第61話
***
「すいません。ご迷惑を……」
奈村がみくりを抱えて戻ってくると、小野森は何も言わずに頷いてみせた。
小野森の家の和室で待っていた僧侶にも頭を下げる。不安そうな潔子が青い顔で奈村とみくりを見た。
お祓いがしたい、と相談した奈村に、小野森は知り合いの僧を紹介してくれたばかりでなく、自身の自宅の離れを貸してくれた。それなのに、お祓いが始まる前にみくりが逃げ出してしまったのだ。
「お嬢さんのせいではありません。お嬢さんに取り憑いているものが、嫌がっているのですよ」
老僧は温厚そうな顔に僅かに緊張を滲ませて言った。
「私にはその姿は見えませんが、何か強烈な執着のようなものを感じます」
奈村は僧の前の座布団にみくりを座らせ、後ろから体を支えた。僧は大きく息を吸い込むと読経を始める。
ほどなく、力を失っていたみくりの体がびくりと動いた。
首が、がくがくと揺れ出す。奈村は手に力を込めてみくりの肩を抑えた。
「……ぐ……ぁあ、ぇ…い……」
みくりの口から、少女とは思えぬ不気味な声が漏れる。
「ぐぇぇ……ぇぇぇえいぃ……ぇぇぐぇぇえぃいぃ」
声と共に吐き出される息が、泥臭い。奈村はぐっと顔をしかめた。
突然、みくりの腕ががっと伸ばされ、奈村の首が掴まれた。
「っ……」
爪が首に食い込み、痛みで思わずみくりから手を離した。すると、みくりはげっげっげっと、厭わしい笑い声を立てた。
かと思うと、ふっと悲しげな表情になり、しくしくと泣き始めた。
「どぉして、いじめるのぉ……?」
心細く、たよりない少女の声。だが、奈村はぞっと背筋を凍らせた。みくりの声ではない。
「私の娘から出て行けっ!!」
たまらず、奈村は叫んでいた。
「もう、私達に近寄るんじゃないっ!!消えろっ!!」
みくりは泣くのを止め、じとりと奈村を睨み上げた。
「……どぉして……どおしてよぉ……わたし、悪くないのにわたし、わたし悪くないのにわたしいじめられて、みなひどいことするのぉわたしわたしどぉしてわたしわたさいわたしわたしわたさないわたしわたさないわたさないわたさいわたしわたわたわしわあたしわわわわたしわたわたさわたわたしわたさないぃぃぃぃっ」
僧の読経を上回る声で、みくりが―――みくりではないものが、吠えるように喋りだした。どこで息継ぎしているかもわからないぐらい、絶え間なく声を垂れ流す。
僧は声を張り上げるが、それは悲鳴のような声で読経を遮り続けた。
みくりの口から、涎がぼたぼたとこぼれる。虚ろな目がぶるぶると震え出し、それを見た僧は読経を止めた。
途端に、みくりはおとなしくなり、座布団の上に崩れ落ちる。
「……いけません。これ以上は、娘さんの体が持ちますまい」
舌を開いた口からだらりとはみ出させ、意識を失っているみくりを見下ろして、僧が苦渋の表情で告げる。
「申し訳ありません。私では手に負えぬようです」
「そんな……」
奈村は絶望の表情を浮かべた。潔子もその場に膝を突いて涙を流す。
「なんとかなりませんか……もうずっと、何年も苦しめられてきて……お祓いだってこの子が赤ん坊の頃にも何度も……」
「酷なことですが、娘さんは寺に預けられた方がよろしい。少しずつ、毎日経を唱えて執着を弱めるしかないでしょう」
「……そうですか」
僧の言葉に、奈村は目を閉じた。
どうしてこんなことになったのか。あの時、自分があの子に関わらなければ。
「……ごめんなぁ、みくり」
打ちひしがれる奈村の肩を、小野森が叩いた。
「しっかりせい。みくりを預けられる場所はわしが探してやる」
長年、政治に携わった小野森は、自身の後を継がせた若者を威厳のある声で叱咤した。
「死んでいる者より生きている者の方が強い。向こうは一人、みくりにはお前達両親がついている。心配するな」
奈村は涙を流しながら頷いた。
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