第三話 天地のボールペン

 ウイーン

 ピロリンピロリン


「いらっしゃっせー」


 昨日と同じ「いらっしゃいませ」の声に迎えられ、雨水を払った三本の傘を傘立てに差した。店内は、外の蒸し蒸しとは別世界のような、心地よい空気が満ちていた。


「涼しい~」


 さっきまで「暑い、暑い」とだっていたミコの顔が、一気に和らいだ。


「本当にこんなお店あったんだね~」


 店に入るまで「あの辺にお店なんてなかったよね」と疑っていたマユは、キョロキョロと店内を見回し始めた。


「お姉さん、また来ました! ボールペンまだ残っていますか?」


 とてもかわいいボールペン、ミコとマユとお揃いで使いたいと思って、二人を誘った。

 

「こちらにありゃーす!」


「よかったぁ、まだあった! 見て見て!」


 三本すべて残っていたのが嬉しくて、テンションが一気に上がり、少し離れた場所にいる二人を手招きして呼んだ。


「ホントだ、かわいい! よく見つけたね、ヒナ」


 マユは気に入ってくれたみたい。


「でしょでしょ! ミコはどう?」


「うん、かわいいと思う」


 かわいいもの好きだけど、その分こだわりが強いミコの「かわいいと思う」の言葉を引き出せた。


「しかも220円!」


 二人の反応がよく嬉しくなった私は、その値段の安さも自慢げに強調した。

 白い翼の模様がかわいいとか、ペンクリップに描いてある鳥の絵がかわいいとか、色を変えるために回すと鳥の目の色が変わるのが面白いとか。ボールペンについてしばらく盛り上がった。

 盛り上がりが落ち着いた頃に、三人でボールペンとお金を店員さんに渡した。


「これ、お願いしまーす」


「お買い上げありがとうござぁーす。気に入らなければ返品できみゃーす」


 店員さんがボールペンを袋に入れ始めた。


「そういえば来週どこ行こっか。大月橋、楽しみにしてたんだけど……」


 夏休みも残り少なくなる来週、思い出作りに出かける予定を皆で立てていた。その行き先の相談をマユが切り出した。


「まさか橋が落ちちゃうなんて、ほんとびっくりした……」


 学校で少し話題になっている"映えスポット"、大月橋という吊り橋に三人で行く予定だったが、その橋が落ちてしまった。


「うん。残念だけど……仕方ないよね」


 マユは「写真たくさん撮ろうね!」「絶対晴れて欲しい!」とすごく楽しみにしていた。私は高い所が苦手だったので、楽しみと不安が半々だった。ミコは暑いのが苦手だから「曇りがいいな〜」と言っていた。


「でも、落ちた人には申し訳ないけど、私たちが行った時じゃなくてよかったよ」


 一番楽しみにしていたマユが一番大人だった。

 

「そうだね……。橋から落ちちゃった人たち、新婚だったらしいよ」


「二人ともまだ意識が戻ってないって、お母さんが言ってた」


 ミコのお母さんが勤めている病院に搬送されてきたって、前に話してくれた。重体って言ってたけど、大丈夫かな。


「幸せだったはずなのにね……、かわいそうだね」


「でも、なんで落ちちゃったんだろうね」


「まだはっきりわかってないみたい」


「お待たせしみゃしたー、ボールペンれぇーす」


 店員さんがボールペンを袋に入れ終え、渡してくれた。


「ありがとうございまーす」


 三人でお礼を言いながら一つずつ受け取った。


「そのボールペンは、赤いインクを先に使い切ると良い事が起きるので、赤から使ってくだしゃーい」


「へ~、そうなんだ~」


 "昨日聞いた内容と少し違う気がする"と思ったけど、どこがどう違うのが思い出せない。マユなら「思い出せないなら大したことじゃない!」って言うはず。


「面白そうだね~」


 ただのおまじないだろうけど、面白い事が大好きなマユは目をキラキラさせている。


「でも赤を先に使い終わるって難しくない~?」


 確かにミコの言う通り、いつも黒と赤の二色ボールペンを使うと黒が先になくなる。


「ありがとうござっしたー」


「また来ますね~、お姉さん」


 言うつもりのなかった言葉が、自然と口から出ていた。でも、また来たい気持ちは本当だった。


「お待ちしておりみゃーす」





「どこにしよっか〜」


「あんまり遠出もできないし」


「うーん、海とかどうかな〜」


「水着持ってないよ〜」


「あ、じゃあ花火大会は? 来週あるって」


「でも台風来てるじゃん」


「まだ先だから大丈夫かも」


 夏休みの宿題を一緒にやるため図書館に向かう途中、さっきの話の続きをして、花火大会が予定通りやるようなら、それに行こうという話になった。

 肝心の宿題は……、しっかり者のミコは八割くらい終わらせていた。逆にマユは英語以外、全然と言っていいほど手を付けてなかった。私は半分くらい。


「飽きた~、勉強飽きた~。……あっ、そう言えば!」


 マユはそう言って、さっき買ってきたボールペンを取り出し、赤い丸をぐるぐるぐるぐると勢いよく書き始めた。


「何してるの、そんな事したらインクなくなっちゃうよ」


「赤のインクが先になくなると良い事あるって言ってたじゃん! ミコは信じてないの?」


「マユは信じやすいね、ただのおまじないだよ、そんなの」


「でもでも、本当に良い事が起きたら、超ラッキーじゃない?」


「赤だけ使い切ったら二色ボールペンじゃなくなっちゃうじゃん」


「黒だけで使えばいいじゃん、かわいいし!」


 私はマユの前向きな性格が好きで、とても羨ましい。一緒にいると「なるほど」って思うような発想を教えてくれる。

 構わずぐるぐると書き続けるマユを、ミコは微笑んで見ている。この二人とこれから先もずっと仲良しでいられたら良いな。


 夕方まで宿題をやり、外に出て傘を差すと風にあおられた。


「ちょっと風が強くなってきたね」


「台風が近づいてるって~、早く通り過ぎてくれないかな~」


「花火大会やるといいね」


「うんうん」


「そうだね。じゃあまたね~」


「「ばいば~い」」


 ミコとマユと別れた後、風がぴゅーぴゅーと吹き付けて傘を飛ばされそうになりながら急ぎ足で帰った。





 翌朝、うるさい風の音に起こされた。

 朝食を終え、自室に戻って昨日買ってきたボールペンを改めて見ると、やっぱりかわいい。赤と黒を切り替えると、描かれている鳥の目の色が変わる。赤インクの時は赤になり、黒インクの時は黒になるのが面白くて、何度も変えて楽しんだ。

 両方の色で少しだけ試し書きをして、ペンケースの中へ大切にしまった。


 台風の二日間は花火大会を楽しみに、宿題を頑張ってすすめた。





 台風が過ぎた日に、マユから電話が来た。


「ごめんね、ヒナ。急な話なんだけど私、お父さんの仕事の関係でアメリカに引っ越す事になったの」


「えっ……」


 びっくりして、言葉が出てこなかった。


「あのね、明後日引っ越すって言われて、準備も今からしなきゃで」


「あ…あさって?」


「うん、だからごめん、花火大会に一緒に行けない……本当にごめんね」


「ううん、マユは悪くないよ。引っ越しの日、見送りに行ってもいい?」


「もちろん! 時間がわかったらまた連絡するね。ミコにも連絡するからまたね」


「ありがとう、がんばってね、マユ」


 電話を切ってからもしばらく頭は真っ白だった。少ししたらミコから電話が掛かってきて、悲しみを共有した。二人だけでも花火大会に行こうと約束した。





 マユが引っ越す日になった。ミコと一緒に駅まで見送りに行って「後で読んでね」と手紙を渡した。


「向こうに行っても元気でね、マユ」


「ありがとう、ヒナ、また連絡するね。ミコが泣くのなんて初めて見たよ……。二人ともずっと友達だからね」


 泣かないで送り出そうって二人で決めていたのに、私もミコも我慢できなくて泣いてしまった。


「……うん、また連絡するね。体に気を付けてね」


「ありがとう、ミコ。まだ暑い日が続くみたいだから、ミコもヒナも気を付けてね。そろそろ行くね」


「元気でね」


「二人もね!!」


 そう言ってマユは、両親と一緒に改札を通って行った。


「寂しくなるね……」


「そうだね……。でも、マユは高校卒業したらアメリカに行きたいって言ってたから、マユにとっては良かったのかも」


「うん、英語だけは頑張ってたし、あのコミュ力ならやっていけそうだもんね」


「ね。ずっとメソメソしてても仕方ないから、今日の花火大会はマユの分まで楽しもうね、ヒナ!」


「そうしよう! じゃあ予定通り、浴衣に着替えて夕方6時に駅前の『犬のサチ像』に集合ね!」


 そうして、私とミコは花火大会に行く準備をしに、一旦家に帰った。

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