静かに前を見据えた。

 ハーキュリーズを高速巡航形態に変形させ、ある航路に乗せる。

 その行く手には、幾千の星が瞬く闇の中に浮かぶ地球の姿があった。

 こんどはどこで暮らそうか。やっぱり、海に近い場所がいい。

 ハイドとディシェナはもう、新しい暮らしに思いを馳せ始めていた。


(おわり)

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ハイドラ・エネア 正木大陸 @masakidairoku

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