第四話 目覚めたらおかっぱだった

――痛みがない、体の感覚が全くない、暑くも寒くもない

――目も見えない、声も出せない

――ふわふわする、私は死んでしまったのかな


『気が付いたようだね』


――耳は聞こえるみたい


『聞こえているのは耳のおかげじゃないよ』


――なぜ聞こえるの?


『なんでだろうね、僕にはわからないよ』


――あなたは誰?


『僕が誰かなんて、どうでもいいよ』


――ここはどこなの?


『このままだと魂が消えてしまうから急ぐよ』


――え?


『きみは最後の記憶、覚えてる?』


――うん、彼と一緒に橋から落ちちゃった


『うん、そうだね』


――私、どうしちゃったの? 死んじゃったの?


『死んではいないよ。生きてもいないけど』


――意味わかんない


『きみたちは、今"生きる"と"死ぬ"の狭間はざまにいるよ』


――ハザマ?


『説明はあとでするよ』


――うん


『本当はこのまま死んでしまうはずだけど、死なないで元通り元気になる方法があるんだ』


――元通りになれるの?


『なれるよ。生きたいかどうか、それだけ教えて欲しい』


――もう少しで私の願いが叶うところだったの、だから生きたい


『わかった。じゃあもう一つだけ』


――なに?


『きみと彼、どちらかにやってもらいたい事があるんだけど、どっちがやる?』


――私がやる


『即答だね、内容もわからないのに』


――うん、どんな事でも私がやりたい


『そうなんだね。きみは強いね』


 *


 何が何だか全く分からないまま、とにかく生きる事が出来るからと"何か"を引き受けた。一瞬だけ意識が途切れたかと思ったが次の瞬間、さっきまでのふわふわした感じとは違い、自分の体に重さがある事に気づいた。


「あ……」


 痛みはなく、目も見え、声も出て、耳も聞こえ、体の違和感はどこにもない。意識がはっきりした私の目の前には、見知らぬ冴えないおかっぱの女性が見える。


「あなたはさっきの声の人?」


 相手も同時に何かを言っているようだけど、声が小さいのか聞き取れない。


「ごめんなさい、聞こえないの。もう少し大きな声でお願い」


 そう言いながら私が耳に手を当てたのを真似するように、全く同じ動きでおかっぱの女性も耳に手を当てた。ゾゾゾっと音が聞こえそうな勢いで鳥肌が立った。


「鏡……? もしかして……これが私の姿? 元通りって言ったのに……ウソ……」


『きみにはこの店で店員をやってもらうよ』


 突然、どこからともなく声が聞こえてきた。


「さっきの声の人……?」


『うん、そうだよ』


「あとで説明するって言ってたよね、説明して」


『そう言ったけど多くは教えられないんだ、そういう決まりだからごめんね』


「決まりって何よ、私をこんな姿にしておいてふざけないで」


『きみの本当の体は病院で治療を受けていて、魂だけは今の体に入っているよ』


「意味わかんない、だからってなんでこんな冴えない顔に……」


『この店で僕が届ける道具を売っていってくれれば、そのうち元の体に戻れるよ』


「それまでこの顔で過ごせってこと?」


『うん、そうなるね』


「本当に元に戻れるんでしょうね」


『きみがしっかり売れば、戻れるよ』


「わかった、信じてあげる」


『うん、あと僕が教えてあげられるのは4つだけ』


「早く教えて」


『1つ、きみはこの店から出られない

 2つ、きみは客にウソをつけない

 3つ、客に聞かれたことは答えなければならない

 4つ、彼の魂は後ろの瓶に入っている』


「それだけ?」


『うん。今教えられるのはこれだけ』


「何よそれ……食事とか服とかはどうすればいいの?」


『食事は要らないよ、そういう体だからね。服もそれしかない』


「楽しみも何もないじゃない……」


『きみは生きるためにそれを選んだんだよ、がんばってね』


「そんなの聞いてない……やるって言ったけどこんな顔も体も楽しみもないなんてイヤよ……」


 泣き言を吐いている間に、声の主の気配がスッと消えた感じがした。


「本当に元に戻れるの? それはいつなの?」

「ここはどこなの?」

「あなたは何者なの?」

「何を売ればいいの?」


 いくら問いかけても返事はなく、耳に入るのは本来の私のものではない声が反響はんきょうした音だけだった。


「自分勝手だわ」


 説明すると言いながらも説明不足の声主にイライラするが、この状況を飲み込むしかないと割り切り、諦めて気持ちを切り替える。


「それにしてもこの見た目、ほんと不愉快……」


 店内の鏡を全て、裏返しにしたり布をかけたりして見えなくした。他に何かないか、ぐるりと店内を見回すとカウンターの後ろの棚に、瓶が二つ並んでいるのが目に入った。一つは空っぽで、もう一つは青白いふわふわした綿毛みたいなものが入っていた。


「あ、瓶……彼の魂が入ってるって言ってたのはこれかしら……きれいだわ……」


 青白いふわふわが入った瓶を手に取り、様々な角度から眺めて元の位置に戻す。


「こっちは何かしら」


 ふと目をやったカウンターの上には、目覚まし時計とメモが置いてあった。


「ひやしどけい、540円……なにこれ、変なの。そうだわ、出入り口はどこかしら」


 この店から出られないなんて言われただけで信じるわけにはいかない、と出入り口を探す。


「ここかしら……あれ?」


 扉を見つけたけれど開け方がわからない。


「他にもあるのかしら……」


 他には……と探してみたが扉は見当たらず、いくつかある窓も開け方がわからない。本当に出られないのかはまだはっきりしない、今はここから出る方法は見つけられそうにない。

 例え外に出られるとしても、こんな見た目で外に出るのはイヤ。


「大人しく言うことを聞いて、元の体に戻れるのを期待したほうがいいわね」

 

 こんな不思議なことを経験してしまっているのだから、信じるしかない。幸いにも棚には多くの本があるので、しばらくは退屈せずに済みそう。

 この冴えない見た目を「そういえば、どこかで見たことがあるかも」と独り言を発しながら、布で隠した鏡を覗き込む。


「本当に冴えない顔……あ、もしかして」


 本棚にメガネケースがあったのを思い出し、中を見てみると眼鏡が入っていた。それをかけてもう一度、鏡を覗く。


「やっぱり、時々行くコンビニの店員だわ……はあ……」


 「冴えないおかっぱめがね」と心の中で思っていた顔をぼーっと眺め続ける。今の自分の顔ではあるが、元の顔からかけ離れていることもあり実感が薄れていく。一時的よ、と割り切り始めた。


「いいわ、こうなったら"冴えないおかっぱめがね"のキャラを真似してやりましょう」


「いらっしゃせーーー、なりゃーーす、ありがとうござっしたーー。あれ、なかなかうまいんじゃない?」


 なりきってみたらなかなかに楽しく、何度も何度も言い方の練習を繰り返してしまった。


 ボーーーーーーーン


「ひゃっ」


 前触れもなく、柱時計が時を告げるような大きな音が鳴った。


「もうっ……なんなの、びっくりした。早く誰か来てくれないかしら……。でも商品ってこれだけ?」


 少し気を紛らわせようとカウンターの上にある冷やし時計を眺めるも、ただの目覚まし時計にしか見えない。


「安いからすぐに誰か買ってくれそう」


 しばらく冷やし時計を眺めていると分針がコチコチと速く動いている。それは、一周回るのに2、3分程度しか経っていない程に速かった。壊れていたとしても直せないため放っておくしかない。

 時計の針を眺めていても仕方ないと思い、時間を潰すために本棚から適当に一冊の本を取る。


「何、この本……全部、真っ白だわ」


 真っ白の本を棚に戻し、今度は背表紙にタイトルのついた本の1巻を手に取り、読み始めた。


 ボーーーーーーーン


「ひゃっ」


 本を読むことに集中していたため、柱時計の大きな音に、お尻が浮く程びっくりした。反射的に冷やし時計を見ると0時3分をさしていた。


「あれ? もしかして、これ……次もそうなら……」


 冷やし時計をちらちらと見ながら本の続きを読みつつボーンと鳴るのを待つことにした。


「そろそろ……」


 ボーーーーーーーン


「やっぱり」


 どうやら、冷やし時計の0時ぴったりに合わせて柱時計のような音は鳴っている。ここまでおかしな事だらけなので、例えこの店の時間の流れが違うとしても、もう驚かない。


「早く誰か来ないかな」


 暑さも寒さも感じない、お腹も空かない、眠くもならない、とてもつまらない。


 ウィーン

 ピロリン ピロリン


 来た、はじめて誰かが来た。さっき練習したキャラになりきろうと役に入りこむ。


「いらっしゃせーー」


 店に入ってきたのは若い男性が一人。外はとても暑いのか、かなりの汗をかいている。男性は、店内をキョロキョロして私しかいないことを確認して、こちらに近づいてきた。

 視線から、こいつ冴えない顔してるな感が漂ってくる。私だって好きでこんな顔になった訳じゃない。それに、あんただって見た目パッとしないダサの癖に。生意気だわ。


「あの……ノボリに書いてある冷やし時計ってありますか?」


 店の前にノボリを出してくれているなんて、案外親切なのね。やっぱりこの時計は商品だったのね。


 初めてのお客さんがこの時計を買ってくれるようにがんばろう。

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