第55話


 ***

 がたり、と音がした。


 奈村は目を覚まして、すぐに身を起こした。


 寝室を出て、子供部屋の前に立つ。首から下げている鍵を使って扉を開けると、ぐにゃりと折れ曲がるように床に倒れる娘の姿があった。





「みくり!」





 駆け寄って抱き起すと、みくりはうつろな目でぶつぶつと何事か呟いている。


「みくり、起きなさい!」


「ぐぅぅ……ぐぅ~……ううぅ」





 みくりは九歳の女の子とは思えない獣のような唸り声を上げる。部屋中に、獣臭い空気が漂っていて、奈村は顔をしかめた。





「あなた……」





 戸口に妻の潔子が立って心細そうに奈村を呼ぶ。





「大丈夫だ、寝てなさい」


「……ねぇ、やっぱり、あの子がまだあなたの周りにいるのよ」


「何を言ってる!」





 奈村は声を荒らげた。





「そんな馬鹿なことがあるわけないだろ!」


「だって、あの男の子が言ってたじゃない」





 潔子は泣きそうに顔を歪ませる。


 奈村ははあ、と息を吐いた。





「偶然だよ、たまたま似た子がいたんだろ」


「私、怖い」





 潔子は身を震わせて訴える。奈村はみくりを抱き上げてベッドに戻しながら言った。





「大丈夫だ。あの子はもういない」





 奈村の言葉には、自分自身にも言い聞かせる響きが含まれていた。


 九年も前の話だ。あんな出来事、いい加減に忘れてしまいたい。





「大丈夫だ。みくりも落ち着いた。もう寝なさい。私は少し様子を見てから戻るから」





 みくりは目を閉じて寝息を立てている。発作は治まったようだ。


 潔子はまだ不安そうにしていたが、奈村の言うことを聞いて寝室に戻って行った。


 子供部屋のベッドの横に腰掛け、娘の寝顔を見守りながら、奈村は深い溜め息を吐いた。




***



 稔はくわぁと欠伸を漏らした。

 昨夜、金縛りにあったせいか、少し体が怠い。しかし、それ以外には何の異変もなく、広いダイニングルームでやたらと美味しい朝食を平らげる食欲もあったので、稔は金縛りのことは忘れることにした。

 ああいうのは、通り魔みたいなものだ。さっと干渉してきて、さっと去っていく。避けようはないが、気にしなければ執着されることもないだろう。恨まれていたりする訳ではないのだから。

 大透の私室に通されて四人でテレビゲームをして過ごしていると、午後近くになってお手伝いさんが困惑気味に大透を呼び出した。


「大透くん、奈村さんの御嬢さんがいらしてますが……」

「は?」


 大透はくりっと目を丸くして首を傾げた。奈村の、と言われて、昨日のパーティーで見かけた白いワンピースの女の子が思い浮かぶ。


「奈村さんは?」

「御嬢さんだけです。とりあえずお通しして下で待っていただいていますが、大透くんのお友達に会いたいとおっしゃっていて」


 大透はますます首を傾げたし、稔達も顔を見合わせた。大透は顔見知りとしても、稔達は昨日が初対面、しかも別に紹介された訳ではない。いったい何の用があるというのだろう。

 とりあえず一緒に来てくれる?と言われて、稔達三人も大透について階下に降りた。

 応接室のソファにちょこんと座ってオレンジジュースを飲んでいたみくりが、四人がやってきたのを見て目を輝かせた。


「あのね!手伝ってほしいことがあるのよ!」


 挨拶もなしにいきなり本題に入ったみくりは、稔をびっと指差して言った。


「あたしが探偵で、あんたが助手よ!」


 突然の指名に稔が目を白黒させていると、大透が不快そうに眉をしかめてみくりをたしなめた。


「あのな。ひとの家に押しかけてきて、ひとの友達を指差して勝手な役目を押し付けるな。小学生でもそれくらいの常識はあるだろう」


 大透の思いがけぬ低い声に、稔は驚いた。いつも飄々としている大透がこんな風に不機嫌を露わにするとは意外だ。


「だって、あんた昨日、幽霊見たんでしょう!」


 稔はぎくりとした。

 一瞬、言葉に詰まるが、誤魔化さなければと思い直した。


「いや、幽霊なんか見てないよ。勘違いだった。変なこと言ってごめんな」


 みくりを安心させるため、稔はぎこちなく愛想笑いを浮かべた。だが、みくりは不満そうに頬を膨らませ、スリッパを履いた足をぶらぶらさせた。


「うそ!勘違いなわけないわ!昨日、私と同じくらいの歳の子供なんていなかったもの!もっと小さい子はいたけれど」


 その時、稔はふっと鼻をかすめた匂いに眉をひそめた。


「ねぇ。その女の子、何か言ってなかった?」

「何かって?」


 みくりはさっと表情を陰らせた。そうすると幼いながらも整った顔立ちに気づかされる。

 みくりが小さく口を開いた。


「きっと、私のお父さんが、その子を殺したのよ」



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